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第15話 エンゲルベッケンの戦い①



 シェオル界。ここは、天国にも地獄にも行けない者が彷徨う、物質界とあの世の境の世界だ。頭上は、かつていた世界を羨望することを許さないとでもいうように分厚い鈍色の空が塞ぎ、大地には枯れた草木しかない。

 この世界に唯一あるものが、棺を積み上げたような黒く角ばった「城」と呼ばれている無機質な建造物。そして、黒く巨大な十字架が斜めに地に立っていた。

 その城の側で、手で土を掘っている者がいた。破れた裾を縫い合わせたボロボロの黒いロングコートの軍服を着用し、黒髪の三つ編みを垂らした青白い肌の色の男だ。


「おい、何やってんだよ。あ? 土弄りか?」


 そこにもう一人来たのが、似たような風貌でツーブロックポニーテールのだいぶ口の悪い男だ。


餓鬼ガキや老いれじゃねーんだから止めろよ、クソが」

「怖い物言いだな。老い耄れに間違いは無いと思うが」


 聞き慣れている三つ編みは、喧嘩腰になることもなく言い返した。


「今更になっての世界を緑一面にしようとか考えてんじゃねーだろーなぁ。れこそ糞だ。直ぐ様燃やす!」

「俺も、今更そんな愚かな事は考えんさ。だが此れは、やらねばならない」


 男の掌には、銀杏ほどの大きさのものが乗っていた。


「あ? 何だ其れ」

「種だ」

「種? 種っつったら、植物のやつだろ」

「そう。此れが育つと、大きな木になるのさ」

「木ぃ?」


 くだらねぇと言いたげなツーブロックは片眉を上げ、宣言通り今すぐ燃やすと言って種を奪いそうだ。


「此れは、俺が生きていた頃からの宝物なのさ。今日から此れを育てる」

「糞暇過ぎてとうとう園芸をやるってか。阿保アホか! 人間の真似事なんざ馬鹿じゃねーの!? 踏み潰す!」


 ツーブロックが三つ編みの手ごと踏み付けようとしたので、三つ編みは「止めろ」と制止する。


「俺が此の種をどれだけ大切にして来たか、知らないだろう。それに、馬鹿らしい事では無い。此れは、馬鹿な野郎も、阿呆な野郎も、愚劣な野郎も、普通の野郎も、全員が喜ぶやつさ」

「俺様に関係が無いなら興味はねぇ!」

「興味が無いなら、踏み潰す理由も無いだろう」


 三つ編みは手で掘った穴に種を埋めた。


「大切って事は、其れだけ価値があるのか」

「其れは、種が育ってから分かる」

「あ? 育つまで待てるか。今教えろ!」

「短気を抑えて待つといい。大きくなるのに、そう長い年月は掛からない」


 三つ編みは、宝物が埋まった土に願いを込めるように触れ、紫色の双眸を細めた。


「ああ……。芽が出るのが楽しみだ」




 この日、ヨハネはシモンの仕事に付き添い、事務所にはユダ一人だった。ヤコブもアルバイトに行っていて留守だ。

 ペトロは休みだったので、部屋のソファーで寝転んでいた。しかし昼寝をする気にもなれず、考えごとをしていた。


(ユダがくれる言葉に、どう応えていいのかわからない……。「素敵」とか「魅力的」とか言われても、不思議と嫌だと思わない。「かわいい」は恥ずかしいけど……。でも、オレのこと考えていろいろ連れて行ってくれたのは、ちょっと嬉しかった。初めての撮影で緊張してた時も、オレを信じてくれたから安心できた。初めて憑依された人の深層に潜入して悪魔を祓った時も、介抱してくれた。あの時はとても優しい声で、まるで、温かい太陽に包まれてるみたいだった。あの時だけじゃない。ユダはいつも優しくて、微笑んでくれる。それはオレのためだけの表情じゃないのはわかってる。だけど……)


 ペトロは胸に手を置いた。


(ここが、時々キュッてなる。そしたら、マッチの火が胸の中にあるみたいにしばらく火照る。一緒にいると、落ち着かなくなる)


 ───もしもきみのことを好きだと言ったら、どうする?


(あれ以来はっきり言ってこないけど、やっぱり冗談だったのか? でも、「大事なことは冗談なんかにしない」って言ってた。オレのことが、とても意味のある大切な存在とも言ってた。それってどういう意味だ? そのままの意味で、ユダはオレのこと大切に思ってくれてるってこと? そしたら、あの告白まがいは……)

「…………」


 惑う心が願望の氷を溶かしそうになるが、仰向けに寝ていた態勢を変え、背凭れの方に顔を向けた。


(それでもわからない。大切に思ってくれてるかもしれないけど、オレはその気持ちにちゃんと応えられない。応えていいのかわからない。ユダは優しくて、側にいると安心できる。だから、忘れそうになる。自分にあったことを。家族のことを)

「ダメなんだ……」


 本心に抗い、誓いを翻意することを拒む。願望のかたちが顕になるのを恐れた。


「……!」


 その時。悪魔出現の気配を感知し、ペトロはバルコニーに出た。


(いつもと違う。これは……)

「ペトロくん!」


 呼ばれて見下ろすと、ユダも外に出ていた。


「行こう!」

「あ。うん!」


 二人は感知する方角へと急ぎ、エンゲルベッケン公園へと向かった。

 ミッテ区とフリードリヒスハイン=クロイツベルク区の境界にある公園は、賑やかな中心街から少し離れ、大きな池の周りには季節ごとに花々が咲き、人々の憩いの場所となっている。

 二人が到着した時にはすでに花壇の側で女性が一人倒れていて、悪魔が姿を現していた。


戦闘領域レギオン・シュラハト!」


 到着と同時にユダが戦闘領域を展開した。ところが領域内に、憑依された女性の他に男性が一人取り残された。

 その男性も苦しみ助けを求めて足掻いていて、倒れると二体目の悪魔が現れた。


「同時に二体も!?」

「この前は一人から二体だったけど、今回は二人の人間から同時か。しかも、過去のやつらより少し規格が大きいね」


 それだけではなく「もμ嫌だ……苦§い……」「逃∈たい……逃げ∑れ∂い……」と、二体の悪魔は憑依した人間の心の声を結構はっきりとしゃべった。


「おしゃべりも得意みたいだね」

「お待たせしました!」


 そこへ、仕事先やアルバイト先から急行して来たヨハネたちも続々と到着した。


「おいおい。何で二体もいるんだよ」

「辛∈……苦し∈……」

「言葉がはっきりと聞こえる!?」

「この通り、今回はいつもと違うパターンみたいだ。でも、やるべきことは変わらない。二組に別れて戦おう」

潜入インフィルトラツィオンはオレが行く」

「ボクも」


 五人は、ユダとヨハネとシモン、ヤコブとペトロで組んで戦うことにし、ペトロとシモンが憑依された人間の深層に潜入した。


「それじゃあ。私たちもやりますか!」


 ユダとヨハネは男性から出現した悪魔と、ヤコブは一人で女性から出現した悪魔との戦闘を開始した。


祝福の光雨リヒトリーゲン・ジーゲン!」

天の罰雷ドンナー・ヒンメル!」


 悪魔はユダとヨハネの攻撃を回避し、散弾した光の玉と雷は池に落ち水飛沫を上げた。


「痛∑は、もμ∈らな∈……!」


 悪魔は二人に急接近する。

 直撃の前にユダとヨハネは距離を取るが、悪魔が伸ばした手の先で何もしていないのに地面がひび割れ陥没した。


「地面が陥没した!?」


 ヤコブが戦っている悪魔からも同様の攻撃が繰り出される。


「嫌&……嫌Ъ!」

「っ!」

「くそっ。何で攻撃が見えないんだよ!?」


 ヤコブは至近距離で攻撃されそうになり、防御で直撃を免れる。

 三人は攻撃を繰り返しダメージは与えられるが、可視できない悪魔の攻撃が読めず困惑し、警戒する。


「苦§い……死にζい!」

「解放§て……解Ψう……!」

「苦しみから解放されたいなら大人しくしろって!」

「そもそも、何でこの二体は今までと規格が違うんでしょう」

「繋がっている鎖を見ると、もしかしたら憑依期間が長いのかもしれない」


 二体の悪魔と憑依された人間に繋がっている鎖は、過去にないほど太く頑丈なものだ。悪魔がこれだけはっきりと言葉を話すのもそのせいかもしれないと、ユダは推測した。


潜入インフィルトラツィオンしたペトロとシモン、大丈夫ですかね」

「大丈夫のはずだけど、これだけ憑依された人間と悪魔の繋がりが強いと手こずるかもしれない」

「んじゃあ。俺らが頑張ってサポートしてやらないとだな!」


 三人は作戦を立て、ヨハネとヤコブは池の周囲の藤棚を隠れ蓑にしながら移動を始める。


祝福の光雨リヒトリーゲン・ジーゲン!」


 花壇エリアに残ったユダは、注意を引き付けるために池の上に浮かぶ二体に攻撃する。

 二体同時に反撃されるが、攻撃の直後に展開した防御で不可視の攻撃を防いだ。


「「赫灼の浄泉クヴェレ・ブレンデン!」」


 二体がユダに反撃したタイミングで、藤棚の下からヨハネとヤコブが池の両サイドから同時に攻撃する。 


「「∀グゥ&∅¢……ッ!」」


 二体の足元から光の泉が勢いよく湧き出し、かなりのダメージを食らわせることに成功した。


「ユダ!」


 少しだけ三人に余裕ができたその時、男性の方に潜入していたペトロが先に帰還し、ユダとヨハネがハーツヴンデ〈悔責バイヒテ〉と〈苛念ゲクイエルト〉を出現させる。


「はあっ!」

「天よ、濁りし魂に導きの光を!」


 二人の連携で、男性の方に憑依していた悪魔は無事に祓魔エクソルツィエレンされた。

 残されたもう一体は、空中でダメージに蹲り唸り声を上げている。


「シモンは!?」


 そのすぐあと、シモンも時間差で帰還した。


「……っは!」

「戻って来た!」

「ごめん。ちょっと手こずっちゃった」

「あとは任せろ! 心具象出ヴァッフェ・ダーシュテーレン──── 〈悔謝ラウエ〉!」


悔謝ラウエ〉を手にしたヤコブは藤棚から飛び出し、


「手こずらせんなよ! よくわかんねぇ規格外野郎がっ!」


 ユダが鎖を断ったあとに斧を振りかぶろうとした。だが。


「ガ§ア"ψ¿ァµッ!」

「うあっ!?」


 不可視の攻撃をまともに受け、跳ね飛ばされてしまう。しかし何とか体勢を整えて着地し、地面に叩き付けられるのを回避した。


「どうなってるんだ!?」

「鎖を断ったのに、全然弱ってない!?」

「それどころか、強くなってる……!」




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