世の中ってのは理不尽だ。
何が理不尽って、それは俺の人生が理不尽の連続で、世の中は理不尽の塊でできているのかもしれないと思うほどだ。
俺、氷室涼真がこの世界、所謂異世界という場所に召喚されたのが今から二十年前。
当時、十五歳と言う若さ溢れる無知な俺は呼び出した人族の王国、王様や王女様の言う事を鵜呑みにし、何より特別な使命を与えられた喜びに満ち満ちていた。
「よぉベリアル。久しぶりだな」
「リョウマ……か、また哀れな魔王の世話を焼きに来たのか? 物好きな奴め」
そこは人里離れた森の奥地にある廃村のさらに奥、とても魔王などと呼ばれ恐怖の代名詞であった男には似つかわしくない草臥れた古屋。
その見た目が青紫の長い髪に整った美形、絶世の美女と言われても納得してしまいそうな容姿だから余計にこの場所に対する違和感が凄まじい訳だが。
恐らくは百歳とか優に超えていそうな神秘的な雰囲気の男。対するは三十五歳という年齢に最近重たいものを感じ始めた平たい顔の日本人男児。
まあ、『勇者』という恩恵?のおかげで実年齢よりも若く見えるのが救いか?
いや、この魔王に並ぶとビジュアル的には何も救いがないな、自分を鼓舞するほど虚しく思える。
これが究極の理不尽と言わずしてなんとする!?
「そう言ってくれるなよ、俺もお尋ね者ながらに必死で魔王様への献上品をかき集めて来たんだ」
言いながら小汚い麻袋から取り出したのは僅かばかりの硬いパンと干し肉にチーズ、そして一本の古びた酒。
「ふん、我の言葉に間違いなど一つもあるまい? かつて打ち滅ぼした宿敵に酒と食料を献上しにくる勇者がどこにいる」
微苦笑を漏らしながらも食糧を受け取る元魔王ベリアル。
初めて邂逅した時の覇気も圧力も無くした男は小屋の奥に向かい穏やかな声を発した。
「ソフィア、また物好きな勇者が食糧を献上しに来た、お前もこちらへ来なさい」
ベリアルの呼びかけに応じて顔を出したのは未だあどけなさは残るものの美女と表現するにふさわしい容姿の女性。
切れ長の双眸から見える瞳は父であるベリアルと同じくアメジストのような紫の輝きを放ち、根本は青紫から始まり毛先にいくほど透明感のある白髪に変化している特徴的な髪色をしていた。
「……どうも」
「ソフィアか、また一段と美人になったな。もう十七だったか?」
「十八」
スンとした反応で返され、ティーンな少女の扱いになど到底慣れてない俺はアセアセと苦笑いを浮かべるしかない。
「すまんな、最近は我相手でも同じような反応なのだ。許せ」
「ん? ああ、いいって気にしてないから」
素っ気ない態度ながらもきちんと俺とベリアルの為に木製のコップを準備してくれるソフィアに愛想笑いを浮かべ、再びスンとした対応に肩を落としながらも持って来た酒を互いのコップに注ぎ入れる。
「んじゃ、この理不尽で救いのない世の中に乾杯」
「……全然めでたくないではないか。まあ、違わないが」
カツンとコップをぶつけ合い俺は一気に酒を煽った。
度数の高い酒が喉を灼きじんわりと腹の中から体を温めていく。
同じく酒を一気に飲み干したベリアルが俺のコップに酒を注ぎながらぼやくように溢した。
「貴様が我を倒し、人族への侵攻を辞めさせてから二十年……方々に散った魔族も人族に狩り尽くされ、最早この世界に現存する魔族は我とソフィアを除き、いなくなってしまった」
元とは言え魔王であったベリアルは魔族の持つ魔力を感じ取れると言う。そんな魔王が断言するのだから間違いはないのだろう。
「我は思うのだ。貴様に敗北したあの瞬間、我は落ち延びることなく潔くこの命を——」
「それはない。あの時、トドメを刺そうとした俺の前にソフィアの母であるミレーユが飛び出して身を挺して守ったからこそ、俺は……目が覚めたんだ。愛する者の為に命を投げ出せる。そこに魔族も人族もない、俺達と何も変わらない存在なんだって」
彼らの容姿は確かに人族と比べれば異様に肌が白かったり、髪色が特徴的であったり。
中には頭部に角を持つ者などもいたりするが外見的には人族と大差ない。あえて言うならば彼らの行使する魔法の力が圧倒的に人族を凌駕する、という一点だろうか。
なぜエルフやドワーフ、獣族が人族よりで、魔族だけが敵とされるのか。それは目の前にいる魔王と呼ばれる存在を筆頭に、彼らが人族の最も脅威足り得るからに他ならない。
「我はよい。貴様との死闘は実に心躍るものであった。そこに一変の悔いなど有るはずもないほどに……だが貴様の立場はどうだ? 魔王であるはずの我を打った貴様がなぜ重罪人として追われ続けている」
「今日はやけに絡むな……まぁ、なんだ。俺は良いんだよ、ずっと独り身で守るモノもないし。
あん時はお偉いさんの考えなんて想像もしてなかった……間違ってるって思う事を、間違ってると言えば、なんとかなると思い込んでいたバカなガキ……若気の至りってやつだな」
再び酒の注がれたコップに今度はゆっくりと口をつけ、少量を口の中で転がしては味わうように飲み干す。
当時、魔王を倒した俺は彼を愛し慕っていた配下の女幹部ミレーユという魔族がその身を張ってベリアルを守る姿を見て、自分の信じていた『正義』ってやつの正体が分からなくなった。
そのまま魔王にこれ以上人族に仇なさないという最悪の取り決めを盟約とする事で満足し、あろうことか事の顛末を馬鹿正直に王国へと報告。
青臭くも魔族との和解案を国王へと直訴し、俺は魔族に懐柔された人族の裏切り者としてお尋ね者となった。それだけなら、まだ良かった……俺はそれから、とにかく理不尽に追い回される現実、理解されない怒りを持て余したまま逃げ続けた。
自分の事でいっぱいだった俺は気が付かなかった。魔王が律儀にも俺との盟約を守り、人族の手によって魔族が滅びの危機に瀕していたと言う事実に。
「あんたらを守ろうと息巻いた俺の行為が、魔族を滅ぼしたも同然だ……俺はその贖罪のためなら命をかけてあの王国の人族どもを——っ!」
コンっと響くように木製のコップを机に置いた魔王ベリアルが静かに俺の方へと視線を向けた。
「リョウマよ……以前話していたな? 貴様はここではない、別の世界から召喚されたのだと」
「あ、ああ。そうだな、確かに俺の故郷はこの世界とは別にある」
遠く懐かしい記憶に想いを馳せる。高校の入学初日、未だ幼い妹と両親に手を振って見送られたあの日、俺はこの世界へと強制的に呼び出された。
「この世界の女神とは邂逅を果たしたのだったか?」
「あ〜、あったなそんな事も」
訳もわからないまま真っ白な空間に立っていた俺はそこでこの世のものとは思えない人外の美貌を持つこの世界の女神を名乗る存在に、様々な恩恵を貰った。
『この世の理と摂理を歪曲せし禁忌に巻き込まれた哀れな人の子よ……汝にせめてもの恩寵と加護を。そなたに課せられた使命を私は改変できない、ただこの剣が使命を成せし時、導となるだろう』
と、たしかそんな事を言われ与えられた【聖剣ルクス】。他にも言語理解やアイテムボックス、大精霊との契約者、なんて物々しい称号なんかもあった。
今となっては振るうべき力の方向も正しさも、見えなくなってしまったけどな。
「貴様の使命とは、つまり人族が召喚の際に術へと編み込んだ定義。魔王という楔が貴様を縛っているのだな……」
何かをぶつぶつとボヤきながら酒を転がす魔王を横目に俺は干し肉を肴にチビチビと酒を飲む。本来ならこの魔王が本気を出せば人族に魔族が滅ぼされることなど無かったはず。
「なぁ、あんたはなんで俺なんかの約束を……」
「我ら魔族にとって盟約とは命よりも重い約束。だが、勘違いするな勇者よ。我らが滅んだのは何も貴様との盟約を我が守っていたからではない」
訝しむ俺を制するように一気に酒を煽った魔王が立ち上がり、言葉を続ける。
「我は、我の盟約を魔族全体に課してなどいない。ただ我と言う頂点を無くした魔族が種として人族の強さに劣った。それだけのことよ」
それはこうして魔王の元を訪れるようになってからの数年間散々聞かされた問答。
それでも俺はあの時の浅慮な自分を許せていない。許されるはずが、ない。
チラリと同じテーブルでパンを齧っていたソフィアへ視線を向ける。偶然こちらを見た彼女の瞳には特に俺への恨みなどは浮かんでいるようには見えないが、
「……」
「……」
だからと言って何も思うところがないと考えるのは愚かと言うやつだ。
魔族は強さを至上とする種族。正々堂々と魔王を打ち破った俺が恨まれることなどない……なんて理屈をいくら並べられても俺自身が納得できないわけで。
「……来い、【魔王剣ブライト】」
徐にベリアルが虚空より取り出した深い夜を思わせる美しい愛剣を手にしていた。
俺が「え、なにしてんの」と呆けていると。
「よし、死合うぞ。表へでよ、リョウマ」
魔王が御乱心めされていた。
***
夜の帷も降りきり、肌を刺すような風が吹き荒ぶ中、魔力全開やる気マックスで剣を構える魔王ベリアル。
何が何だかわからない俺は取り敢えず【聖剣ルクス】を構えてはいるものの状況に置いていかれていた。
「ふむ、こうして全力を出すのはあの日以来だな……ソフィアよ、父の、いや、魔王たる我の生き様とあり方をしっかりとその瞳と心に刻むのだぞ」
真剣な面持ちで語られるベリアルの言葉にソフィアはしっかりと頷いて応えた。
「いや、ちょっと待て。なんだよその、死地に向かう親子のやり取りみたいな奴は。というかベリアル、お前盟約はどうした? さっきまでの言葉と行動に矛盾しかないのだが」
半ば呆れ気味の俺に対してニヒルな笑みを持って返す魔王は言った。
「盟約を違えてなどおらぬよ。我は唯一無二の友にして僅かな期間でも子を持つ親としての喜びを享受させてくれた貴様に、最大限の感謝と敬意をもって我が人生最高の一撃を贈る! 光栄に思え勇者」
全く意味のわからない持論と状況に困惑しか出てこない。
だが、否が応でもわかることがある。
魔王ベリアルは本気も本気、魔王の剣に収束されていく魔力の高まりが嫌と言うほど俺に本気で剣を構えさせる。
「おいおい……マジでどうしちまったんだ。そんなもん、本気で受けねぇと死んじまうじゃねぇか」
「ああ、本気で受けよ。一切の加減は許さぬ! 貴様も我を友とするならば全身全霊を持って応えるのが礼儀! いくぞ、勇者よ‼︎」
闇色の軌跡を引きながら【魔王剣ブライト】が主人の意に応え振るわれる。
「なんだよ! なんだってんだよっ⁉︎ チクショォオっ————」
本能が警鐘を鳴り響かせる。俺の体は反射的にギアを最大限まで加速させ、全力を持って魔王の剣を迎え撃った。
ぶつかり合う闇色の輝きと神々しい光の放流。
約十年の時を経て交えた互いの剣は刹那の拮抗を見せ。
「……フッ、良き友に感謝を」
「——っお前!?」
僅かに緩む魔王の力。
俺の剣はまるで受け入れられるように魔王の胸へと吸い込まれていく。
気がつけば【聖剣ルクス】は魔王の心臓、その一点を見事に刺し貫抜いていた。
「——なんだよ、なにしてんだよっ、お前!?」
慌てて癒しの光を手に纏い魔王の傷口に当てようとした所でグッと腕を魔王自らが掴んで止めた。
「よい。これで、よいのだ。貴様をこの世界に縛る楔もこれで消えよう……妻と娘を持ち、ひと時でも魔王ではなく一人の父として過ごせた時に、感謝を」
魔王の体は聖剣の力によって浄化でもされていくかのようにサラサラと塵となって消えていく。
俺はその光景に込み上げる嗚咽を殺しながら、ただ何もできず頬を濡らす事しかできない。
「リョウマ、我が友よ……願わくば、娘を、ソフィアを、貴様の世界に……争いのな、い、平和な」
魔王の声が静かに、その体と共に俺の手の中から消え落ちた。
瞬間——俺の周囲を光る魔法陣が駆け抜け、あたり一体が厳かな光に包まれる。
「っち——、俺なんかのために命かけやがって。そう言うことかよクソ野郎が!」
俺は地面に転がっていた【魔王剣ブライト】を拾い上げ、唖然としたままのソフィアへと手を伸ばす。
「全然納得はいかねぇけど! お前の願いは絶対に、命に変えても守るっ! ソフィアっ! ベリアルの意思を、俺に叶えさせてくれ‼︎」
僅かな逡巡、ソフィアは意を決したように首を縦に振って、俺の手を取った。
柔らかく温かい光が俺とソフィアを包むように収束していく。俺は、二十年前に味わった感覚を思い出しながらその光に身を委ねたのだった。