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30. 初料理


 それは、些細なことがきっかけだった。

 重華はいつものようにおやつとして点心を用意してもらって、それを頬張っていた。

 その日も本当においしくて、こんなのが作れるなんてすごいと、そう感想を述べただけだったのだが……


「では、蔡嬪様も作ってみませんか?」


 春燕から、そんな一言が返ってきて、重華は生まれてはじめて料理というものに挑戦することになった。


「あ、あの、私なんかが料理をしても、大丈夫なんでしょうか?」


 父をはじめとする家の者たちは、自分たちが口にする食べ物に重華が触れることすら嫌がっていた。

 そのため、重華は料理とは常に無縁で、そんな不安を口にしたりもした。

 けれど、そんな不安は春燕と雪梅が笑顔で払拭してくれた。




「できたっ」


 何から何まではじめてのことだらけで、春燕と雪梅の手もたくさん借りた。

 それでも、できあがった点心は春燕の作るそれより不格好だったけれど、はじめて最後まで作りきれたことに、重華は満足感を覚えていた。


「さあ、お一つ召し上がってみてください」


 まだ出来立てで熱々のそれを差し出され、重華はそれを恐る恐る口に運んだ。

 やはり春燕のそれには劣るけれど、自分で作ったという要素が加わったためか、重華はとても美味しいと感じた。


「お二人も、もしよかったら食べてみてください」


 重華がそう言うと、2人とも嬉しそうに点心を手にとって一緒に食べてくれた。

 2人にも、とてもおいしいと言ってもらえて、重華は非常に嬉しかった。

 そう、ここまでは重華はただただ幸せで、本当によかったのだ。

 しかしながら、雪梅の一言で、全てが変わる。


「せっかくですから、陛下にもお持ちしてはいかがですか?」

「ええっ!?」

「そうですね。美味しくできていますし、陛下もきっとお喜びになりますよ」


 雪梅に賛同するように、春燕も後押しをしてくる。

 だが、重華としては生まれてはじめて作った、少々不格好なそれをとてもではないが皇帝に渡す気にはなれない。

 しかしながら、そんな重華の心の内を余所に、どんどんと話は進んでいく。


「陛下も、甘いものはお好きですからね」

「今でしたら、きっと天藍殿にいらっしゃいますね」

「すぐに、陛下の分をお包みしましょう」

「ご安心ください、天藍殿までは私も付き添いますから」


 矢継ぎ早に2人に言われ、重華はそのまま流されてしまいそうになったが、我に返り慌ててぶんぶんと首を振った。


「こ、これは陛下にお渡しする用に作ったものではないですし」


 晧月だって、せっかくなら春燕の作ったおいしい点心が欲しいはずだと重華は思う。


「他の妃嬪の方々も、何かお料理を作られた際に、天藍殿で政務に励む陛下にお持ちすることはあるのですよ」


 最も、晧月が受け取ったことは、ほぼ無いに等しいのだが、ということは重華の心を折ってしまいそうだったので、春燕も雪梅も決して口には出さなかった。

 結局、いろいろ言葉を重ねたものの、2人に流される形で重華は雪梅とともに天藍殿へ点心を持って行くことになってしまったのだった。






 道中、重華は雪梅が大切に抱えている点心を見ながら、なんとか引き返せないものか考えた。

 しかし何を言っても、雪梅に笑顔でかわされて終わるような気がして、特に何も思いつかないままに、あっという間に天藍殿の前にたどり着いてしまった。


「陛下に、蔡嬪様がお渡ししたいものがあるためにいらしていると伝えていただけますか?」


 雪梅は慣れた様子で、天藍殿の前に控えている宦官にそう言うと、宦官は一礼して天藍殿の中へと入っていった。


「陛下が許可をくだされば、すぐに中に入れますよ」


 雪梅の言葉を聞いて、重華は許可されないこともあるのだろうと思った。

 入れなければそれはそれで、晧月に渡さなくて済むからいいのかもしれない。

 けれど、せっかくここまで来たのに拒否されるのは、少し寂しいかもしれない。

 そんな複雑な思いを抱えながら、重華は先ほどの宦官が戻ってくるのを待っていた。


「お待たせしました、蔡嬪様。陛下が許可されましたので、どうぞ中へお入りください」

「あ……」


 拒否されなかった事実は、重華にとっては思った以上に嬉しいものだった。

 しかし、それははじめて作った点心を渡すことになるということで、重華はそれを思うと逃げ出したい気持ちになる。


「大丈夫ですよ、蔡嬪様。私はここでお待ちしておりますので、行ってきてください」

「え?雪梅さんは、入らないんですか?」

「はい」


 侍女は入らないのが普通なのか、許可を得られたのが重華だけということなのか、雪梅が入らない理由は重華にはわからない。

 ただ、重華が中にいる間、ずっと待たせることになるのは気が引けた。

 長居するつもりはなくとも、どれくらい待たせるかは晧月次第なこともあり、重華には予想ができなかったから。


「では、先に戻っていてもらえませんか?」

「え?」

「私なら、1人でも戻れます。雪梅さんも、忙しいでしょうし」

「蔡嬪様のお傍にいるのも大事な仕事ですので、気にされなくても大丈夫ですよ」


 雪梅は笑顔でそう言うと、その場に留まろうとした。

 しかしながら、そうすると雪梅を気にして重華がなかなか中に入れない。


「わかりました。蔡嬪様のお言葉に甘えることにしますね」


 結局、そうして雪梅が折れる形で天藍殿を後にし、重華はそれを見送ってからようやく天藍殿の中へと足を踏み入れた。

 前回訪れた時は外しか見ていなかった重華は、はじめて見る天藍殿の中をついきょろきょろと見渡してしまう。


「そんなに、珍しいのか?」


 くすりと笑う晧月の声がして、重華ははっとする。


「陛下に……」

「ああ、挨拶はいい。楽にせよ」


 慌てて挨拶をしようとしたのを今日もまた止められ、重華はまた覚えた挨拶を披露する機会を失った。


「渡すものがあると聞いたが?」

「あ、はい、その……」


 晧月の視界には、何か包みを手にしている重華が映っている。

 渡すものがあると言って入ってきた重華が唯一手に持っているもの、それが渡そうとしているものなのだろうというのは容易に想像がついた。

 しかしながら、重華はなかなかそれを晧月に渡そうとはしなかった。


「何も、ないのか?」


 痺れを切らしたように晧月が問いかけると、ようやく重華は慌てたように手に持っていたものを前に差し出した。

 前に差し出したところで、重華と晧月の間には随分と距離がある状態で、そのままでは晧月は受け取ることも中身を見ることも叶わない状態ではあるけれど。


「こ、これを、お渡ししようと……」

「なんだ、それは」

「あ、あの、点心で、その、春燕さんに教わって、雪梅さんにも手伝ってもらって。それでお2人に陛下にお持ちするよう薦められて。あ、でも、はじめてなので、きっと上手ではないですし、だから、無理に受け取ってもらわなくてもよくて、それで、えっと……」


 重華はつい早口になるのを止められない。

 その上、喋れば喋るほど、自分でも何を言っているのかわからなくなっていく。


「つまり、そなたが作ったのか?」


 それでも、晧月には伝わったらしい。

 晧月はゆっくり立ち上がると、重華に近づいた。

 いつの間にかすぐ傍にいる晧月に驚きながらも、重華はこくんと頷いた。

 なぜか、顔が熱くなっていくような気がして、重華は俯いた。


「はじめて?」


 再び晧月に問いかけられ、重華はまた頷く。


「そうか。そなたがはじめて作った点心か」


 そう言うと、晧月は重華が持っていた包みをひょいっと奪い取る。


「ちょうどいい、茶にしよう」


 そう言うと、晧月は1人先に部屋の奥へと進んでしまう。

 重華はしばらく迷ったけれど、慌てて晧月の後を追った。


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