ハイランド王国の王都グランカーサの城下町は、まだ太陽が昇りきらない肌寒い早朝にもかかわらず、あふれんばかりの熱気に包まれていた。
「
「討伐隊の皆さん、お疲れさま!」
淡いオレンジ色の朝日を浴びたレンガ造りの商業施設が建ち並ぶメインストリートには、白く大きな花弁の花が上にも下にも振り注がれ、道の両脇には鈴なりになった人々が我先にと競い合うように賞賛と歓喜の声をあげていた。
その中をゆったりと練り歩くのは、先ほど王都に帰還したばかりの魔獣討伐隊の面々だ。先陣を切って歩くのは、この国の第三王子ディラン・ハイランドで、今回の魔獣討伐の最大の功労者でもあった。襟足をスッキリと短くした鮮やかな黒髪は、朝日を浴びて艶めくように輝き、彼の端正な顔立ちをこの上なく引き立てている。また頭上から左目を覆う白い包帯が目を引くものの、かえって隻眼となった右目の眼光が一層鋭さを増し、どこか危ういストイックさを醸し出していた。民衆の中でも主に女性の多くは、そんな第三王子の風貌をうっとりと眺めているのは間違いなかった。だが彼をよく知る者が近づいてその表情を見れば、彼が微妙に不機嫌であることに気づくだろう。
「なぜ、このように人が集まっている?」
ディランはりりしい表情を崩さないまま、一歩遅れてついてくる討伐隊の隊員の一人に声をかけた。隊員は苦々しい笑いを浮かべている。
「どうやら先触れで出した早馬が、城下町の住民らに目撃されていたようでして。それで到着前に、帰還の日程が広まってしまったようです。気づかれないよう、夜に早馬を走らせたのですが……皆、王子のご活躍を耳にして、お出迎えしたいのですよ、きっと」
「『私の』活躍ではない。ここにいる『皆の』活躍だろう?」
第三王子の
東に広がる森に『
連隊がメインストリートを抜けると、ほどなくして王城が見えてきた。ゆるやかな坂道を登って正門をくぐるころには、隊員の全員がホッと胸を撫で下ろす。浄化魔法を持っていると、いくぶん瘴気に対する抵抗力が高くなるが、やはり患部はすぐに専門の治癒師に診てもらうのが一番だ。自分たちの怪我もそうだが、彼らの気掛かりはなんといっても第三王子だ。特に重症と思われる左目の治療は、最優先で治癒してもらいたい。
「あ、ディラン様!? どこへ行かれます!?」
「私は先に隊長と話がある」
いやそんな重症で何をおっしゃられるのかと、隊員総出で引きとめようとしても、ディランは彼らを振りきって王宮の隊長が待つ軍司令本部へと向かってしまった。たしかに軍司令本部にはマリキス隊長が、ディランたちのチームの帰還を待ちわびているだろう。討伐遠征先で二手に分かれて行動したため、ディランのチームは副隊長が指揮をとっていて、ひと足遅れて帰城したところだ。副隊長は重症を負ったため、代わりに次の責任者に任命されたディランが、ケガを押してでも先に報告にあがるのは理解できた。
「マリキス隊長……いや叔母上、話がある」
隊長室に到着するなり、ディランはわざとくだけた口調で呼びかけた。すると部屋の奥の窓辺に立っていた女性が、物憂げな様子で振り向いた。きっちりと後ろにまとめた淡い金髪には白髪が散り、額のしわには苦悩が刻まれている。
「ディランか……ケガの治療は?」
「必要あると? これが?」
執務机を挟んでマリキスの正面に立ったディランは、おもむろに左目の包帯をつかむと、それを乱暴にむしり取った。するとそこには傷ひとつない、右目と相違なく輝く緑色の瞳があらわれた。
「どうして私には、瘴気の影響が現れない?」
「それは、お前の浄化の魔力が強いから抵抗力が……」
「抵抗力以前の問題だ。瘴気を浴びても、なにも変化が起こらないなんて、魔獣じゃあるまいし! おおかた神殿の連中が、私におかしな術をかけたのではないかと疑っているところだ」
ディランも、はじめのころこそ自分の浄化魔法による抵抗力のおかげだと自惚れていたが、戦いを重ねるにつれて徐々に不自然さに気づいた。特に自分より魔力の高い副隊長が瘴気を浴びたとき、そのケガの具合をみてはっきりと悟った。これはおかしい、自分だけ特別な『なにか』で守られているに違いない、と。そういえば討伐隊に参加することに猛反対していた王妃が、足しげく神殿へ通っていた気がする。
「まさか、母上の画策か?」
「待て。姉上を、ミラベルを責めるな」
その言葉に、やはり隊長の双子の姉であり、ディランの母親でもある王妃が関わっていたと確信した。
「叔母上、こういった極端な術は反動もすごいと聞く。むやみに使えば、私どころか、母上自身にも害が及ぼすかもしれないほど危険なんだって知ってるだろう?」
「それはもちろん、姉上だって承知の上だ」
つまり聞く耳を持たなかったのだろう。ディランは鎮痛な面持ちで額をおさえた。
「とにかく一体どのような術を私にかけたのか、叔母上の知る限り洗いざらい話していただこうか」
ところ変わって、王宮より少し東寄りにそびえる白い大理石の神殿では、先ほどから討伐隊の帰還に対する感謝の祈りが厳かにささげられていた。
その祈りをささげている祭壇のちょうど真下の、地下に密かに設えられた部屋では、朝食を運んできた神官が、ベッドから起き上がったばかりの青年と向き合っていた。
「……朝っぱらから、上は忙しそうだね」
「討伐隊の皆様が無事帰還されたから、感謝のミサを行っているのですよ」
いつも事務的な口調の神官だが、今朝は少しばかり柔らかさを帯びている。
「そっか、それはよかった……討伐隊のメンバーは全員無事なんだよね?」
「ええ。きっとサージャの祈りが届いたのでしょう」
サージャと呼ばれた小柄な青年は、神官の視線を避けるように紫色の瞳を伏せた。はらりと頬にこぼれ落ちた白い髪は、ここ半年ほど切ってなかったため、伸び放題伸びて額から両頬、両肩をすっぽりおおってしまっている。それでも前髪の下に広がる、細かな蔦模様のような黒いアザはくっきり見えるだろう。
「……あれから二日も経つのに、あまり回復されてないようですね。大神官様をお呼びしましょうか」