「ねぇ君さ、僕のペットになる気ない?」
ある晴れた日、月の光を溶かし込んだようなプラチナブロンドの髪をなびかせ、赤い瞳の奥に隠せない欲望を称えた美しい青年がずぶ濡れの私を見下ろして言った。
「いいよ!」
今しがたホテルの池で溺れた幼い頃の私は、助けてくれた青年に快く返事をした。まだ五歳だった。
そんな私の答えに青年は甘く微笑んで優しい声で言う。
「契約成立だね。それじゃあこのまま助けてあげる」
そう言って青年は私の手を取り手の甲に口づけて、ペロリと舐めた。そこにはさっきまでは無かった花のような痣が残される。
「また君に会える日を楽しみにしているよ、絃ちゃん」
青年はそれだけ言って私の頭を軽く撫でると立ち去ってしまった。
今のは一体何だったのだろう? そう思うよりも先に私はホテルから飛び出してきたメイド達に抱えられ、両親にこっぴどく叱られ、より一層自由が無くなってしまったのだった。
あれから13年。幼い頃にそんな事があった事などすっかり忘れた
「おはようございます、お嬢様」
「おはよう」
最後の制服に身を包んで振り返った私を見て、メイド達が感激したかのように目を輝かせた。
「ああ……お嬢様の制服姿もこれで見納めなのですね……それにもうじきお別れだと思うと、私……」
涙ぐんでそんな事を言うメイドに私は花のように微笑んだ。そんな私を見てとうとうメイドが涙を零す。
「泣かないで。私も寂しけれど、これからは自分の力だけで頑張ってみたいの。いつもありがとう。準備が出来たらすぐに行くわ」
「なんて素晴らしいのでしょう! お嬢様は本当にご立派になられて……それでは、失礼致します」
メイドはそう言って毎日の日課である花瓶の花を替えて部屋を出ていく。
私はすぐさまドアに駆け寄って耳をドアにピタリと当てて、メイドが完全に近くから居なくなった事を確認すると、そのままベッドにダイブして声が漏れないように枕に顔を押し付けて叫んだ。
「自由だ! 夢にまで見た自由だぞ! へへ……へへへ! 一人暮らし始めたら何しよう? どこ行こう!? まずはクレープを食べながら歩くでしょ? それからケーキのバイキングにも行く! 毎日カップラーメン食べて、ピザもどか食いして——あ、想像したらお腹減ってきた。朝ご飯食べに行こ」
ひとしきりベッドの上でバタバタした私は髪を整え、制服のプリーツも揃えてしずしずと廊下を歩きだす。
顔には微笑。背筋はピンと。足音は立てず、滑るように歩く。
そう、私はお嬢様だ。今までずっと周りの望む私を演じてきた、大人しく可憐で心優しく清く正しいお嬢様である。
けれどそんな私はまやかしだ。本当の私は超がつくほど怠惰で面倒くさがり。はっきり言って人間力がかなり低い絵に描いたようなズボラ人間である。
それは自分でも十分分かっているのだが、大学生になる事を機に私は渋る両親を説き伏せてこの地を一人、出ることにしたのだ。
その理由はただ一つ。ジャンクなフードをどうしても、どうしても食べたかったからである。
あれは確か5歳の時だ。誰に貰ったのかは忘れたが、生まれて初めてハンバーガーとポテトと言う物を食べ、コーラというものを飲んだ。
その時、私の体にまるで雷に打たれたかのような衝撃が走り、思わずその場で走り出してしまった。美味しくて。美味しすぎて。
そしてその後、池ポチャして九死に一生を得たのだが、どうして助かったのかはよく思い出せない。
あれから私は誰にも内緒でハンバーガーについて調べ、ファストフードという存在に辿り着き、そしてジャンクフードという食べ物を知った。
世界には私の知らない食べ物で溢れている。私はそれらを食べ尽くしたい。その思いを胸に今まで窮屈で退屈な毎日を耐え忍んできたのだ。
朝食を優雅に食べ終えた私は、これからどこかの舞踏会にでも参加するのかと思うほど着飾った両親と共に、三年間皆勤賞で通った高校の卒業式に出席するべく、家を出た。
「ごきげんよう」
「ごきげんよう、香住さま。香住さまは春から都会の大学へ行かれるのでしょう?」
教室に辿り着き机の上に置いてあった卒業式の花を胸につけていると、クラスメイトで幼馴染の
「そうなの。南さまとはとうとう離れ離れになってしまうと思うと寂しいわ」
「私も寂しいわ。幼稚舎からの知り合いがまた一人この地を去ってしまうなんて。そう言えば香住さまのおうちは先月、子会社の株が大暴落していましたものね。娘一人ここの大学に通わせる事が出来ない程でしたの?」
冴子は悪気なくこうしていつも心の傷をグリグリと抉ってくるという、とんでもない趣味を持っている。