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第11話 意欲なき訪問者



 シェオル界には娯楽と言えるものはない。永遠の夜のようなこの世界は時間感覚もなく、住人にとっては退屈を退屈で潰すしかないような場所だ。

 時間感覚がないということは、就寝もしない彼らには「一日」や「一年」といった概念も皆無だ。存在する限り、延々といるしかない。

 そんな世界で唯一、時間というものを体現して生きているものがある。

 マタイが埋めた植物の種が、芽吹いたあとも成長を続けているのだ。光合成もできないのに、もう50センチを超えている。

 それを眺めるマタイは、嬉しそうに愛でていた。そこへ、ふらりとタデウスがやって来た。


れが、フィリポが言ってた奴?」

「見てみろ。青々としているだろう」


 タデウスは興味なさげに「ふーん」と相槌を打ってしゃがんだ。


「宝物の種だったんでしょ? 育てちゃって良いの?」

れは育てなければ意味が無い。良い加減、育ててやらねばと思ったのだ」

「皆んなが喜ぶって、どんな植物に育つの? 花? それとも野菜や果実とか?」

「食えないのに食い物を育ててどうする。花もあった所で、此処ここでは咲く前に枯れそうだ」

「まぁ、何でもいいや。興味無い。どっちかって言うと、使徒の方が気になるし」


 双葉への興味がゼロになったタデウスは体育座りをし、ボブの髪を弄り始めた。


「やる気が無いお前でも気になるのか」

「だって。フィリポが尻尾巻いて帰って来たんだよ? ぼくたちの中で一、二を争う負けず嫌いのあのフィリポが。そりゃあ、一寸ちょっとは気になるよ」


 気になるとはいいつつ、その口振りからはそんな様子は全く覗えない。


「珍しいな。と言うか、人間に興味を抱くのは初めてじゃないか?」

「人間に関わったって、良いこと無いしねー」

「其れは言えている。だが、邪魔な存在の奴等は、排除しなければならない」

「そうだねー。まぁ、其れはマタイたちで頑張ってよ。ぼくは見てるだけで、十分暇を潰せるから」

「何だ。今度はお前が使徒の相手をしてくれるんじゃないのか」


「えーっ」期待したマタイがそう言うと、タデウスはあからさまに嫌がる顔をして寝転がった。


「やだよー。行きたくないよー。此処から動きたくないよー。戦うなんて面倒臭いー」

(やれやれ。駄々が始まった)


 基本やる気がないのに珍しく意欲を見せたのかと思いきや、いざ白羽の矢が立てられそうになると態度で前言撤回するタデウスにマタイは呆れる。


「使徒に興味が有るんじゃないのか?」

「一寸気になるだけだよー。戦いたいなんて一言も言ってないし、微塵も思ってないよー」

「行ってくれると助かるんだが」

「やだってば。だって、あのフィリポを敗走させたんだよ? マタイの次くらいに強いのに。使役してるグラシャ=ラボラスだって、ゴエティアの中じゃそれなりの階級クラスだよ? なのに負けてるんだから、ぼくなんかが勝てる訳ないよー」

「タデウスが使役するゴエティアも、そこそこの階級だろ。其れにフィリポの敗因は、奴本人にある」

「そんな事言うなら、マタイが行きなよー。蝶を探してるんでしょー?」

「今はまだ、俺が求める『蝶』かどうかを見極めている所だ」

兎に角とにかく、行かないよ。何言われても、梃子でも動かないから」


 タデウスは寝転がりながら膝を抱えた。その姿はまさに駄々をこねる子供だ。

 しかし、苦杯を嘗めさせられたままという訳にはいかない。リベンジでフィリポに行かせる手段もあるが、まだ自分の敗因を理解していないうちに行かせては悪夢の繰り返しだ。

 使徒に興味ゼロになってから動かすよりも、興味を持ち始めた今行かせた方が動かしやすい。時間的梃子の原理を有意と考えたマタイは、タデウスにやる気を出させようとする。


「良いのか、其れで。本当の痛みを知らない奴等を、調子に乗らせるぞ」


 タデウスはピクリと反応した。すぐには動かなかったが、マタイの煽りを受けてだるそうに身体を起こした。


「はあっ……。しょうがないなぁ」

「やる気になってくれたか」

「そんな事言われたら、彼奴あいつ等を哭かせたくなっちゃうよ」


 やる気スイッチが入ったタデウスはやはりだるそうだが、その緑色の目は腐っても死徒の一人であることを証明していた。




 シモンは、今日もヤコブと帰宅の途に着いていた。乗り換え駅のアレクサンダー駅でヤコブの自転車と一緒にトラムから降り、バス停を目指してアレクサンダー広場を横切る。

 駅の目の前に広がる広場の周囲にはデパートやホテルが建ち、広場のシンボルであるウーラニアー世界時計を目指して来る観光客もいるので、日頃から人通りが多い。


「ていうか。また友達に誘われてたんじゃないのか?」

「今日は大丈夫だよ。それに昨日ちゃんと埋め合わせしたし、一昨日は一緒に図書館で勉強もしたから」

「なら、安心した」


 その世界時計の側に、人だかりができていた。人々は何かを囲んでザワザワしている。


「なんだ。何かあったのか?」

「……ねぇ、ヤコブ。この感じって」


 シモンがみなまで言うまでもなく、ヤコブもそれに気付いた。

 悪魔の気配に似た重く纏わり付く感じの、死徒の気配だ。だが、辺りにそれらしき姿はない。

 二人は死徒の気配に警戒しながら、人だかりを掻き分けた。すると人々が囲う中心には、ボロボロのロングコートの軍服を着たボブヘアのタデウスが体育座りをしながら地面に横になっていて、ブツブツ独り言を口にしていた。


「はぁー。やっぱ来るんじゃなかったー。ダルいし、面倒臭いよー。今から誰か代わりに来てくれないかなー」

「こいつは……。つーか。これは一体どういう状況だ?」


 この、群衆に囲まれていることにも気付かず自身の胸の内を大っぴらにしている者が死徒であることは、気配から確実だった。しかし、そのやる気ゼロの姿にシモンとヤコブは戸惑う。


「明らかにやる気なさそうだね」

「こいつ、戦いに来たのか? それともダラダラしに来ただけなのか?」

「敵地でこれだけ気を抜けるって、相当肝が据わってるよね」

「それか。俺たちがナメられてるかだな」


 スマホで写真を撮る観光客などの一般人に紛れて観察していると、地元民が二人の存在に気付いた。


「あれ。使徒さんたちじゃないか」

「あんたたちでこの人保護してやってくれよ。もう十分以上この状態なんだ」

(十分以上って……)


 敵地で群衆に惰気を晒しまくっていたことに敵ながら呆れた二人は、一瞬言葉が出なかった。


「いや。保護は無理っす。こう見えてこいつ敵なんで」

「なので、今のうちに退避して下さい。ボクたちが見張っているので」


 惰気満々で危険はないように見えるが、今は眠っているハリネズミ状態なだけだ。

 二人は平常心で人避難を促すと、地面に転がる者を悪と認識しながらも、人々は使徒に倣って落ち着いてその場から離れて行った。

 とりあえず人払いをしたシモンとヤコブは戦闘領域レギオン・シュラハトを展開し、さてどうするかと相談する。


「今なら一発で倒せそうだね」

「やるか? 正義の味方としてそれはどうなんだっていう疑問があるけど、やっちまうか?」

「でも、隙きがあるようで全然ないよね」


 地面に転がる石ころのように動かず、未だ後ろ向きな独り言を呟いているタデウスだが、全く隙きがない。どこからどう攻めても仕留められない雰囲気だった。

「……あ」すると、タデウスはようやく使徒二人の存在に気付いた。


「しまった。使徒に会っちゃったぁ……」


 タデウスはげんなりした顔で言うが、シモンとヤコブも「こっちだって会いたくなかったよ」と言いたげな表情をする。


「一応確認するけど。お前も死徒なのか?」

「死徒? ……あー。そう言えば、マタイが即興で考えたって言ってたなぁ……。うん。そうだよ。ぼくも死徒。『痛哭のタデウスタデウス・デア・クマー』だよ。宜しくしないで良いからね〜」

(自己紹介までやる気ねぇー!)

(本当に戦いに来たのかな……)


 ファーストコンタクトとなる敵との挨拶も、気合いの「き」の字も感じない。間違えて送られて来た刺客なんじゃないかと死徒本部に問い合わせたいところだが、連絡方法はわからなかった。

 タデウスは寝転がり体育座りの体勢から、寝そべり体勢に変えた。


「君達、ぼくと戦う気なの?」

「そりゃあそうでしょ。敵が目の前にいるのに見過ごさないよ」

「だよねー。そーだよねぇー。やっぱ来なきゃ良かったぁー。面倒臭いよぉー。帰りたいー」

(出直すなら出直してくれてもいいけど)

「でも。帰ってもまた来る事になるんだろうなぁー。其れも面倒臭いなぁー。往復するの怠いなぁー……」


 敵の駄々を聞くこの奇妙な時間は何なんだと、二人は突っ込みたかった。帰ってもいいのではとすら思った。

 そんなタデウスに、ある提案が思い浮かんだ。


「あ。そうだ。ねぇねぇ。良い事思い付いたんだけど」

「なんだよ。一発超デカいのぶちかまして終わりにするとかか?」

「そんな事じゃないよー。ぼく、面倒臭いから戦いたくないもん。でも、君達にとっても良い事だよ」

「一応聞いてあげる。なに?」

「君達が使徒をやめれば良いんだよ。そうすれば、ぼくも君達も戦わなくて済むし。Win-Winで良いでしょ」


 どんな提案かと思えば、大変馬鹿げたものだった。


「何がWin-Winだ。俺たちのメリットは?」


「え?」訊かれたタデウスはぽかんとした顔をする。


「最悪、死なずに済むって事だよ? 人間にとって、死なない事は最大のメリットでしょ?」

「何言ってんだ。使徒俺らのことをだいぶ勘違いしてんな。俺らは、平穏を脅かす危険な存在から人々を守るためにいるんだよ。お前らが消えない限り、俺たちは立ちはだかる。そうだよな、シモン」

「……え?」


 ぼうっとしていたシモンは聞き返した。


「おいおい。彼氏がかっこいいセリフ言ったのに聞いてなかったのかよ」

「ごめん……」


 惰気満々を晒しているとはいえ、敵を目の前にして少し気を抜いていたのだろうか。ヤコブはそんなシモンの様子が少し気になった。


「えーっ。絶対何方どっちにとっても良い条件なのになぁー。見逃してくれないんだー。使徒って案外冷酷なんだねー」

「どっちが冷酷だ。お前らの方がやり方残酷だろうが」


「ヤコブ! シモン!」そこへ、遅れてペトロたち三人も駆け付けた。


「てか、この状況なに」

「寝そべりスタイルで遭遇するのは初めてだね」

「驚け。さっきまでは体育座りで寝転がってたんだぞ」

「やる気のなさが清々しいな」

「そういう訳で、まだ何も始まってない。始まる気配もない」

「ヤバいー。使徒が集まっちゃったー」


 使徒が勢揃いした状況にタデウスは顔を伏せ、足をバタバタさせ始める。


「どーしよー。ボコボコにされちゃうー。やっぱ帰ろうかな。帰って誰かにバトンタッチしようかな……。でも。フィリポみたいにチクチク言われるかな。使徒を前に戦わずに逃げて来たって、負け犬以上の汚名を着せられるよなー。それはヤダなぁー。フィリポ以下になりたくないなぁー……」

「独り言が激しいね」

「さっきからこの調子だ」


 駆け付けたばかりのユダたちも、この数秒でタデウスの性質を理解して呆れ返る。

 タデウスの駄々で戦闘は始まらないんじゃないかと、一同が思い始めた時だった。うつ伏せで独り言を言っていたタデウスはふらりと立ち上がり、深い溜め息をついた。


「はぁーーーっ。しょうがないかぁ。勝てる自信ないけど、逃げ帰った後の方が嫌な事待ってそうだし」


 嫌々やる気を出したタデウスは、掌を地面に翳す。


「ま。其の他大勢はガープに任せるし。適当にやろうっと」


 掌には憤怒のフィリポフィリポ・デア・ツォルンと似たような紋章シジルが刻まれている。


「出て来て。ガープ」


 地面に掌のものと同じ紋章が現れ、紫色の光を放つ。

 頭に二本の太い角を生やし、銀色の鎧を着た人間の三倍ほどの厳つい体格をしたゴエティア・ガープが召喚された。




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