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決戦前夜。
月影昏く、夜陰が王都を包んでいた。
ハイネは天幕の中で、地図を眺めながら作戦の最終確認をしている。
だが、心ここにあらずといった様子だった。
扉が開き、セイシロウが入ってくる。
既に夜襲用の黒装束に身を包んでいる。
「殿下、雲の具合を見ておりましたが、二刻もすれば完全な夜陰が訪れるでしょう。そこを突きます」
ハイネは立ち上がり、セイシロウに歩み寄った。
「本当に行くのか」
「はい」
即答だった。
ハイネは震える手を伸ばし、セイシロウの頬に触れる。
「約束しろ。必ず戻ると」
「はい、必ず殿下の元へ」
セイシロウもまた、ハイネの手に自分の手を重ねた。
「明日、私はグロウルの首を取ります」
その言葉に、ハイネの目が見開かれる。
「無茶をするな。門を開けるだけで十分だ」
「いえ」
セイシロウの声は静かだが、確固たる決意を秘めていた。
「殿下の父君と母君の仇、私が討たせていただきます」
ハイネの目に涙が滲んだ。
「セイシロウ……」
次の瞬間、ハイネは衝動的にセイシロウを抱きしめていた。
「死ぬな。絶対に死ぬな」
震える声で何度も繰り返す。
セイシロウは優しくハイネの背を撫でた。
「大丈夫です。私は殿下との約束を破りません」
ハイネは顔を上げ、セイシロウを見つめる。
そして、自然に唇を重ねた。
最初は軽く触れるだけだったが、次第に深くなっていく。
まるで、これが最後かもしれないという恐怖が、二人を突き動かしているかのように。
唇を離した時、二人の呼吸は荒くなっていた。
「殿下……」
セイシロウの声が熱を帯びる。
ハイネもまた、自分の中で何かが決壊するのを感じていた。
「セイシロウ、余は……」
言葉を探すが、見つからない。
代わりに、また口づけを交わす。
今度はより激しく、より深く。
セイシロウの手がハイネの髪を優しく撫で、ハイネの手はセイシロウの背にしがみつく。
「二刻か──まだ時間はあるという事だな」
「はい」
「ならば──もし、今夜が最後なら……」
ハイネが囁く。
その意味を理解したセイシロウの目が見開かれる。
「殿下、それは……」
「後悔したくない」
ハイネの瞳は潤み、頬は紅潮している。
もはや王子としての矜持など関係なかった。
ただ、愛する者と共にいたいという純粋な想いだけがある。
セイシロウは一瞬逡巡したが、やがて優しくハイネを抱き上げた。
「本当に、よろしいのですか」
「ああ」
ハイネは震えながらも、はっきりと頷いた。
「余の全てを、お前に」
セイシロウはハイネを寝台へと運ぶ。
その動作は、壊れ物を扱うように慎重で優しい。
◆
二人は初めて結ばれた。
最初は痛みと戸惑いがあったが、セイシロウの優しさがそれを和らげていく。
激しくも優しい逢瀬。
お互いの名を呼び合い、愛を囁き合う。
ハイネは知った。
これが愛なのだと。
心と体が一つになる感覚。
相手の全てを受け入れ、自分の全てを捧げる行為。
それはこれまでの人生で感じたことのない多幸感をもたらした。
◆
事が終わり、二人は寄り添って横たわっていた。
ハイネはセイシロウの胸に頭を預け、その心臓の鼓動を聞いている。
「後悔は……ありませんか」
セイシロウの問いに、ハイネは首を振った。
「ない。むしろ……」
顔を上げ、セイシロウを見つめる。
「もっと早く、お前の想いを受け入れていれば良かった」
セイシロウは優しく微笑み、ハイネの額に口づけた。
「これからは、ずっと一緒です」
「ああ」
ハイネも微笑む。
だがその笑顔には一抹の不安が混じっていた。
もうすぐ、セイシロウは危険な任務に向かう。
「必ず、戻って来い」
もう一度、強く念を押す。
セイシロウは頷き、ハイネを強く抱きしめた。
「必ず。この腕の中に」
◆
やがて出立の時が来た。
セイシロウは身支度を整える。
「行ってまいります」
「……待っている」
ハイネは震える声でそう答えた。
セイシロウが天幕を出て行く。
その背中を見送りながら、ハイネは祈った。
どうか、無事に戻ってきてくれと。