乗車率百パーセントはゆうに超えている電車内で、
一七三センチある身長のおかげで、人が壁になり呼吸困難、というほどではないものの、やっぱり全方向から体を圧迫されるとそれなりに息苦しい。
けれどその息苦しさも、もうすぐ解消するはずだ。
電車がターミナル駅に停車し、乗客が雪崩れ出て行く。流れに巻き込まれそうになった陽向を、ぐっと力強い腕が引き寄せた。
「大丈夫か」
乗り込んできた乗客で再び車内が圧迫される。けれど、もうちゃんと息ができる。だって、
「陽向?」
優しく労わるような声音が寝不足気味の頭に心地よく響く。
「うん、大丈夫だよ」
「眠いのか? 昨日うちから帰ったの遅かったもんな」
「そのあともちょっと復習してたら、寝るの遅くなった」
「じゃあもっと寄りかかってていいぞ。ぼーっとしてて危ないから」
危険性があってもなくても、寄りかからせてくれるくせに。
誰が見たってイケメンだと言うくらい整った顔立ちの真紘は、ノリもよく男女ともによくモテる。
真紘の周りにはいつも人がいた。だから、真紘の側はいつでも取り合いだった。
陽向自身もクラスの中心にいたタイプで女子受けもそこそこよかったけれど、それは女子に警戒されにくい容姿だったからだ。色が白めでわりと華奢だとか、ふわふわの天然パーマが天使の赤ちゃんのように可愛いだとか。
真紘のように無意識に人を魅了するのとは少しちがう。
ではなぜ陽向がクラスの中心にいたのか。それはたんに陽向と真紘が幼なじみという関係で繋がっていて、陽向がそれを最大限活用して、真紘のそばにいたからだった。
「あ、そうだ。今日も学校終わったらうち寄るだろ? 母さんが陽向たちの分も夕飯用意するって。
「まじか、ありがと。父さんもばあちゃんも喜ぶよ」
ここ最近出張が多い母に代わって、真紘の母が入野家の夕食の面倒を見てくれている。
せっかく家が隣同士なんだから、いっそうのこと廊下で繋がってくれれば楽なのに、とは入野家と柳木家の母たちの言葉だった。いちいち外に出て玄関経由で食事を運ぶのがよそよそしくて嫌らしい。
たしかに、時間関係なく互いの訪問を許し合う両家なので、渡り廊下があっても困らないかもしれない。
陽向は真紘のことならなんでも知っている自信がある。趣味や嗜好、彼女の有無までなんだって。同様に、真紘も陽向のことを知っている。
もし本当に渡り廊下が存在していたとしたら、もっと真紘と一緒にいる時間は増えていただろうなと、陽向は思う。そうすれば、今よりももっと真紘のことを知ることができたのかもしれない。
「あー……眠い」
「あんま無理すんなよ。今から根詰めてたらあと二年持たねぇから」
「ん……でも頑張んなきゃ。夢はビッグなネイリスト、果ては独立」
「んな覇気のない声で言われてもな」
真紘はおかしそうに笑った。笑うと途端に少年のような無邪気さが全面に出るので、ギャップがずるいといつも思う。
「ね、ちょっと体重かけていい? 寝ないけど目瞑りたい」
「次の駅で俺と場所入れ替わるか?」
真紘は乗降口の座席の仕切り板に体を預けている。仕切り板に寄りかかった方が目を閉じるにはいいんじゃないかと真紘は言うけれど、それは望んでいない。
「このままでいい。ちょっとだけだから」
「じゃあ膝から落ちないようにしろよ」
「うん」
陽向は満員電車にかこつけて少しだけ真紘に体重を預ける。前で抱えていたリュックが真紘との間を邪魔するので、持ち手を掴んで膝のあたりで持った。重く感じてしまうけど、これでいい。どう見ても陽向が真紘にしな垂れかかっている図にしかならないだろうけれど、これでいい。
電車内はひどい混雑で人のことを気にしている余裕はないし、わずかな隙間でスマートフォンをいじっている人も多い。誰も陽向たちのことを注視している人なんかいないだろう。だから少し、男が男にもたれていたって誰も気に留めたりしない。
満員電車、グッジョブ。すし詰め状態の電車が嬉しい人なんてそうそういないに違いない。
入野陽向は、もうずっと、柳木真紘に恋をしている。