「そなたへの処分を伝えに来た」
ようやく水晶宮へと晧月が訪れてくれた。
本来であれば、ものすごく喜ばしいことだっただろう。
だが、それが英妃が望む来訪とは大きくかけ離れていることは、さすがの英妃であってもよく理解していた。
「お待ちください、陛下、どうか話を……っ」
「聞くまでもない。あの場に居た衛兵たちが、皆同じ証言をしている。そなたが侍女とともに蔡嬪を池に突き落とし、衛兵が助けるのも止めたと」
重華の話とも一致する部分が多い。
また、衛兵たちが話をあわせた様子もないし、そうすることによる利益もさしてない。
よくも悪くも、重華は自身に有利な証言をさせたところで、衛兵たちの望む見返りを渡せるような人間ではないからだ。
だからこそ、晧月は、英妃の話を聞くまでもなく、これが真実なのだと確信している。
「た、確かに、わたくしは蔡嬪を突き落としました、ですが、それは蔡嬪に罰を与える必要があったからで……っ」
「何に対しての罰だ?」
晧月の声は、一段と低くなり、冷たい視線が英妃を貫く。
「そ、それは……っ、陛下の貴重なお時間をお邪魔したと……っ」
「朕は邪魔などされていない」
ぴしゃりと晧月が言い放つ。
邪魔だったかどうか、最終的な判断は皇帝の心次第だ。
晧月がそう言ってしまえば、当然罰を与える必要などなかったという結論になってしまう。
それでも、英妃は引くわけにはいかなかった。
「で、ですが、陛下の政務中に天藍殿の中までっ」
「蔡嬪が勝手に入ったわけではない。招き入れたのは朕だ。そなたの言い分だと、罰を受ける必要があるのは朕ということになるが?」
「け、決してそのような……っ」
英妃は悔しさのあまり、ぐっと両手を握りしめた。
(わたくしには、決して許されなかったのに……)
そんなことを言っても仕方ないのは、痛いほどわかっている。
これもまた、全ては皇帝の心次第なのだ。
それでも、悔しいものは悔しい。
自身にはどれほど手を伸ばそうとも得られないものが、重華にはいとも簡単に与えられる事が。
「そ、それだけではないのですっ、蔡嬪は後宮指南役であるわたくしに、挨拶の1つもなく……」
「朕がわざわざ送った文の内容を、もう忘れたか?」
「そ、それは……っ」
確かにそこには、本来であれば後宮指南役である英妃への挨拶が必要となるが、それを免除するようにといったことが書かれていた。
だが、当然、それは挨拶に来ることを免除することであって、偶然皇宮内で出くわした時まで、挨拶しなくていいということだとは英妃は思ってなどいない。
しかしながら、明確にそうとは書かれていない以上、晧月に言われれば英妃に反論の余地などなかった。
「朕があの場に居なければ、最悪の可能性もあった。その上、蔡嬪は今、熱を出して寝込んでいる。それほどの罰が必要だったとは、到底思えないな」
吐き捨てるようにそう言われ、英妃は最早何も言えなくなってしまった。
「そなたは、もう少し賢い妃だと思っていたのだがな」
英妃の封号を決めたのは、晧月だった。
自身の分をわきまえ、慎ましやかで思慮深い妃だと思っていた。
なぜ妃に封じられたのか、なぜ後宮指南役を任せられることになったのか、晧月の意図もよく理解しているように思えた。
だからきっと、英知溢れるよい妃となり、後宮を取り仕切ってくれるだろうと、そう期待していたのだ。
「わたくしを変えたのは、陛下ですわ!」
「なら、朕が終わらせよう」
力いっぱい叫んだ英妃とは違い、晧月の言葉は、罪悪感など欠片も見えない、むしろ何の感情も見えないような抑揚のない声だった。
「おわ、らせる……?」
その一言に、英妃の中にあることが浮かび、英妃の顔は一気に青ざめた。
「冷宮は……冷宮だけは、嫌です、陛下っ!!」
「だったら、蔡嬪に感謝するんだな」
「え……?」
「朕は当然冷宮に送るつもりだった。だが、蔡嬪が懇願したから、取りやめたのだ」
英妃の心情は複雑だった。
冷宮になど、送られたくはない。
精神を病んだ妃も多数いると聞くような、劣悪な環境である。
だから、取りやめとなったことは非常にありがたい、けれど、蔡嬪に恩義など感じたくはなかった。
「英妃、そなたの封号を剥奪し、才人へ降格とする。また、同時に、後宮指南役の任も解く」
降格し低い妃位となった者に、後宮指南役など任されるはずがない。
わかっていても、英妃は落胆した。
だが、それ以上に衝撃的だったのは、入宮した時よりも降格したことだった。
「才人……」
ぽつりと小さく、英妃は呟いた。
(でも、冷宮は免れた。きっとやり直せる)
果てしないけれど、一から晧月への信頼を積み重ねれば、敵対勢力の娘たちよりは晧月の関心を得られるかもしれない、そう英妃が自身を必死に奮い立たせた時だった。
「それだけではない。金輪際、蔡嬪との一切の接触を禁じる。それから、朕ともだ」
「え……?そんなっ!」
蔡嬪との接触は、まだいい。
しばらくは近づかないでいる方が、きっと晧月の機嫌も損ねなくて済む。
だが、晧月と接触できないのは話が違う。
それでは、晧月の妃でいる意味など、何もない。
「水晶宮は妃位の高いもののための寝殿だ。そのため住まいもここから移ってもらう。新しい寝殿に移ったら、そこから出ることも一切禁じる」
「そ、そんな、それでは冷宮送りと変わらないではないですかっ!」
少しだけ、いやその差はかなりあるかもしれないが、住まいの環境が良いというだけだ。
そこから出ることも叶わず、皇帝に会うことも叶わない。
冷宮送りとなった妃と、その扱いに、たいした違いがあるようには思えなかった。
しかし、どれだけ英妃が訴えようとも、晧月は表情1つ変えず、淡々と処分を言い渡すだけだった。
「以上だ。今、この瞬間から、朕とそなたは二度と会うことはない。新たな住まいや、今後については追って人を送るゆえ、その者に全て従え」
そう言うと、晧月はくるりと英妃に背を向けた。
「お、お待ちください、陛下っ!」
英妃は慌てて、去って行く晧月を追いかけた。
だが、水晶宮を出るところで、衛兵たちに止められてしまう。
どれほど叫んで呼びかけようとも、晧月が振り返ることは決してない。
英妃は、泣きながら、遠ざかる晧月の背中を見続けることしかできなかった。
それは、翌日、晧月が重華の元を訪れている時に伝えられた。
重華は未だ熱が下がらず眠っており、晧月は寝顔だけ見て帰ろうとしていた。
そんな晧月の元へ、1人の宦官が慌てた様子でやってきたのだ。
「陛下、大変です、英妃様が……っ」
「もう、英妃ではない」
昨日の今日では仕方がない、と思いつつも晧月はため息をついた。
「で、彼女がどうした?」
「その、自害、なされました……」
「そうか」
すぐ傍で、春燕と雪梅が息をのんだのがわかった。
しかし、晧月にとって、それは予想通りの展開だった。
(やはり、耐えられなかったか)
最高位の妃位を手にした後、最下層まで落ち、さらには晧月と完全に疎遠になる。
その状況を受け入れられないだろう、と晧月は思っていた。
しかし、だからといって罰を緩めるという選択肢は、晧月にはなかった。
そんなことをして、再び重華が危険な目に遭えば、晧月は一生後悔することになる。
晧月が今思うことはただ1つ、この場に重華が居なくてよかった、ということだけだった。
もし、重華がこの場にいれば、大きな衝撃を受け、自身を責め続けることになっただろう。
「春燕、雪梅、このことは決して蔡嬪に悟られるな。ほとぼりが冷めた頃に、病死したと伝えろ」
晧月はそう告げると、自身に伝えに来た宦官を伴って、天藍殿へと戻った。