この世界にはもう1つの常識が存在する。
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分かれ道で右を選んだ現在の自分と、右を選ばなかったもう一人の自分が存在していて、それぞれ世界は交わることなく並行している、パラレルワールド。
この考え方だと世界は無限に存在してしまう。もし選択を違えていたのなら今と違った人生が待っていて、そんな経験をしている自分がこの世のどこかに居る……。
そうでなければすべては『運命』が決まっていて、全ては必然で成り立っている、ことになる。【神のシナリオ通り】でなければ、地球上のあらゆる全ての選択が偶発的に重なって現在を創っている事になる。正にバタフライエフェクトというべき奇跡。
しかし【神のシナリオ】であるはずはない、選択するのは運命ではなくその人の『意志』である。それでも右の道を選んだ人生だけがその角でぶつかった異性と恋に落ち結婚に至るわけではなく、仮に左の道を選んでいても違うタイミングで二人は出会い時間を共にすることとなる。
どんな選択をしようとも今いる自分と同じ世界に辿り着くように世界はできている、そうでなければ今いる現状の責任は重すぎる。全く違った人生があったなんて考えたくもない。
もし『タラ・レバ』でいつぞやの選択肢を変えた、現状の自分より幸福な自身を想像してそれを羨むのなら、勝手に不平等を訴える損した側に自分を追いやるナルシストでしかない、そんなのアホらしい。
つまりは『過去を変えられたとしても、未来は、現在は変わらない』ということ。
誰かが不公平を訴えるとき、訴えた側にも何かしらの不足があるとも言えるだろう。それは運? 実力? 努力? だからきっと不公平こそ、その端緒は過去にある。それを変えてこそ未来が拓ける、だから『刻々と過去になっていく今』の行動を大切にしょう。
一つ言えることはパラレルワールド=『If』の世界、『もしも~』の世界観。これらを人が想うとき、それはきっと自身の選択に後悔があったと考えられる。『今現在の状況に不満があるとき』の想像に他ならない。
一つの選択しか選べないからこそ、決断した結果に責任を負い、そこから成長がある。優・適・正を得た結果と、後悔の選択の現在だって同じ道に繋がるのであれば、そう悲観することではあるまい。
2024.12.27 終