俺たちの知る常識で考えるならば、魔法を行使する方法は大きく分けて三つ。
一つはシンプルに【魔法】という〈概念〉を学び、魔法式を理解し、大気に満ちる〈精霊のマナ〉に干渉する。
火、水、風、土、雷そして光、闇。
これらの属性が〈適正〉のある術者の〈魔力〉に呼応し【魔法】という形をなす。
二つ目は〈精霊のマナ〉ではなく、〈精霊〉そのものと契約し【魔法】を行使する〈契約精霊〉による【精霊魔法】だ。
これは、俺の使っている魔法のスタイルで通常の魔法よりも精霊が直接魔法を行使するため威力や規模が段違いに高い。
ただデメリットとして、あくまで〈精霊〉を使役するスタイルなので何もかも術者の思い通り、とはいかない部分も多々ある。
契約する〈精霊〉が高位であればあるほど【魔法】も強力になるわけだが……同時に自我を持ち往々にして癖が強い。
どのくらい癖が強いかはシュナイムやシャロシュを思い浮かべれば言わずもがな。
常に胃痛と戦う羽目になる。
自由自在に魔法を行使したいのであればソフィアのように、〈魔導書〉などから自力で【魔法】という技能を取得した方が、使い勝手は比べるまでもない。
こちらに関しては『適正』や『才能』が大きく関わってくるので万人が誰でもソフィアのように、という訳にはいかないけどな。
魔王の娘はその名に劣らず天才なのだ。
最後の方法が所謂〈魔道具〉。
魔杖や魔剣、魔槍など武器事態に何かしらの魔法的付与や使用者の身体機能などに作用する特性を有しているもの等その在り方は千差万別だが、単純に『魔法を行使』という効果に絞るなら〈スクロール〉などが一般的だろうか。
剣や杖に魔法式を組み込み魔力を込めれば【火炎球】などの魔法が発動する武器もあるにはあるが、武器に付与できる程度の魔法なら正直大抵の人間に覚えられるし、魔法を意識するあまり武器本来の持ち味を殺す可能性もある。
俺やソフィアの感覚からすれば、剣は剣、魔法は魔法として使うもの、という認識のほうが強いかもしれない。
「——朝、か」
パチリと目を覚ます。
見慣れた——とは言い難いが、ひどく懐かしい天井。
オーソドックスなLEDのシーリングライトに少し色褪せた天井のクロス。
「自室と言うには、年齢的に厳しいものがあるよな……」
見渡せば当時集めていたバトル漫画のフィギアに普通の高校生男子が好きそうな雑貨が並んだ棚。
昨晩母から「部屋、そのままにしてあるよ」と、一度はドラマや映画で聞いたことのある台詞にグッと込み上げるものを感じ、感動を覚えもした。
ただそれは懐かしさが薄れていくに連れて、どう見ても『十代男子の部屋』で寝ている三十五歳という現実が微妙な羞恥を駆り立ててくる。
「しかし、久しぶりにゆっくり横になれたな——」
長い逃亡生活に慣れきっていた俺はベッドでゆっくり横になる事など殆どなかった。
現に今の感覚もゆっくり寝た、というより実際は横になって『体を休めた』に近い。
目を瞑ってもはっきりとしている意識の中では昨晩両親と妹に行われた『ソフィア式異世界魔法講座』の内容を改めて一晩反芻していた。
「五時前ってとこか……」
微妙に子供っぽさの残るカーテンの隙間から見える外の景色はまだ薄暗い。
「……舞衣?」
鳥も鳴き始めていない静けさの中、庭の方から微かに鋭利な風切り音が聞こえてくる。
朝から年若い妹が抜き身の双剣で鍛錬する『現代の日常』とは……。
未だに小さな違和感が満載の現代に対して益体のない思考を巡らせながら体を起こす。
隣の部屋で未だ眠っている気配を感じ取り、魔族のお姫様の安眠を妨げないよう、できる限り物音を立てずに俺は部屋を後にした。
***
「モジュールを使わずに【身体強化魔法】を使うって……一体どうすればそんなこと出来るのよ」
纏めた後ろ髪を煩わしそうに払いながら額から流れる汗をタオルで拭い、荒い息を整えながら尖らせた唇で呟く妹。
俺はスッと足元に込めた〈魔力〉を瞬間的に高め予備動作なく妹の目の前へ、
「こんな風にだ——」
「ひっ!? いゃぁあああっ!?」
乾いた破裂音。
「っぶふぉあ」
華奢な平手から繰り出されたとは思えない衝撃が半ニヤケ面の頬を波打たせ苦悶に歪ませる。
絶対に魔力の乗った一撃だったと思うが?
「——っ、お、お兄ちゃん!?」
吹っ飛ぶ、とまでは行かないにしてもタタラを踏んだ俺はジンジンと痛む頬に【治癒】を施した。
「痛っ〜。感動の再会を経た妹に翌日全力ビンタされるとは夢にも思わなかった」
戯けながら肩を竦めた俺に膨れっ面で返す妹。
そういう表情はやっぱり面影があるな。
「清々しい朝の光を浴びている只中に『中年』の顔が突然目の前に現れたら大抵の女子は殴るのよ」
「凄まじい暴論だなおい」
これがソフィアなら——何故だ、考えただけで『魔王戦』以来の武者震いが。
「それで? いきなり現れてアタシの清々しい朝を奪った理由はなに?」
昨日よりも棘が増している気がするのは何故だろうか。
目的って言われてもな……兄心?
「その、なんだ、お前の持ってる〈ウェポンモジュール〉ってやつを少し見せてくれないか?」
「アタシのモジュール? い、いいけど。壊さないでよ?高いんだから」
妹は昨日ソフィアの講座であった【身体強化魔法】を練習するため手にしていた訓練用の双剣を鞘に収め、近くに置いてあったケースから美しい装飾の施された双剣の一振りを俺に手渡した。
「アタシの所属するクラン〈ブルーサーペント〉は四大クランに次ぐ大手のクランなの! この双剣も大きなクランに所属する恩恵の一つ。最大四つまで〈マギチップ〉をセットできる最新モデルなんだから」
鼻高々に説明する妹を横目に見た目ばかり派手に装飾された
「高いって、如何程で?」
「なにそのキャラ? ん〜多分八百万くらい?」
あー、成程。まあ武器だしな。はっぴゃくまんくらい、
「は、はっ、はっぴゃっ!?」
「だから言ってるの高いって。そっちは【身体強化魔法】と【風の補助魔法】の〈マギチップ〉が入ってるの、柄にあるトリガーを引いてみて」
基本的に小市民である俺のハートをブレイクする金額に落ちそうな顎を戻しながら妹の言う『トリガー』——柄の人差し指がかかる部分にあるフック型の金具を言われるがまま引いてみる。
「これは……」
瞬間、強制的に体から魔力が抜かれる感覚。
次いで全身に【身体強化】、感覚で言うなら中級冒険者が扱うようなレベルの強化。ついでにこちらも俊敏性を向上させるがほぼ同レベルの【風の付与】。
「これが、八百万……」
「そう! 驚いた? 確かに異世界の【魔法】も極めたら凄い可能性があるんだろうけど、そもそも武器が勝手に【魔法】を展開する『全自動化』の時代に昔に流行ったファンタジー系の魔法技術なんて——」
ここで妹を否定しても、彼女が信じ培ってきた努力を台無しにするだけ。
ただ、これはあまりにも——。
「ゆう、じゃなくてリョウマ、舞衣お姉様。おはようございます」
俺の思考を遮るようにふわりと二階の部屋から風を纏って降り立った天使……ではなく、魔王の娘。
だがその常人離れした美貌と雰囲気は『天使』と形容したくなるはず。
「ソフィア、ちゃん……天使?」
ほら、流石は俺の妹。
「? 私は〈魔族〉で、その、天使では」
「あ、いや、なんて言うかね? ふわぁっと、まるで風を操って天使みたいに飛んで、飛んで?
お、おにいちゃん!? ソフィアちゃん、浮いてる!
浮いてるんですけど!? なに!? 異世界の人って浮けるの!?」
まあ、大抵の実力者は浮ける——とは、妹のパニックを見る限り言わない方がいいかもしれない。
「鍛錬次第では、な。誰でもってわけではないし勿論【魔法】との適正もある」
「鍛錬次第……じゃあ、アタシも、空を飛んだり、は流石に夢見すぎ——」
「できる。お姉様は【魔法】の適正がとても高い、魔力も訓練次第で伸び、ます」
「——っ! アタシが空を、飛べる……つまり、『空撃魔法少女艦隊』に出てくる『ティファちゃん』並みの空中機動魔法戦をアタシが!?」
ちょっと二十五歳の美女がしてはいけない表情で遠くに意識が飛んでいる舞衣は一旦放置。
「ソフィア、ちょうど良かった。これを見てくれ」
俺は手にしていた妹の双剣と、抜き取った【身体強化】の〈マギチップ〉をソフィアへと手渡す。
「……これ、は。魔道具?
でも、身体強化を魔道具にする意味が……それにこの剣、『斬る』ことより、ただ魔法の付与に耐えられる耐久性しか考えてない? 意味が、わからない。
これじゃまるで〈魔法付与されただけの杖〉と変わらない。なんの意味が?」
【魔法】に深い造詣を持つソフィアからすれば【身体強化魔法】という概念自体、物申したい部分だろう。
昨日の講義でもやたらと熱を入れていたしな。
ただ、妹の様子から察するに素直には受け入れられず話半分だった可能性も高い。
俺とソフィアが何より驚き、同時に否定したいのがこの【身体強化魔法】なのだ。
「そもそも、
今は【風の付与】しか入っていない剣のギミックが発動。
ソフィアが僅かに顔を顰める。
「この魔道具は、確かに『農夫』や『商人』の御信用くらいにはなる、と思う。
でも、私たち〈魔族〉からすれば、邪道。とても、不愉快」
ソフィアが強制的に自身の体へ発動した【風の付与】を自らの魔力で強引にかき消した。
彼女の目は、ちょっと本気で怒っている……やらせる前に口で説明するべきだったな。
【魔法】の申し子とも言うべき魔王の娘にとって、この武器——使用者の魔力を強制的に抜き取って自動で【魔法】を展開、行使する仕様は【魔法】に独自の造詣と美を求める〈魔族〉に取っては忌むべき道具だろう。
特に【身体強化】、【魔力障壁】などは単に『魔力の運用』であり、便宜上【身体強化魔法】などと呼んではいるが、文字通り【魔法】ですらない。
「シンジ達から話を聞いた時から疑問はあったが、使ってみて初めて言っている意味が実感できた」
思い返せばあいつらは『モンスターと違って人間に魔力がない』と言っていた。
最初は異世界と現世の違いかとも思ったが、異世界で〈魔力〉に目覚めた俺にはこの世界、シンジ達や両親、舞衣が『無意識』に宿している〈魔力〉がはっきりと認識できている。
俺は憤るソフィアをなんとか宥めながら次に〈マギチップ〉を見せた。
指先程度の小さなプレートに何の用途かわからない電子回路が巡り、中心には【魔法式】。
「精密な魔法式だとは思うけれど? こんな、【魔法】の概念を愚弄するような——」
「作れると思うか?」
再び憤るソフィアを真剣に見据え俺は自分の中に芽生えていた疑問を魔法の天才である彼女へとぶつける。
「【魔法】という概念が〈ダンジョン〉と共にこの世界へ現れたとして、だ。たかだか二十年で、【魔法】への知識、その片鱗すら持ち合わせていない……現に、魔力を運用することすら出来ていない現代の人間にコレが、作れるか?」
「——っ! 確かに、不可能、と言わざるを得ない……私でも、この魔道具と魔法式を作れと言われたら、勿論できるけど、とても時間がかかるし、まず、発想に至らない」
俺の言葉に目を見開いたソフィアがゆっくりと現実を抵抗しながらも言葉にして消化するのを待つ。
脳裏に思い起こすのはファミレスで出会った癖の強すぎる『謎のメイド少女』。
「あの、『はぐれメイド』? とか名乗った奴は、俺とソフィアの素性を知っていた。あの時に気がつくべきだったんだ」
「勇者の、この世界に、私たち以外の『元の世界』から来た奴らが、いる?」
俺とソフィアの間に吹き抜ける朝の爽快な風とは裏腹に、得体の知れない不気味さが俺たちの未来に待ち受けているような気がしてならなかった。