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第16話 エンゲルベッケンの戦い②



 悪魔は憑依した人間との鎖が断たれれば、負のエネルギーの供給を失って弱体化するはずだ。ところがこの個体だけは、その常識すらも規格外だった。


「何で。ボク、いつも通りやったよ? なのに何で逆に強くなってるの!?」

「規格外だってことと、関係があるのか?」


 この規格外の展開を、ユダは再び推測する。


「恐らくやつは、憑依期間が長かった。だからその分、餌となる負のエネルギーを食べ続けることができ、力が増強されたのかもしれない」

「マジかよ」

「きっと憑依された女性は、自分の中でずっと戦い続けていたんだ。どんなに大きなトラウマだったとしても、抱えて生きていこうとしていたのかも」

「だけど、限界だったってことか……」


 シモンが救った女性は、未だ気を失ったままだ。その横たわる姿を、ペトロは憂えた表情で見つめた。

 ところが、使徒を戸惑わせる材料はそれだけに留まらなかった。それまで獣のような声しか出せなかった悪魔は、さらに規格外の個体へと変化した。


「@。ア。あー。これが物質界てやつか。やっぱ人間の中は窮屈だ」

(……!?)


 なんとこの悪魔は個の意識までも作り、人格を持った。これまでの戦いで遭遇したことのない、全く前例のない個体だ。

 ユダの推測通り、母親のお腹の中で栄養をもらって成長する赤ん坊のように、憑依した人間の負のエネルギーを何ヶ月も食べまくり続け、外敵からの邪魔もなく蓄えられたからなのだろう。

 しかし、その姿は黒い異形のままだ。やつは目玉をギョロッと動かし、喫驚して自分を見上げる使徒を見下ろした。


「アンタらが何となく噂で聞いてた使徒って奴らか。見たところ憑依できそうだけど、食っても腹を下しそうだな」

「あいにく、お前に食わせてやるもんは持ってねぇよ」

「悪魔とは食べ物の好みが違うからね」

「どうしましょうか、ユダ」


 ヨハネはリーダーのユダに作戦を仰いだ。


「やつは不可視の攻撃をする。攻撃範囲は不明だけど、恐らく距離を取っても無駄だ。とりあえず、遠距離攻撃で気を逸らせて隙きを狙って攻撃するのが妥当かな」

「さっきやったのと同じですね」

「それに鎖を断ったから、弱らせなくてもハーツヴンデを使える」

「つまり、やりたい放題ってことだな」

「私たちのハーツヴンデは、ちょうど遠距離向きと近距離向きで別れてる。それぞれの特徴を活かせれば何とかなるはずだ」

「てことで。第二ラウンドの開始だ!」


 五人は再び三方に別れた。ユダは花壇のところに留まり、ペトロとヨハネ、ヤコブとシモンで組んだ。


闇世への帰標ベスターフン・ニヒツ!」


 まずは正面のユダが、周りに現れた光の玉から光線を放つ。悪魔はそれをかわし不可視の攻撃をされ、すぐさま防御するユダ。


連なる天の罰雷ドンナー・ヒンメル・コンティニュイアリヒ!」


 次にヤコブが藤棚の中から攻撃する。天空から連続で雷を落とすが、悪魔はそれもかわしていく。

 ヤコブが不可視の攻撃を防御するのとほぼ同時に、


泡沫覆う惣闇、星芒射すホフノン・リヒトシャイネン!」


 藤棚の上に飛び出したシモンが弓矢のハーツヴンデ〈恐怯フルヒト〉で狙い撃ち、分裂して降り注ぐ光の矢は悪魔の身体をを掠めた。


「テメ……!」悪魔はシモンに狙いを定めるが、


冀う縁の残心、皓々拓くエントゥウィクレン・ゼルプスト!」


 二人とは反対側にいたヨハネが、長槍のハーツヴンデ〈苛念ゲクイエルト〉で攻撃。一直線に放たれた光線は白い稲妻を放ちながら背中を向けていた悪魔の脇腹の一部を抉った。


「グウ……ッ! 卑怯な!」


 悪魔は反転して反撃するが、間髪を入れず防御体勢を取っていたヨハネは防ぎ、ペトロが攻撃する。


御使いの抱擁ウムアームン・エンゲル!」

「グアァッ!」


 包み込まれた光の爆発によって悪魔は相当のダメージを受ける。


「お前に卑怯だなんて言われたくないな!」

「グッ……。う"うっ……」


 まともに攻撃を受けた悪魔は、身体を丸めて苦しむ。今なら退治できると思ったペトロは、ハーツヴンデ〈誓志アイド〉を出現させる。


「はああっ!」


 剣を構えたペトロは地を蹴り、勢いよく悪魔に飛び込んだ。

 しかし。その刃が振り下ろされようとした瞬間、悪魔は口を開いた。


「どうして、ワタシだけが……」

「……っ!?」


 人格が確立されたはずの悪魔の口から、憑依した人間の心の声が呟かれた。斬ろうとしたペトロは剣を振り下ろせず悪魔をスルーし、藤棚にワンクッション置いて花壇の方に降りた。


「ペトロくん?」

「クッ……。オレをナメやがって! テメェらいい気になるなよ!?」


 攻撃を食らった悪魔は逆ギレし、四方に不可視の攻撃を放つ。ユダは悪魔を斬らなかったペトロが気になるが、追い込み攻撃に集中した。


大いなる祝福の光雨リヒトリーゲン・ジーゲン・グロース!」

「ぐう……っ!」


 ヨハネが通常の倍の規模の光の粒を悪魔の頭上から降り注ぎ、悪魔の身体を弾丸のように貫通する。


晦冥たる白兎赤烏、照らす剛勇ムーティヒ・ブリヒトニヒト!」


 ヤコブがハーツヴンデの斧〈悔謝ラウエ〉を力強く振るい、水面を切る三日月型の刃は悪魔の真下から回転して直上し、その身体を深く斬る。


「グアッ! ……ってめぇ!」

赫灼の浄泉クヴェレ・ブレンデン!」

「ア"ア"アッ!」


 シモンが放った光の噴泉もまともに食らい、連続でかなりのダメージを負い身体を抱えて唸る悪魔は、高度を保てず水面ギリギリまで下降して来た。


「何だよこいつ。口程にもねぇな」


 最初は連続する例外に戸惑い不可視の攻撃にも少し手こずったが、戦ってみればいつも相手をしている悪魔とレベルに差はさほどなかった。

 しかし、見掛け倒しかと油断するが、悪魔は何か口を動かしている。


「苦しい……。生きているのが辛い……。ワタシだけが……」

「何だ?」

「憑依していた人の、心の声……?」

「もう繋がってないのに、なんで」

「……クソッ! 人間ごときがっ!」


 かと思いきや、悪魔自身の人格に戻り攻撃を再開する。各自防御するが、ペトロだけ呆然としていた。


「ペトロくん!」

「……え?」


 駆け寄ったユダが代わりに防御した。


「いい加減大人しくしろ! 十字の楔カイル・クロイツェス!」


 ヨハネが拘束の術を放ち、悪魔は簡単に光の十字架に磔にされた。

 最後はユダが大鎌のハーツヴンデ〈悔責バイヒテ〉をその手に現した。


「悪を成し闇に堕とそうとするその存在を、無に導かん!」


 踏み切り大鎌を振りかぶったユダは、悪魔を両断した。


「ギアアァァァ……ッ!」


 悪魔は塵となって消え去り、ようやく戦闘が終わった。乗り越えた一同もホッと胸を撫で下ろした。

 終わった途端、シモンは力が抜けたように膝を突いた。


「シモン!?」

「潜入した時、いつもより深く精神干渉したから」

「ったく。無理するなよ」


 相互干渉の負荷で精神的ダメージを負いながらも戦い続けたシモンを称え、ヤコブは身体を支えてやった。

 ユダは、戦闘中にも関わらず呆然とし、今も戦闘の余韻にも浸らずを見つめているペトロを気に掛けた。


「ペトロくん。どうしたの?」

「何でもない。防御、ありがと」

「さっきは何で攻撃しなかったの?」

「あれは……。ちょっと危険を感じたからやめただけ」

「本当に?」

「本当だよ」


 ユダはその理由を疑って問い返すが、本当だと言ったペトロの目は何かを誤魔化すようにユダと合わせようとしなかった。


「……おい、みんな。あれ見ろ!」


 すると突然、何かに気付いたヤコブが戦闘領域レギオン・シュラハトが解除された上空を指差した。

 ユダたちも雲に覆われた空を見上げると、人の形をした何かが宙に浮いていた。それは、黒いロングコートの軍服のらしきものを身に纏っている。


「悪魔か?」

「けど、悪魔とは違う気配を感じる」


 五人は再び警戒し怪訝な表情で見上げていたが、それは特に何もせず、黒い霧になって風に乗って消えた。




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