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第11話 一歩ずつ



 ペトロが使徒としての役目を無事やり遂げた翌日。

 業務中のユダは、痛めた背中を労りながらデスクワークに勤しんでいた。


「イタタ……」

「大丈夫ですか?」

「うん。だけど、今後はソファーで寝るのはやめておくよ」

「それが懸命です。と言うか。どうしてペトロをちゃんとベッドに寝かせなかったんですか」

「ほら。おんぶしてたから、ドアを開けられなかったんだよ」

「それなら、助けを呼んでくれればよかったのに」


 玄関までしか補助をできなかったヨハネは、ちょっと不満げにボソッと口にする。


「何か言った?」

「なんでもないです」


 ヨハネは尖らせかけた口を引っ込めて、パソコンに向かった。

 すると仕事のオファーに関するメールが届き、ざっと内容に目を通した。


「ユダ。新規オファーのメールです。そっちに転送します」


 ヨハネは自分のパソコンに届いたメールを、ユダのパソコンに転送する。

 ユダもその仕事依頼のメールをしっかりと読み理解すると、嬉しそうに口元を緩ませた。


「来たね」




 今日も通常通りにアルバイトに行っているペトロは、昼食をテイクアウトして公園で食べていた。

 芝生に座り、目の前の池に咲き始めた睡蓮をぼんやりと眺めていると、ふと自分の手に視線を落とした。


(昨日、本当にやったのかな)

「一晩経ったけど、全然実感が湧かない……」

(でも。みんなが褒めてくれた。ユダたちもだけど、戦いを見守っていた人たちや、あの女の人の旦那さんからも)

「……できたんだよな?」

(あの人を、救えたんだよな?)

「でもやっぱ、実感湧かない……。ちょっと迷惑も掛けちゃったし」


 あのあと周囲に恥ずかしい姿を晒したことを思い出したペトロは、目撃した全員の記憶を書き換えたくなった。



◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆



 戦闘と人々からの感謝の雨あられが終わった直後、ペトロは途端に脱力して一人では歩けなくなり、ユダにおんぶされて帰宅した。

 帰りは徒歩だったので擦れ違う人々にもれなく注目され、一人で歩くと言っても下ろしてもらえなかった。

 部屋に戻って来た時には眠気にも襲われていて、ユダの背中から彼のベッドに下ろされる前には、自力で歩くことはすでに諦めていた。

 その頃には入相で、窓から見える中庭の木々や建物の壁に、西日が定規で引いたような斜めの影を作っていた。


「ごめん。ありがと」

「緊張と不安とやる気でエンジンフルスロットルして、一気にエネルギーを消費した感じかな」

「なんか、不甲斐ない……」

「しょうがないよ。潜入インフィルトラツィオンに、ハーツヴンデの具現化と、祓魔エクソルツィエレンを連続でやったんだから。初めてなのによくやったよ、きみは」


 ユダはベッドサイドに腰掛けながら、微笑して頑張ったペトロを称えた。


「よくわからないけど、必死だったんだ。何となく、できるような気がしたから」

「勢いも大事だけど、無理はしない方がよかったね。初めてだから、相互干渉の負荷もあっただろうし」

「相互干渉……?」

「私たちと憑依された人は似た者同士だから、波長が合うんだと思う。だから深層潜入もできるんだ」

「波長……?」


 眠気でぽかんとしながら聞き返すと、ユダは「電波みたいな。ビビビッて」とわかりやすく教えてくれた。

 このだるさもそのせいか。ベッドが心地よく感じるのも、怠さと眠気のせいなんだろう。ぼんやりとそう思ったペトロは、次第に現実と夢の狭間が曖昧になってきて、今なら普通に話せる気がした。


「ユダ……。オレ、使徒の本質的な部分を勘違いしてたかも」

「勘違い?」

「うん……。人の気持ちを知るって、使徒ならもっと簡単にできると思ってた。だけど、特別な力があっても、その人が救われたい本当の気持ちまではわからない。だからオレは最初、あの人の気持ちがわからなかった。何を罪深く思って苦しんでるのか、理解できなかった。だけど、心の声を聞いてるうちに、一つだけすごく耳に入って来る言葉があったんだ。その言葉に気付けたから、オレはあの人を救えた……。あの時わかったんだ。使徒は、その人の苦しみの全てを受け止めてる訳じゃない。逆に、全体を大雑把に受け止めたって、それは本当の救いじゃない。その程度なら誰にだってできる。使徒がやることは、その人が一番掬い取ってほしい言葉を拾って、目印を付けてあげること。だから深層に潜って、その人の全ての言葉を聞くんだ。そしてその行動は、自分の中のトラウマと向き合うことにも繋がっていく……」


 ユダは慈悲深い面持ちで、ペトロの話を聞いていた。

 日が落ちていくにつれて、窓の外は影に覆われていくのを、ペトロは話しながらぼんやりと見ていた。


「使徒は、人々を罪悪感から解放する手助けをするために、戦ってるんだな。オレは、自分のためになるならと思って使徒になった。でも、その利己的な考え方は間違ってた。自分を優先してたら、きっと誰も救えない。強くなれない。オレたちは、自分にも似た感情があるから深く寄り添える。その人が掬い取ってほしい言葉もわかる。それが、使徒にしかできない救い方なんだ」


 ユダは微笑を湛えて頷く。


「わかってくれて嬉しいよ……。そう。自分自身のためになるのは、救わなければならない人を救ってからのことなんだ。深層への潜入によって改めて自身を鏡で見ることで、強くなれるんだよ」

「初めてやってみて、その難しさとすごさがわかった。トラウマを抱える、他人のリアルな心の痛みも……。自分と違う境遇だったから、余計に救えるか不安になって怖くなった。ちょっと、諦めそうになった。だけど……」


 ペトロは、自分に感謝する女性の家族の表情を思い出す。


「諦めなくてよかった」


 やり遂げた実感はないが、ただ一つ、その気持ちだけはペトロの心に強く残った。


「救わなければならない人と向き合う時は一対一で、一人の人間として向き合わなきゃならない。それは時に不安を煽り、尻込みさせる。ヨハネくんたちも最初は、ペトロくんのように言ってたよ。でも、やるべきことがわかれば、あとは不安はないよ」


 ユダの羽毛のような声音がペトロを安心させ、だんだんと眠りにいざなう。


「ヨハネたちが応援してくれたおかげもあるよ。もしもオレ一人の戦いだったら、絶対に無理だった。だからこれからは、みんなとの信頼関係を築きたい。強くなりたいけど、まだ半人前だから」

「きみはもう立派な使徒だよ。みんなにそのことを直接言ってあげると喜ぶよ」

「直接は、恥ずかしいな……。だけど今日、仲間になれてよかったって、初めて思えた……。それは、いつか、言いたい、かな……」


 重たくなった目蓋がペトロの碧い瞳を塞ぎ、寝息が立てられる。とうとう、ユダのベッドで眠ってしまった。


「今日は頑張ったね。お疲れさま」


 微笑を浮かべるユダは、自分のベッドで無防備に眠りに就いたペトロの柔らかな髪に触れ、撫でた。

 その行為が、胸に火花を散らせた。

 髪に触れ、寝顔を見つめたユダは、眠るペトロに顔を近付けようとした。

 ……けれど。唇が頬に触れる手前で思い止まった。

 その代わりに、自分の手の甲に唇を当て、その手の甲でペトロの頬に触れた。




 数時間後。午前0時を過ぎた頃にペトロは目を覚ました。


(あれ……。いつの間にか寝てた……)

「喉乾いた……」


 喉の渇きを感じてベッドを下り、キッチンへ行こうとした。

 すると。ソファーの肘掛けから足をはみ出させ、毛布を掛けて寝ているユダを発見した。


(そっか。オレが占領しちゃったから……)


 せっかく寝ているところを起こすのも申し訳ないと思い、敢えて声を掛けなかった。が。


「痛っ!」


 ローテーブルの天板に足をぶつけてしまった。その振動で乗っていたユダのスマホが床に落ち、衝撃で画面が明るくなった。


(え……)


 その待ち受け画面を偶然見てしまったペトロは、ドキリとした。



◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆



 思い返して少し頬を赤くしながらぼんやりしていると、後ろから頭を触られている感触がした。


「へっ!?」


 びっくりして振り向くと、大型犬がペトロの髪に鼻先を近付けていた。飼い主の女性は「ごめんなさい」と一言謝罪して犬のリードを引っ張って行った。

 ユダがスマホの待ち受け画面にしていたのは、この前カメラマンにお試しで撮ってもらったあの写真だった。


「恥ずかしいって言ったのに……」

(なんであれを待ち受けにしてるんだよ)


 写真を見せた時にユダが「素敵だ」「キレイだ」と言っていたのを思い出し、ペトロはまたこそばゆくなる。


「褒めてはくれたけど、待ち受けにするほどかよ」

(待ち受けにしたのは謎だけど……。まぁ。ユダも悪いやつじゃないよな。優しいし、いつも微笑み掛けてくれて、オレの心を解そうとしてくれてる気がする。連れて帰ってくれた時も、やけに安心できた気がするし……)


 最初は信用していいのかと疑っていたペトロだが、リーダーだけあって、ユダは一番頼りにできるかもと認識を変えていた。


(おかげでちょっと自信付いたし、これからも使徒として頑張ろう。強くいるためにも)

「そういえば。いつの間に怪我したんだろ」


 右腕の袖を捲くると、前腕の裏側には、薄っすらといくつか赤い線が浮いていた。




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