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第10話 見つけられないもの



「ペトロくん。今日これからデート行かない?」

「!?」


 休日。昼ご飯を食べ終わりまだ全員がいるリビングルームで、ユダは平然とペトロを誘った。ヨハネは持っていた皿を衝撃で手放したが、側にいたシモンが素早くキャッチした。

 誘われたペトロは、みんながいる前でやめろよと言いたげで気恥しそうだ。


「別にいいけど……。また色んなとこ連れ回すのか?」

「いや。今日はスーパーに買い出しだ」

「なんでヤコブが話に入ってくるんだよ」

「俺も一緒に行くから」

「……デートじゃなくて、普通に買い出しじゃん」


 ペトロのドキドキは五秒で覚めた。


「もう、ヤコブくん。ネタバレが早過ぎだよ。もうちょっと、ドギマギするペトロくんを見たかったのにー」

「オレの反応で遊ぶな」

「なんだ、ペトロ。二人きりのデートじゃなくて残念だったか」

「そうじゃないしっ」


 ヤコブの突っ込みにペトロは照れながら返した。すると。


「はいっ! 僕も行きますっ!」


 同じ過ちは繰り返すまいと勇気を振り絞ったヨハネが、同行したいと手を挙げた。


「お前は昼飯の片付けと、シモンと一緒にリビングルームここの掃除があるだろ」

「変われヤコブ!」

「やだよ。俺、先週当番やったし。お前が今週の当番なんだから責任持ってやれ」

「じゃあ、ペトロ!」

「オレ来週当番だからやだ」


 行きたがるヨハネの理由を知らないペトロに断られるのはわかるが、知っているはずのヤコブにまで断られてしまった。


「ヨハネくん、そんなに買い出し行きたいの? じゃあ、私が変わろうか?」

「あ。いえ……。やっぱり大丈夫です」


 それでは元も子もない。

 誰とも交代できないヨハネは、ユダに変に思われるのを避けて泣く泣く身を引くことにし、買い出しに出掛ける三人を見送った。


「くっ……」

「頑張ったよ、ヨハネ」


 シモンは、悔しさで下唇を噛むヨハネを慰めた。




 ユダの運転でいつも利用している近所のスーパーに到着し、買い物カゴに三〜四日分の食品や消耗品を入れていく。

 日頃からそんなに飲んでいないのに、ユダは炭酸水をまとめ買いする。


「お前、またその炭酸水買うのかよ」

「だって、ペトロくんの初イメージキャラクターの商品だよ? 少しでも売上に貢献したいじゃないか」

「でも買ったところで、オレの給料が増えるわけじゃないだろ」


 公私ともにペトロ推しのユダは「気持ちの問題だよ」と、ルンルンで六本セットを三つカートに乗せた。


「お前本当にペトロのこと好きだな」

「うん。好きだよ」

「ちょっ……。ユダ!?」


 ユダが流れで普通に気持ちをカミングアウトして、ペトロは赤面して動揺する。


「なに動揺してんだよ。お前らのことは知ってるから」

「知ってるって……」

「私がペトロくんに告白したこと、ヤコブくんとヨハネくんに話したから」

「何で!?」


 自分が知らないうちにどうしてそんなことになっているんだと、ペトロはさらに動揺する。


「訊かれたし、仲間内で隠すことでもないからいいかなって」

「そんなに動揺することないだろ。何だよお前。二人だけの秘密にしておきたかったのか?」


 ヤコブはペトロの反応が面白くてニタッと笑う。


「そういうんじゃ……」


 ペトロはちょっとだけユダを睨んだが、羞恥の方が勝っていたので怒りはしなかった。

 恥ずかしくなったペトロは二人から少し離れて、別の商品棚を見て気を紛らわせ始めた。


「その感じだと、その後の進展なしか?」

「でも、焦ることじゃないから」

「でもさ。いろいろ我慢はしてるんだろ?」

「またそういうことを……」


 焚き付けようとしているようにしか聞こえないヤコブの言い方に、ユダは困り顔になる。


「答えを迫ることだってできるだろ。片思い期間が長いんだし、早く成就させたいって願うのが普通だと思うけど」

「言ったでしょ。欲望のままに触れて、ペトロくんの意志を捻じ曲げることはしたくないんだ。これは、ペトロくんの正直になった心が選ぶべきことなんだ。だから私は、いつまでも答えを待つよ」


 思いもよらず未遂事件は起きたが、あれ以降もユダの気持ちは変わっていなかった。人の心は誘導するものでも、思い通りに操作するものでもない。心にも尊厳はあるのだと心得ていた。


「お前やっぱ紳士だわー。一度でいいから俺のこと抱いてくんない?」

「ハグならいいけど、それ以外ならお断りします」


 話しながらゆっくり進むと、ペトロが立ち止まって何かを見つめていた。


「どうした、ペトロ。告られたのバレて恥ずかし過ぎて頭沸騰したのか?」


 ヤコブのイジリにも反応しないその視線の先には、仲良く買い物をする親子がいた。

 するとペトロは、親子を見つめたまま二人に訊く。


「……あのさ。時々考えてることがあるんだけど。人並みの幸せって、何だと思う?」

「人並みの幸せ?」

「父さんに言われたんだ。人並みに幸せでいてくれたらそれでいいって。でも、人並みの幸せってどんなことを言うのかわからなくて」


 ユダはその時一緒にいたので、ペトロがそう言われたことを覚えていた。彼の父親が込めた思いを、心に留めて。

 その質問の意味の深さを知らないヤコブは即答する。


「そんなの簡単だろ。寝て食って遊んで寝ること!」

「ヤコブくんの考えはシンプルだね」

「あと。働けることだな。それが人間の基本の生活サイクルだし、それができてれば幸せだろ」


 ペトロは、ヤコブを若干見下した目で見る。


「ヤコブのはシンプル過ぎて参考にならない」

「おう、なんだその目は。俺が単純バカとでも言いたそうだな」

「単純は単純だけどな」


 冗談半分のペトロのケンカをヤコブが買おうとしたので、ユダは「まあまあ」と宥めた。


「オレが知りたいのは、そんなことじゃないんだ」

「周りの人がどんなことに対して幸せだと感じてるのか、ってこと?」


 ユダが尋ねると、ペトロは頷いた。


「オレは少なくとも、あの出来事が起きるまでは幸せだと思ってた。だから、家族がいなくなってからは幸せだと思ったことはない」

「ペトロの中じゃ、家族がいることが幸せの基準だったのか?」

「たぶんそうだった。家族がいれば特別なことがなくても楽しかったし」

「だから今は、幸せだと思えない?」


 またユダが訊くと、ペトロは後ろめたそうな顔をする。


「ヤコブが言った基本も、ある人たちにとっては幸せの基準だと思う。だからそう考えると、衣食住に困ってなくて働けてるのは幸せなんだと思う。でも、それじゃ何か足りないんだ」

「足りない?」

「幸せな時って、心が満たされてるだろ。今は、それがないんだ。もちろん、みんなといるのは楽しいし、新しいことも始めて充実し始めてるなとは思う。だけど、物足りなく感じるんだ……。オレ、贅沢なこと言ってるのかな」


 幸せについてこんなに悩むのはおかしいのだろうかと、ペトロは自分の感覚を疑った。けれど、その悩みにヤコブとユダは共感できた。


「俺たちも一度は絶望を味わってるから、お前の悩みはわからなくはないよ。幸せってものが何なのか迷子になるよな」

「でも幸せの基準は、きっと人それぞれだよね。働いてお金を稼げてることだったり、家庭を築いて子供がいることだったり、自由を満喫してることだったり。十人十色の考え方があるよ」

「じゃあ。ユダとヤコブは、どんな時に幸せを感じる?」

「どんな時か。改めて訊かれるとなぁ……」


 ヤコブは腕を組み、自分の心が満たされている瞬間を考える。


「やっぱり、お前らとくだらないことで笑ってる時かな。なんだかんだで、そういう何気ない時が一番感じるかも」


 シモンといる時は違うのかと尋ねたが、それは幸せの中でも特別だとヤコブは答えた。


「私も似たようなものかな。みんなに囲まれてる時に幸せを感じるかも。記憶がなくて頼る人が他にいないから、仲間としてみんなと出会えたことはとても感謝してる」

「つまり。本当は近くにあるけど、オレが気付いてないだけ?」

「幸せって当たり前な顔して近くにいるから、意識はしづらいよな」

「きっと、その人にとって一番大事だと思うものが側にあることが、幸せって言うのかもね」

「一番大事なもの……」


 ユダとヤコブの所見を聞いて、ペトロは深く考え込む。


(前は家族が一番大事だった。それなら、今のオレには何が一番大事なんだろう……)



 スーパーのあとはベーカリーにも寄り、今日の買い出しは終わりだ。

 車に乗る直前にスマホが鳴ったヤコブは、現在電話中だ。彼の電話が終わるまで、ユダとペトロは車内で待った。


「ペトロくん。今日は付き合ってくれてありがとう」

「別に。買い出しくらい、いつでも付き合うよ」


 車内はカーラジオが流れていた。リクエストされた曲名をDJが紹介し、流行りの歌手の歌が流れ始める。

 それに耳を傾けていないペトロは、口を開いた。


「……あのさ。返事、待たせてごめん」

「いいよ。気にしないで」

「でも。ずっと前なんだろ? 好きになってくれたの」

「あ。さっきのヤコブくんとの話、聞いてたの?」


 距離は少し離れていたが、耳をそばだてていたペトロは、ユダがずっと片思いをしていたことを聞いてしまった。


「いつから……」

「話すと長くなるかな。丸一日あればなんとか」

「徹夜して聞けって言うのかよ」

「それは冗談だけど……。きみを一目見た瞬間から、ずっと忘れられなかった」


 ユダはバックミラー越しに視線を送った。斜め後ろに座るペトロはその視線に気付いて、バックミラーに映るユダの目と目を合わせた。

 直接見つめられなくても、滲み出る優しさが伝わってくる。真っ直ぐで熱を帯びた気持ちと一緒に。

 ペトロはその視線から目を逸らさず、ちゃんと向き合った。


「ありがと。オレのこと気遣ってくれて」

「時間は気にしなくていいよ。考えてくれてることが、私は嬉しいから」

「うん」


 贈られる思い遣りが、やけに心に沁みる。不思議と、泣きたくなるほどに。


(やっぱり、ちゃんと応えたい。こんなに真っ直ぐで、溢れるほどの温かい思いを注いでくれる人、出会ったことない……。無駄にしたくない。毎日少しずつ捧げてくれる、その気持ちを……)




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