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第12話 北伐を終えて

 ◆


 北方討伐はそれから一ヶ月の激戦を経て、ついに終結を迎えようとしていた。


 蛮族の主力軍との決戦は、サルビナ帝国軍の圧倒的勝利に終わった。


 その戦いでもセイシロウの剣技は際立ち、敵の大将格三人を単独で斬り伏せるという離れ業を見せた。


 ハイネもまた前線で奮戦した。


 セイシロウほどの武勲は立てられなかったが、それでも帝国軍の一員として十分な働きを見せた。


 亡国の王子という立場でありながら、最前線で戦い続けたその姿勢が兵士たちの心を動かしたのだ。


 その士気向上の効果を帝国軍の将校はしっかりと見ていた。


 ◆


 凱旋の行軍がサルビナ帝都へと向かう。


 街道沿いには民衆が集まり、勝利を祝う歓声が響いた。


 ハイネは与えられた軍馬に跨り、その喧騒を複雑な思いで眺めていた。


 ──これは余の国ではない


 だが同時に胸の奥には小さな達成感もあった。


 わずかながらも何かを成し遂げたという実感。


 そしてそれ以上に──セイシロウと共に戦い抜いたという事実が、ハイネの心に深く刻まれていた。


 隣を進むセイシロウは相変わらず無表情だ。


 しかしハイネはそれで良いと思っている。


 セイシロウの笑顔がむけられる相手は自分ただ一人であるべきだと。


 その心の動きにあえて名をつけるとすれば、それは“執着”であろうか。


 ◆


 帝都の宮殿で、凱旋将校たちへの叙勲式が行われた。


 ハイネもその列に加わり、皇帝から直々に勲章を授けられる。


 「ハイネ王子、その勇猛なる戦いぶり、余は高く評価する」


 皇帝の言葉は形式的だったが、それでも公式の場での評価は大きな意味を持つ。


 セイシロウにも騎士爵位と共に、帝国軍における正式な地位が与えられた。


 といっても儀礼的なものではあるが。


 叙勲式の後、イシュリアナがハイネの元を訪れた。


 「よく頑張ったわね、ハイネ」


 姉の笑顔は政治家のそれではなく、純粋に弟の成長を喜ぶものだった。


 「約束通り、キルシュカ奪還のための準備を始めます。陛下の許可も得ているわ。ただし──」


 イシュリアナの表情が引き締まる。


 「帝国軍として出兵するには、もう少し時間が必要よ。グロウルも警戒しているでしょうから、慎重に事を運ばなければ」


 ハイネは頷いた。


 焦る気持ちはあるが、準備不足で失敗すれば元も子もない。


 「どれくらいかかりましょうか?」


 「早くて三ヶ月。遅くとも半年以内には」


 イシュリアナは弟の肩に手を置いた。


 「その間、あなたは帝国軍での地位をさらに固めなさい。帝都にもキルシュカ王国からの逃亡者はいるわ。彼らの手を借りるのも良いでしょうね」


 ◆


 その夜、ハイネは久しぶりに落ち着いた気持ちで自室に戻った。


 宮殿の一角に与えられた部屋は、逃亡時の天幕とは比べ物にならない豪華さだ。


 だが、ハイネの心は別のことで占められていた。


 ──三ヶ月か、半年か。


 その間、セイシロウと共に過ごすことになる。


 北方討伐の間、ハイネの心は確実に変化していた。


 戦場でのセイシロウの姿、天幕での告白、そして日々の何気ない会話。


 すべてが積み重なって、ハイネの中で何かが形を成そうとしている。


 扉を叩く音がしてハイネは振り返った。


 「入れ」


 現れたのはセイシロウだった。


 彼もまた正装から普段着に着替えている。


 「殿下、本日は誠におめでとうございます」


 「うむ。これが故国を取り戻す第一歩となるだろう。お前の尽力があっての事だ、セイシロウ」


 ハイネの言葉に、セイシロウは微かに笑った。


 「身に余る光栄です」


 二人の間に穏やかな沈黙が流れる。


 「セイシロウ」


 「はい」


 「少し、外へ出ないか」


 ◆


 宮殿の最上階にある展望台は帝都を一望できる。


 ハイネはそこへセイシロウを導いた。


 眼下には帝都の夜景が広がり、空には星が瞬いていた。


 「美しいな」


 ハイネが呟く。


 だが、その視線は夜景ではなく横に立つセイシロウに向けられていた。


 星の灯がセイシロウの横顔を幻想的に照らし出す。


 「殿下?」


 視線に気づいたセイシロウが振り返る。


 ハイネは慌てて花火に目を戻した。


 「い、いや……何でもない」


 だが、胸の鼓動は激しくなる一方だった。


 ──もう、誤魔化せない


 ハイネは深く息を吸い込んだ。


 「セイシロウ」


 「はい」


 「余は……ずっと考えていた」


 言葉を選びながら、ハイネは続ける。


 「お前の想いについて。そして、余自身の気持ちについて」


 セイシロウは黙って聞いている。


 その瞳には、期待と不安が入り混じっていた。


 「最初は戸惑った。男が男を愛するなど、理解できなかった」


 ハイネは手すりを握りしめる。


 「だが、この数ヶ月……お前と共に過ごして、戦って、分かったことがある」


 振り返り、セイシロウを真っ直ぐに見つめる。


 「余もまた、お前を──」


 だが、言葉はそこで途切れた。


 王族としての矜持が、男としての常識が、最後の一線を越えることを躊躇わせる。


  風が二人の髪を優しく撫でていく。


 「無理に仰らなくとも」


 セイシロウが静かに言った。


 その声には、諦めとも受容ともつかない響きがある。


 「いや」


 ハイネは首を振った。


 「言わせてくれ」


 一歩、セイシロウに近づく。


 ハイネの瞳が決意と月光を照り返して輝いた。


 「余は──お前を求めている」


 言葉が紡がれた瞬間、ハイネの中で何かが決壊した。


 もう後戻りはできない。


 そして、したくもない。


 セイシロウの目が見開かれる。


 「殿下……」


 その声は震えていた。


 ハイネは震える手を伸ばし、セイシロウの頬に触れた。


 「怖い」


 正直な告白だった。


 「こんな想いを抱くことが、認めることが、怖い。だが──」


 セイシロウはもう一歩、距離を詰める。


 ハイネは下がらない。


 それどころか、自身もまた一歩距離を詰めた。


 二人の顔が呼吸が触れ合うほど近づく。


 そして、ハイネはセイシロウの唇へと自らのそれを重ねた。


 あの森での口移しとは違う。


 薬を飲ませるためではない。


 ただ純粋に、想いを伝えるための口づけ。


 セイシロウの唇は思ったより柔らかく、そして熱かった。


 最初は触れるだけの口づけだったが、次第に深くなっていく。


 セイシロウの腕がそっとハイネの腰を抱く。


 ハイネもまた、セイシロウの首に腕を回した。


 そうして長い口づけの後、二人はゆっくりと唇を離した。


 お互いの額を合わせ、荒い呼吸を整える。


 「殿下……本当に、よろしいのですか」


 セイシロウの問いに、ハイネは小さく笑った。


 「今更、何を言う」


 そして、もう一度短く唇を重ねる。


 「ただし」


 ハイネは真剣な表情になった。


 「キルシュカを取り戻すまでは、これ以上は……」


 セイシロウは理解したように頷いた。


 「承知しております。殿下がどのような決断をされようと、私は従います」


 「すまない」


 「いえ」


 セイシロウは優しく微笑んだ。


 「こうして想いが通じ合えただけで、私には十分すぎる幸福です」


 二人は寄り添うようにして、夜景を眺めた。


 これから待ち受ける戦いはさらに過酷なものになるだろう。


 だが今は、ただこの瞬間を大切にしたかった。


 ──父上、母上


 ハイネは心の中で亡き両親に語りかける。


 ──余は王族として許されぬ道を選びました。


 ──だが後悔はありません。


 ──この想いと共に、必ずキルシュカを取り戻してみせます


 ◆


 翌朝、イシュリアナからの呼び出しがあった。


 謁見の間に入ると、彼女は意味深な笑みを浮かべていた。


 「昨夜は、楽しい時間を過ごせたようね」


 ハイネの頬が微かに赤くなる。


 「姉上……」


 「心配しないで。私は何も見ていないわ」


 イシュリアナは書状を差し出した。


 「それより、準備が整い始めています。予想より早く動けそうよ」


 書状にはキルシュカ国内の反グロウル勢力からの連絡が記されていた。


 民衆の不満は日増しに高まり、貴族の中にも王家復活を望む声が出始めているという。


 「時はあなたたちに味方し始めている様ね」


 イシュリアナの瞳が鋭く光る。


 「二ヶ月後、春の雪解けと共に進軍を開始します。それまでに万全の準備を」


 ハイネは深く頭を下げた。


 「必ず、ご期待に応えてみせます」


 謁見の間を出ると、廊下でセイシロウが待っていた。


 二人の目が合い、言葉を交わさずとも想いが通じ合う。


 ──共に、最後まで


 その決意を胸に、二人は新たな戦いへの準備を始めるのだった。

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