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第16話:十八歳の少女(魔王の娘)を実家に連れ帰ったおっさんの末路

「勇者、格好悪い」


「いや、まて、違う。ただちょっとな? 心の準備がだな」


 変わらない実家の存在に大きな安堵と込み上げる感慨を深く感じながらもいざ向かおうとするとやはり足取りは重く、今更どの面下げて? というネガティブな感情が再び顔を覗かせる。


 実家は戸建て住宅の立ち並ぶ住宅地の一角にあり、家々の立ち並ぶ通りに面した道路は車通りも少なく通学路としての側面が強い。


 そんな道路の電柱の陰から実家を見つめる中年と少女の組み合わせは周囲から見て不審者以外何者でもない。


「はやく、はーやーくー!」


 やめなさい! 

 年若い女の子が、中年の脇腹をツンツンするのは、やめなさいっ。


 モゾモゾと怪しさしかないやり取りを繰り広げていた俺とソフィアの目の前をふいに少し離れた距離から車のヘッドライトが視界を白く照らした。


 途端に直前までの自分の対応とソフィアとのやり取りに気恥ずかしさを覚え、冷静を装って佇む。


 俺とソフィアの目の前を住宅街に適した速度で比較的ゆっくりと通り過ぎる車は見るからに高級な黒塗りのセダン。


 チラリと覗き見た車内には仕立ての良さそうなスーツを着た若い男が運転し、助手席には若い女性——どこか既視感を感じるのは。


「あれって、勇者の……」

「あ、ああ。実家の前で止まったな」


 明らかに実家の雰囲気とはかけ離れた高級車が一体何の用で? 


 まさかタチの悪い輩と繋がっている訳じゃないだろうな!?


 突如現れた謎の高級車に不信感を抱くも、突如舞い戻った消息不明者である身としては何ともいえない心持ちで黒のセダンを観察し続ける。


 助手席のドアが開く。


 降り立ったのはスラリとしたスーツ姿が印象的な亜麻色の髪を大人っぽくアップにまとめた、正しく大人、と言う雰囲気を全身から醸し出している美女。


「今日はわざわざありがとうございました。ご飯も、ご馳走様です」


 女性は後部座席から荷物らしき物——二対の短剣。双剣か? 


 スーツケースに一体型の鞘と双剣って……これが物騒じゃない現代の情勢とは。


 取り出したスーツケースを手に、運転席から降りたスラックスと洒脱なベストを上品に着こなした美丈夫。


 銀縁のメガネが何処か鋭い眼光と交わって冷たい印象を与える男性に深々お礼を伝えていた。


「このくらい、婚約者として当然の責務だ。それよりも明日は新人を含む初めてのダンジョン遠征だったな? 君の働きには期待している。新人の引率と教育、よろしく頼む」


「は、はい。全力で役割を——っ」


 女性が男性の言葉に僅かな緊張を抱きながらも言葉を返そうとした瞬間。


 クイっと顎に手を添えられ、紡ぎかけた言葉を語らせる事なく半ば強引にその唇を重ねられた唇で塞がれる。


「「————っ⁉︎」」


 青天の霹靂の如く、剣と魔法のファンタジー世界からやってきた俺とソフィアには刺激の強い大人な逢瀬っ! 


 いや、俺は良い歳こいてと言う話ではあるが——なにぶん、こう言った事には慣れていない。


 しょうがないんだ! 勇者からお尋ね者に転落急降下した俺にゆっくり恋愛なんてする暇なかったんだよっ! 


 ただ、流石に基本大人対応なソフィアにも今の光景は衝撃的だったらしく顔を真っ赤にして可愛らしく手のひらで覆っている。


 年頃の少女と同じ反応のおっさんと言う受け入れ難い現状を軽く咳払いで無かった事にして、「まったく、最近の若い奴らは〜」などと言ってみたりしながら平常心を限りなく装う。


「今日はゆっくり休め」

「は、はい……おやすみなさい」


 恥じらいなど微塵もなく、女性の唇を奪うなど日常の一幕かと言わんばかりのごく自然な動きで女性から顔を外し車に乗り込んだ男。


 去り際に上司の様な一言を残しその場から車を走らせていった。


 呆けながらも一応は返事を返した女性の言葉はおそらく男の耳には届かなかっただろう。


「……」


 しばらく車を見つめていた女性は、その指先で自らの唇をなぞる様に這わせ。


 脱力した様子で星々の瞬き始めた夜空に顔を向ける。


 頬に涙? 婚約者って言ってなかったか?



「大丈夫?」

「え? あなたはっ、あ、やだアタシったら——」



 遠くを見つめながら逢瀬の後で人知れず涙を流す麗女、そこにスッとハンカチを差し出して声をかけるのは負けず劣らず美少女な魔王の娘——ってソフィアさん? 


 何をやっているんだあの子は。


 戸惑いながらも差し出された純粋な厚意に「ありがとう」と、いつ買ったのか、差し出されたソフィアのハンカチを受け取り微笑みで返す美女。


「あの人のこと、好きじゃないの?」


「なんか、カッコ悪い所見られちゃったわね……ん〜どうなんだろう、好きか嫌いか……でいえば、苦手?」


「でも、その……キス」


「あはは……そうね、されちゃった。アナタぐらいの時はアタシにとっても特別なことだったけど、大人になると、あんなに簡単に受け入れちゃうんものなんだな、って……自分でも驚いてる所」


 絶妙な距離感を保ちながら二人の様子を眺める俺は只管に居心地の悪さを感じている。


 なんか、俺の経験したことない大人なムードの女子トークが繰り広げられているっ! 


 今更あの空気に入っていくのもおかしいし、かと言ってこの場を離れるわけにも。


「あなたは? 近所の子じゃなさそうだし……このあたりに用事?」


「私は、ゆう——、あの人の家に連れて行かれている最中」


 少女の白い指がビシッと俺を貫く。言い方!?


 瞬間、警戒した色を滲ませて胡乱な視線が隣の美女から俺へと突き刺さった。


「あ、いや、俺はそういう感じの人間じゃなくて」


 なんでこう言う時の弁明ってのは怪しさを強調する台詞しか思い浮かばないんだっ! 


 グッとソフィアの体を守る様に抱き寄せ、それはまさしくゴブリンを目にした女性冒険者の如く眼光に侮蔑と警戒が滲み、俺から二人揃って一歩距離を取る。


「あなた、おいくつですか? この子とどう言う関係?」


 確かに! 俺がアナタの立場でもそこは絶対聞きます! 


 そしてうまく一言で答えられない関係なんだよなコレが!


「俺は、三十五だが、彼女とはそういうんじゃなくてだな」


「三十五? そんな人がこんな夕暮れにどう見ても未成年の女の子を連れて何処にいくと? 悪いけど、きちんと事情を説明できないのなら警察を呼ばせてもらいますから」


 端的に関係性を応えられない俺の慌てた様子に警戒度を明らかに引き上げた様子の女性。


 ソフィアに誤解を解いてもらうしかないが——視線で合図、了解、と頷きが返ってくる。


 大丈夫だよな?


「待って、勇——その人は……私を、遠いところから連れてきて、宿、じゃなくてホテル? に入れないから、家で、その、私も初めてだから上手くできるか不安で」


「警察に! 通報します‼︎」


 言い方ぁああ!? 


 さっきまでの聡明さは何処に? ホテルの件はさ!? 違うだろ! 色々と前後の状況があるだろ? 


 それに今説明する必要がない情報じゃないか!?


 あと初めてって何が!?


  今から行くのは俺の実家で、ソフィアは、ああ!

 初めて俺の両親に会うからかっ!! 成る程納得!!


 もっと説明の仕方あっただろっ!?


「ちょっと、待て! 待ってくれ、俺はただ二十年ぶりにその子とっ!」


「あ、警察ですか? 不審者、というかおかしな男性が十代の少女を——」


 俺の言い方も、もっとあっただろうが!? バカなのか!?


「待て、早まるな! 俺は、目の前の家に用事が!」


「はぁ!?  目の前って、ここはアタシの家ですが!?

 え、まさか強盗殺人!?」


「決めつけの範囲が凶悪すぎるだろう!? 俺は——」


 誤解が誤解を生み収集がつかなくなっていく事態に俺と女性の言い合いは次第にヒートアップして遂には近隣住民を巻き込む大騒動に、なる事はなかった。


「……涼、真?」


 掠れ、絞り出す様に呟かれたその一言は俺とスーツの女性が言い合いをする目の前の家から確かに響いた。


 平均より少し背の低い白髪混じりの優しい目をした女性の声。


「お母さん!? 今、この不審者が家の前で若い子を連れてっ、とにかく危ないから家に——」


 女性が言い終えるよりも早く、つっかけたサンダルが脱げるのも構わずに走り寄り——思い切り俺の、当時より成長し、また人生の節目と言っても良い年齢を超えてしまった俺の顔を真っ直ぐ、何の疑いを挟む余地もなく、ただ真っ直ぐに見つめ、叫び、抱きついた。


「涼真っ! あ、ああ、涼真! おかえり、おかえりなさいっ」


「——っ、かあさん……」


 今までの葛藤や不安が嘘の様に溶けていく。


 俺は随分と小さく感じる様になった母の背中にしっかりと手を伸ばし支える。


「え……、お母さん? 涼真、って、え!? まさか、お兄ちゃん?」


 思い返せばまだ小さかったにせよ面影のある顔立ちだった。

 気がつかないのは俺の方じゃないか。


 世界に一人しかいない大切な妹の顔を、俺が忘れてどうする。


 スーツの女性、俺の妹である氷室舞衣は唖然と状況が受け入れられない様子で立ち尽くしていた。


 そうだよな……二十年、当時五歳だった事を考えれば大人になっていて当然だ。


 そうなると、先ほどの男とのやり取りは兄として見過ごせない事態だったような。


「おーい、なにを騒いで——。おい、まさか、まさかっ」


 次いで家の中から姿を現したのは——嗚呼、クソ。

 二十年前まではあんなにデカく見えてたのにな……随分と、小さくっ。


 小走りでみっともなくも近寄ってきた少し頭皮が寂しくなった様にも思える男性は、俺と俺にしがみつき涙を流す母の様子を見比べ。


「涼真、なのか? 本当に——」


「ああ、俺だよ父さん」


 以前よりも随分と皺の増えた父の顔が大きく歪み、堪えきれなかった大粒の涙が溢れ、落ちる。


 母と同じく手を伸ばし肩を抱き寄せた父の背中。


 両親を腕に抱くその感触は、想像の中で描いていたものよりも随分と小さく、頼りなくなってしまったように思えて、


「おかえり、涼真」

「おかえりなさいっ、涼真」


「ただいま、父さん、母さん……」


 ただ躊躇なく、二十年経った、待たせ過ぎてしまった今でも、何よりも先に「おかえり」と一言で受け入れてくれる両親。


 その大きさと暖かさに、今は年齢など関係なくただ一人の息子として甘えようと思えたのだった。

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