ニマニマと品のない笑みを湛えた鬼崎が『試験用』のショートソードを放り投げる。
俺は放られた剣をおもむろに拾い上げ、きっちりと正眼に構えた。
「お、なかなか様になってるな? 剣道でもやってたか——おっさんっ!」
打ち込んで来いと言っておきながら突進して来た鬼崎は勢いのまま横なぎの大振り、俺は剣を盾に防ぐも勢いに蹌踉めく。
剣にセットされている【身体強化魔法】とやらの強化効率が悪すぎて逆に安定しないな。
「オラオラっ! 剣道でも空手でも、通用すると思う技は何でも試せよおっさん! 実戦はお行儀のいいスポーツとはちげぇぞっ!」
屈強な体躯から繰り出される力強い打ち込み。
蹌踉めいた瞬間を逃すまいと畳み掛けるように繰りだされる剣撃。
俺の魔力を強制的に吸収して発動した未だ慣れない【身体強化魔法】に違和感を覚えながら返す剣で打ち合い防いでいく。
「なかなか粘るじゃねぇか! おっさん、の、くせに、よおぉ!」
ふっと止んだ剣撃の合間に繰り出された鋭い正面蹴り。
剣の腹で防ぐも体ごと後方に飛ばされてしまう。
「っと」
着地後に勢いを殺しながら後退、僅かに足がもたついてしまった。
「ぷっ、ははははっ! どうしたよおっさん! もう足腰にガタがきたか? 初めは底上げされた身体能力を使いこなすのに手間取るもんだが、〈専門校〉で戦闘教育を受けていないにしちゃ、よくやってるぜ? だが、まあ、俺に一太刀いれるには
悠長に構えをといて肩に剣を担ぎながら笑い声を上げる鬼崎。
————経験、ね。
「おい、ガキ。戦闘中に相手から目離してんじゃねぇよ」
「あっ——っ!?」
相手が一瞬、俺という対象から完全に意識を外した刹那。
瞬時に距離を殺して懐に入り込み、そのまま剣の腹で顔面を弾く、
「あー、思ったより飛んだな。足腰の魔力強化が足りない証拠だ」
思いの外強く吹き飛んだ鬼崎が顔からつんのめって情けない格好で地面を滑る。
「——っ!? お、おばえっ! いっだい、なじおじたっ!」
ドクドクと鼻から流れ落ちる鮮血を抑えながら何とか戦意を保とうとする鬼崎を一瞥、無意識のため息を一旦呑み込んで、剣を向ける。
「お前、魔王を倒したことはあるか?」
「は、は? 何を寝ぼけた事言ってやがんだこのファンタジー厨が——っかは!?」
剣を杖に何とか中腰になって叫ぶ鬼崎の前へと瞬時に移動、鳩尾を蹴り上げる。
苦悶に表情を歪め、膝を折って蹲ろうとするその肩を足で持ち上げて押さえ膝立ちの状態を強制。
首筋に刃先を当てがい、
「以前に窮地を救った村へ立ち寄ったら手のひらを返して石を投げられた経験は?」
「い、意味の、わからねぇことばっかほざいてんじゃねえ!」
戦意の折れかけた心を無理やり奮い立たせた鬼崎は俺の足を振り払うように強引に立ち上がり、動揺からか型も技術もない大振りの剣を振りかざす。
俺は危なげなく体を半身にしながら躱し、足をかけて体制を崩したガラ空きの背中を剣の柄で打つ。
「ぐぅ——っ」
くぐもった声、どうにか受け身を取った鬼崎は敵対しながらも怯える犬のように歯を食いしばるがその瞳はどこか恐怖を湛えている。
「馴染みだった酒場で毒を盛られた経験は?」
俺は変わらず淡々と問いかける。
「……い、意味が、わからねぇ、一体あんたは」
「一度は恋仲になりかけた女が暗殺者を誘うために夜這いをかけにきた経験」
俺の終わらない問いかけ、要領をえない言葉の応酬に鬼崎の体は本能的に後退り始めた。
「戦場を共に駆けた戦友に、酒の席で騙し討ちに遭い、その友の剣が浅慮な自分の腹を貫いた経験は?」
「や、やめろ、もう、わかった! オレの負けだ、負けでいいっ!?」
剣を放り投げた鬼崎は背を向けて走り出す。
俺は先回りした後で足払いを掛け転がり倒れた鬼崎の肩を足で踏みつけ、片手に持った剣を静かに振り上げた。
「その戦友を、手にかけた経験は? 毎日毎日、執拗に迫り来る人間を日々殺め続けた経験は? 信用のおける人間が町に国に、一人もいないと気がつき絶望した経験、気まぐれに助けようとした子供にすらナイフを突きつけられた経験、が、お前にはあるのか?」
振り下ろすのは安全に考慮したはずの刃が潰された剣。
だが、この速度と俺の技量があれば簡単にこの潰れた刃は、男の首を断ち切るだろうな——。
鋭く甲高い音。
視線を向ければ恐怖にガチガチと歯を鳴らし股を濡らした鬼崎、その首元に落ちかけていた剣の刃先を迎え撃つように差し出された美しい蒼穹の様な色をした一本の槍。
「
「今度は本当にガキか? 別に、本気でヤるつもりはないさ、んでお前は誰だ?」
真っ青な髪にひと束だけ、まるで毒牙を思わせる紫色の前髪。
変わった髪色の少年の持つ槍の穂先が、寸止め予定だったが苛立ちもあってそれなりの力で振り下ろした剣を半ばで受け止めていた。
「うっそだぁ〜、そんなに濃い殺意駄々漏らしな人、初めて会ったよ?」
ケタケタと可笑しそうに笑う少年はパッと見あどけなさの残る子供、に見えなくもない。
俺は警戒を一切緩めることなく、剣先を少年に滑らせ睨み据えた。
「誤魔化すな。俺は『お前は誰だ』、と聞いたんだ」
「くふふ、イイね、イイねっ! 氷室さん、もしよかったら僕の——」
「ぅおいっ! ちょっと待てや青ミミズ! おい、おっさん! そないなガキほっぽって、ワイと話しようや」
ドスンと客席から重量のある音を響かせて飛び降りたのは少年と対照的に、ゴツくはないが機能的に鍛え上げられた肉体であることが見て取れる体躯の青年。
オールバックにまとめた真っ赤に燃える様な赤髪、色までも少年とは真逆。
「なに、なんで君が出張ってくるのさ赤ネコ! 氷室さんは僕が先に、もっと言えば
「あぁ? んなもん、ワイかてずうっと真上から見てたわボケカスっ! ここは大人しく譲っとけミミズアホんだら、このおっさんはガキたれに御せる玉と違う」
突然の乱入。
予定外の事態に一先ず肩の力を抜いた俺は剣を納め一歩その場から距離を取る。
聞き耳を立てれば観客席に座っていた数名が騒めき経っている様子、有名人か?
『おい、あれってまさか』
『ああ! まちがいねぇ! なんであんなビッグネーム二人がこんな場所に⁉︎』
『え〜、誰っすか? アタイしらねぇ〜』
『『えっ? 誰……』』
『無知な鳥さんだから気にしないほうがいいよ〜、で、誰なの?』
『あ? どらネコがこんな所で何してやがんで——』
『へい、お嬢! 髪の青い方のガキは、ガキに見えますが実際二十二歳と成人してやして、それどころか四大ギルドに続く二大勢力の一方、クラン〈ブルーサーペント〉のクランマスター
『お、おい、下もスゲーがこの方達はもしや』
『最近話題のチャンネル登録千万越え、『中の人』と似すぎなヴァーチャルライバーと』
『地下組織を締めまわっていらっさるツヨツヨアイドル様では』
『『はぁ〜い! 今日ここで』』
『限定ライブ』
『ゲリラ乱入ライブ』
『『やるからよろしく……』』
『お嬢、もう片方の赤髪も蛇喰と同じく二大勢力のクラン〈紅蓮獅子〉クランマスター
『ゲリラライブってなに? ボク聞いてないんだけど』
『ノンノン、言ってねぇからゲリラなんじゃね? てかネコっちあの青髪とキャラ被ってっけどそこんとこどーなのよ』
『は? 知らないし、被ってないしね? 性別も可愛らしさも何もかもが女神とゴブリンくらいかけ離れてますけど? というか、まさかボクのライブに乱入しないよね?』
『はぁ〜、最近『地下組織アイドル』だの、訳わかんネェクソ三流が出張ってきてるってんで〜アタイがエンタメの真髄をガチ殴り込みで見せたろっかなぁ〜って、思ったらまさかのアイドル被れ勘違い野良猫で草生えまくるぅ、てへ?』
『溺れコロス』
『感電して逆コロっしょ』
聞かない方がいい会話しかなかった。
とにかく今は実技試験——って、こっちもまだ青髪と赤髪で歪みあってるしな。どうしたものか。
ふと目についたのは足元に転がっている鬼崎が手に持っていたバインダー。
俺はそれを拾い上げると未だに震えている大男の目の前にバインダーを広げ、
「合格、だよな?」
「ひ、ひぃ」
コクコクと無駄に首を振り続ける鬼崎を制して、バインダーに挟まっていた『実技試験審査』の用紙に『満点合格』の捺印を押してもらう。
よし、これで残すは筆記のみ! 五十点ぐらいなら何とかなるだろう。
その後俺は下階と上階で混沌が渦巻き始めていた実技試験会場をひっそりと抜け出し、気持ちも新たに『筆記試験』の会場へと勇み向かったのだった。
***
時刻は夕暮れ。
人の出入りも少なくなり始めた〈ダンジョン協会〉エントランスホールにて。
『探索者試験、受験番号一番、氷室涼真様。受付までお越しください』
久しぶりに受けた筆記問題。
意外と全部埋められた充実感に酔いしれていた俺を呼び出すアナウンスに従い受付へ。
「お、先ほどはどうも! 確か合格後は色々と費用がかかるんだったよな? だが、それもこのブラックなカードで」
気分も僅かに高揚していた俺は申し込み時にも手続きをしてくれた女性職員の前に意気揚々と座り、冗談混じりに軽快なトークを切り出した——。
「あ、えっと、はい。氷室、涼真様ですね。え、っと、こちらの封筒に結果の用紙が入っております。本日はありがとうございました、またのお越しをお待ちしております」
差し出された一通の茶封筒。
そそくさと事務的な対応で処理した後、一切視線が合わなくなった女性職員に疑問を抱きながらも何となく出口へと向かう足。
自動ドアが開き夕闇が落ちかけている空の赤い日差しに顔を照らされながら茶封筒の中身を確認。
『受験番号一番、氷室涼真殿。実技試験満点、筆記試験八点、総得点一〇八点。基準点数に届かなかった為、不合格』
「え」
その日の夕日は、やたらと目に沁みた気がした。