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第7話『世話係のひみつ』

 そこまで考えて青ざめた私は、急いで通りを出て足早に歩き始めたのだが、幸いなことに誰も声をかけてこない。


「早く帰ろう、そうしよう」


 危ない事をしたらすぐにでも家に連れ戻すと両親からも口を酸っぱくして言われている私だ。都会でまだ何も成し遂げていない(ジャンクフードもファストフードも食べていない)のに、連れ戻されるのだけは絶対に避けたい。


 足早に歩いていると、行く先々で黒服の男たちがまるで通せんぼするみたいに立っていて、私は彼らを避けるようにさっきとは違う路地に迷い込んだ。


「ここ、どこ……?」


 完全に迷子になってしまった私はその場で立ち止まり辺りを見渡していたけれど、奥の方にぼんやりと光る明かりが見える。その光を頼りに路地の中程まできた時、路地のさらに奥から誰か女の人の短い悲鳴が聞こえてきた気がした。


「っ!」


 大変だ! 誰かが今、正に攫われようとしているようだ! 


 あの運転手さんの言うように火事だと叫ばなければならないかもしれない。


 そう思いながらさらに奥に進んだその時、どこか見覚えのある男の背中が見えた。


 男の足元には一人の女の人がぐったりと倒れている。それを見て私は「ひっ!」と小さな悲鳴を漏らすと、喉の奥で何度も何度も「火事だ!」と叫んだ。


 けれど恐怖と焦りで声など一つも出ない。


 男は私の声に気づいたのかゆっくりとこちらを振り返り、薄く微笑んだ。


「駄目じゃない、絃ちゃん。こんな所に一人で来ちゃ」


 声の主は確かにセルヴィだと思う。


 けれど外見が私の知っているセルヴィとは違う。違いすぎる。


 顔の作りは同じなのに、目の前の男は淡いプラチナブロンドの柔らかそうな髪を夜風に靡かせ、周りの光を吸収するかのように輝いていた。そしてその瞳はまるで燃えるガーネットのような緋色だ。


 その儚さと激しさを含んだ妖艶とも思える美しさは喩えようもなく、圧倒的な支配者のようで、どう見ても明らかに人間ではない。


 その姿にゴクリと息を呑んだ私は思わず声を漏らした。


「セルヴィ……なの?」


 すると男は口の端を上げて笑みを浮かべたまま口を開く。


「そうだよ。僕はセルヴィ・ハミルトン。現代に生きる吸血鬼だ」

「吸……血、鬼……?」


 ああ、なるほど。これは夢か。そうだ。こんな時間に私が出歩く訳がない。何故なら私は品行方正なお嬢様なのだから。


 それだけ言って私はそっと目を閉じた。その途端やはり夢だったのか、意識がフッと遠のく。


 そんな私の体をセルヴィを名乗る吸血鬼が支え、耳元ですっかり聞き慣れた甘い声で囁いてきた。


「やっと捕まえた。もう放さないよ。絶対に」


 目を覚ますと私は自分のベッドで眠っていた。どうやら私は相当おかしな夢を見ていたようだ。セルヴィのあまりの麗しさに妄想が捗りすぎてしまったのだろう。だからあんなにもリアルな夢を——。


 そこまで考えて体を起こし、サイドテーブルに置かれている一枚の名刺を見て両手で口を覆った。


「ひぃぃぃ!」


 私は急いでベッドから飛び降りて部屋を出ると、リビングに駆け込んだ。


 そこにはいつもの姿をしたセルヴィが、今日もシンプルなエプロンをつけてお弁当箱の中におかずを詰めている。


「セ、セ、セルヴィ!」


 私の声にセルヴィがふと顔を上げて微笑んだ。


「おはようございます、お嬢様。今日は随分と早起きですね。もう少しでご飯が炊き上がりますので少しだけお待ちいただけますか?」

「あ、ええ、ありがとう——って、そうではなくて!」


 セルヴィはいつもの姿だし口調も戻っている。昨夜は確かに私の事を絃ちゃんと呼んだ彼だが、今はもうすっかりいつも通りのセルヴィだ。もしかして双子とか? もしくは自分の事を吸血鬼だと思い込んでいる別人格とか?


 色んな可能性を考えて混乱していた私をセルヴィが怪訝な顔をして覗き込んでくる。


「どうかされましたか? お嬢様。顔色がまるで冷蔵庫の中で腐りかけたナスぐらいどす黒いですが」

「く、腐りかけたナスって……ところであなた……生き別れの兄弟とか双子とかいる?」

「いいえ。妹は居ますが、今は音信不通ですね」

「そう。じゃあやっぱり別人格が……?」


 私がぽつりと呟いた途端、それまで私の顔を覗き込んでいたセルヴィがとうとう吹き出したかと思うと、ガラリとその雰囲気が変わる。


「ふはっ! はぁ、もう駄目だ。絃ちゃんは相変わらず小さい時から面白いなぁ! どうしてそんなに可愛いんだ」

「い、絃ちゃん?」


 身内以外にちゃん付けで呼ばれた事など無い私は愕然としてセルヴィを見上げると、セルヴィはそれまでの柔和な笑みを消し去って昨夜の覇者の笑みを浮かべる。


「昨夜の事、夢だと思ってるの?」

「や、やっぱりあれはあなたなの!?」


 思わず叫んでしまった私だったが、セルヴィは特に気にした様子もなくコクリと頷く。

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