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7.王太子の婚約者


 リズベットが屋敷に来てから、半年が過ぎた。


 レオナルドはすっかり体調を取り戻し、一日に許可できる執務時間も随分と増えてきている。


 精神的にもだいぶ落ち着いてきたので、そろそろ魔法の訓練を始めてもいい頃合いかもしれないと思っているところだ。


 そんな折、一人の少女が屋敷を訪ねてきた。


「ごめんください」

「はーい」


 使用人の二人は忙しそうだったのでリズベットが代わりに出迎えると、扉の前に立っていたのは可愛らしい少女だった。


 ふわふわのストロベリーブロンドの髪に、金色の大きな瞳。背は小さく、愛らしい顔立ちにはまだ幼さが残っている。


 少女の後ろには、ツリ目に細縁ほそぶちの眼鏡をかけた、いかにも厳しそうな見た目の侍女が控えていた。


「ええと、どちら様でしょうか」


 少女はこちらを見た途端、ほんのわずかに顔を強張らせたような気がした。しかし、すぐににこやかな笑みを浮かべたので、真偽の程はよくわからない。


「あら、新しいメイドの方かしら。わたくし、レオナルド殿下の婚約者で、アールリオン公爵家のマイアと申します」


 婚約者という言葉を聞いて、なぜかリズベットの心臓がドクンと跳ねた。


 レオナルドの婚約者ということは、この少女が今の大聖女、マイア・アールリオンその人だ。年齢は確か十三歳。


 アールリオン公爵家は、マイアを含め三代連続で大聖女を輩出している名門貴族であると同時に、アールリオン製薬というこの国一番の製薬会社を経営している一族だ。義父の病院で働いていた頃は、非常にお世話になっていた企業である。


「失礼いたしました。私はナイトレイ子爵家のリズベットと申します。王命により、レオナルド殿下の専属医を任されております」


 一礼してから頭を上げると、リズベットはマイアの反応に思わず心の中で小さな悲鳴を上げた。


 彼女は冷ややかな笑みを浮かべ、こちらに対してあからさまな嫌悪感を示していたのだ。


 マイアはリズベットのことを上から下までジロジロと見ながら、嘲るように言った。


「へえ……新しい医師って、女性でしたの。それもこんなお若い。国王様も一体何をお考えなのかしら。もっと熟練の医師を付けるべきでしょうに」


(め、めちゃくちゃ嫌われている……)


 リズベットの心の中では、冷や汗がダラダラと流れていた。


 しかし、マイアがこちらを敵視するのは仕方のないことなのかもしれない。婚約者の近くに知らない女がいたら、誰だって警戒するだろう。


「さっさと入れてくれるかしら? わたくしはレオナルド殿下にお会いしに来たのです。あなたに用はございません」

「は、はい」


 リズベットはこれ以上相手の機嫌を損ねないよう、すぐさまマイアたちを屋敷に招き入れた。


 初めは応接室に案内しようとしたのだが、彼女はこの屋敷に何度も来たことがあるらしく、レオナルドの部屋へ直接向かうと言って聞かなかった。


 それで仕方なく、リズベットは彼女らを連れてレオナルドの部屋へと向かったのだ。


 その途中、廊下を歩いていると、リズベットは思わずマイアの姿に見惚れた。


(姿勢、とても綺麗ね……)


 彼女はまだ幼いが、所作や立ち居振る舞いはリズベットよりも余程洗練されていた。


 大聖女は、そのくらいに就いた時点で王太子に嫁ぐことが決まる。生まれた時から大聖女だった彼女は、幼い頃から厳しい妃教育を受けてきたのだろう。


 レオナルドの部屋の前に着くと、リズベットは扉を叩き声をかけた。


「殿下。お客様をお連れいたしました」


 今は執務を行っている時間だろう。邪魔をして悪いと思いつつも、一刻も早くマイアから離れたいという気持ちがまさった。


「入って構わない」


 入室の許可を得てリズベットが扉を開けた途端、マイアが黄色い声を上げながら部屋に入っていく。


「お久しぶりでございます、レオナルド殿下!」


 マイアはその金色の瞳を輝かせながら、愛らしい笑顔を浮かべていた。こちらへの対応とはえらい違いだ。


 しかし、一方のレオナルドは、なぜか苦々しい表情を浮かべていた。


「お前か。マイア」

「お元気な姿を拝見できて嬉しゅうございます! もう剣を振るえるようにもなったとか!」


 渋面のレオナルドと、花が咲いたように微笑むマイア。


(温度差がすごいわね……)


 リズベットは内心そんな感想を抱きつつ、さっさと部屋を出ていこうとした。この絶妙に気まずい雰囲気に巻き込まれたくはない。


 しかし、リズベットが部屋を出ていく間際、すれ違いざまに侍女の目を見てギョッとした。


(なに、あの目……主人に、ましてや大聖女に向ける視線じゃないでしょう)


 侍女はマイアに対して、まるでゴミを見るような視線を向けていたのだ。


 リズベットは困惑しつつも、そのまま部屋を後にした。こういうのは深入りしてもろくなことがない。触れないほうが身のためだ。


 このまま自室に戻るか迷ったが、レオナルドの部屋はすぐ隣だ。それもそれでなんとなく居心地が悪かったので、リズベットは使用人二人を手伝いに階下へと向かった。


 手の空いている時は、こうして彼らを手伝うことが多い。なにせ、たった二人でこの大きな屋敷を回しているのだ。人手はあるに越したことはない。


「キーツさん、何かお手伝いすることありますか?」


 厨房に顔を出すと、夕食の仕込み中だったキーツが顔の前で両手を合わせて謝ってきた。


「悪い、嬢ちゃん。マイア様の対応、任せちまって。嫌なこと言われただろ? あのお嬢様は、レオ坊に近づく女を片っ端から嫌うんだ」

「なるほど。確かに嫌味を言われましたが、大丈夫ですよ。気にしてません」


 リズベットが苦笑しながら答えると、キーツは申し訳無さそうに眉を下げていた。


 そして、夕食用の野菜の皮剥きを手伝いながら、リズベットは気になっていたことを尋ねる。


「レオナルド殿下は、その……マイア様を見て、とても苦々しい表情をされていたのですが……お二人は仲が悪いのですか?」

「ああ……仲が悪いっていうか、マイア様が一方的にレオ坊に取り入ろうとしてるって感じだな……」


 それからキーツは、二人にまつわる話を聞かせてくれた。


 幼い頃からレオナルドの婚約者だったマイアは、彼に好かれようと必死だったそうだ。


 大聖女なら無条件で王太子と婚姻することになるため、そこまで好かれる努力をする必要もないという話なのだが、彼女をそうさせた原因はその瞳の色にある。


 マイアの瞳は金色。魔力量の序列で言うと、紫、青に次いで三番目だ。


 歴代の大聖女は、紫の瞳を持つ者がほとんどだった。それに加え、ここ二代ほどは青目が続いていたので、次こそは紫の瞳の大聖女が現れるのではと国も期待していた。


 しかし、青よりも劣る金が大聖女となり、マイアは大聖女としては力不足ではないかという声が多く上がっていたのだという。


 もし王太子と大聖女が婚姻するまでに序列が上の聖女が生まれた場合、国王と王太子本人の意思によって、その婚約を継続するか解消するかが決められる。


 紫は一世代に一人、青は一世代に数人から数十人の確率で生まれてくる。それでいてかつ治癒魔法が使えるとなるとさらに確率が下がるのだが、新たな大聖女が誕生するのもあり得ない話ではなかった。


 そのためマイアは、レオナルドに気に入られようと躍起になった。


 万が一、新たな大聖女が生まれて王太子を取られようものなら、ここ数代に渡って大聖女――つまりこの国の王妃を輩出してきたアールリオン家の名に傷がつく。彼女も必死だったのだろう。


 しかし、取り入ろうと必死になった結果、全てが裏目に出てしまった。


 レオナルドの仕事の邪魔になったり、彼に近づく女をことごとく排除しようとして貴族内の不和を生んだり、それはそれは色々と問題を起こしていたらしい。


 そういうことが積み重なり、レオナルドは次第にマイアと距離を取るようになっていったというわけだ。


「でも、殿下が栄養失調で倒れるたびに、マイア様が治癒魔法を施しにいらしてたんですよね?」


 話を聞き終えたリズベットがそう尋ねると、キーツは途端に渋い顔になった。


「それは事実だ。レオ坊も、感謝はしてると思う。でもな……なんていうか……恩を売るために来ていた、と言った方が正しいかもしれん」

「なるほど……」


 弱っているレオナルドを甲斐甲斐しく看病すれば、彼の心を掴めると思ったのだろう。命を救った恩があれば、無下に婚約を破棄される可能性も減ると考えたのか。


(でも、大聖女が私欲のためにしか力を使えないのは、少し残念ね)


 聖女も人間だ。ある程度の欲はあってしかるべしだとは思うが、恩を売るために命を救うのは少し違う気がした。


「レオ坊には、嬢ちゃんの方がお似合いだと思うんだけどなあ」


 キーツが真面目な顔でとんでもないことをつぶやいたので、リズベットは思わず苦笑した。


「私は子爵家の人間ですよ。身分が違いすぎます」


 レオナルドは王族だ。どうこうなりたいと考えるだけで失礼だろう。流石にそこまで身の程知らずではない。そもそも彼はあくまで患者であって、それ以上でもそれ以下でもないのだ。


(……それに、そんな目立つようなこと、絶対にあってはならないわ)


 心の奥底がひやりと冷えたところで、キーツがニヤニヤと笑いながらこちらの揚げ足を取ってきた。


「お? じゃあ、身分を無視すりゃ、脈ありってことか?」

「どうしてそうなるんですか。ないですよ。ないない。はい、この話は終わり!」


 ちょうど野菜を剥き終えたリズベットは、これ以上キーツに絡まれる前に厨房から出ていこうとした。しかし、彼は懲りずにリズベットの背中に声をかけてくる。


「なんだ、残念。ま、俺は勝手に二人のこと応援してるからよ!」

「いりませんよ、そんな応援」


 リズベットは一度振り返って苦笑を向けると、今度こそ厨房を後にするのだった。


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