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第13話 棺の中。酸鼻は笑う①



「はあっ。はあっ。はあっ。はあっ……」


 鈍色の雲が空を覆う。崩れた建物のコンクリートが転がり修羅と化した巷の中を、シモンは走っていた。

 辺りは煙と砂埃で満ちていて、口呼吸をすると口の中が少しジャリジャリする。道も穴だらけでガタガタだった。

 走っていると、近くからドンッ! という身体ごと激しく打たれるような音と、爆発音と振動が地面と空気を伝って響いてくる。


(あれ。ボク、なんでこんなに必死に走ってるんだっけ)

「シモン!」


 シモンは誰かに手を引かれて走っていた。視線を上げると、ボサボサの金色の髪の女性だった。


(お母さんだ)

「もう少し頑張って!」

(そうだ。ボクは、危険から逃げてるんだ)


 シモンは母親とともに学校に逃げ込んだ。

 そこは、避難して来た人ですでにいっぱいだった。服が汚れて靴を片方なくしていたり、毛布に包まる子供に親が寄り添っていたり、必死にここへ辿り着いた人で教室は溢れ、皆一様に不安に満ちた表情だ。

 ある教室には怪我人がたくさん横たわっているのを、シモンは横目に見た。

 教室に入れなかった二人は、廊下の空いていたスペースに腰を落ち着けた。


「ここにいれば、ひとまず安心よ」

「ねえ。お父さんは?」

「お父さんは、みんなを守るために戦ってくれているわ」


 母親はシモンの身体を抱きながら、着ていた服の裾で汚れたシモンの頬を拭いた。

 防衛ラインは守られている。だから避難して来た人々は安心していた。

 ところが、爆音がすぐ近くで起き振動も伝わって来た。人々はざわめき恐怖を浮き立たせる。

 そこへ、ライフル銃を提げた味方の男性が、血相を変えて駆け込んで来た。


「マズい! 防衛ラインが突破される! ここを離れるんだ!」


 人々は、性急に場所を移るために移動を始める。シモンは再び母親に手を引かれ、他の人の後に付いて移動を始めた。

 爆音は続いている。少しずつ近付いているのは気のせいだと言い聞かせながら、人々は避難を急いだ。

 学校の出口に進む途中、シモンの足にうさぎのぬいぐるみが当たった。前方で、持ち主の少女がぬいぐるみがないと泣いている。シモンの二歳くらい下の子だ。困った母親は少女を抱き上げ、ぬいぐるみは諦めるように言い聞かせているようだった。

 シモンはその子に渡そうとぬいぐるみを拾い、前進しようとした。その時。


 ドオォォォンッ!!!


 耳をつんざく破壊音と地震のような振動に襲われ、驚いて目を瞑り周りの人たちと一緒にしゃがみ込んだ。

 とてつもない衝撃で数秒聴覚を失った。息を吸うと大量の砂埃が入って来る。身体が異物を吐き出そうと咳をした。

 すると、風を感じた。窓は開けられていなかったはずなのに。

 目を開けられるようになると、避難を再開しようと立ち上がり顔を上げた。その瞬間。

 惨状が、目に飛び込んで来た。


「あ…………」


 目の前から廊下がなくなっていた。建物ごと抉られ、鈍色の空が見えていた。

 校舎の一部だったものは瓦礫の山となり、その下に避難をしようとしていた怪我人を含む数十人が下敷きとなっていた。ぬいぐるみを渡そうとした少女も。

 仰向けに虚空を見つめる死体の顔を、シモンは見た。


「ぅ……うああああああああああっ!!」




『使徒の力の使い方』の知識を奪われた四人は、腰を下ろしたまま悠々閑々と待つガープに見守られているという異常な状況の中で戦う方法を模索する。


「使徒の力が使えなかったら、俺らはどうしたらいいんだよ」

「頼んだら返してくれないかな」

「ちょっと厳ついだけで、一緒に飲んだら意気投合して最終的に肩組んで歌ってそうなおじさん風だけど、返してはくれないだろうな」

「これじゃあ、攻撃どころか防御もできない……。なぁ、ユダ。何かいい考えないかな」


 ペトロが問い掛けると、状況打開のために思案している様子のユダからあることが提案される。


「ハーツヴンデなら出せるかも」

「でも、あれも使徒の力なんじゃ……」

「いや。ハーツヴンデは自身のトラウマを具現化したものだ。確かに使徒の力は使ってるけど、具現化の源はトラウマだから、もしかしたら」

「そうか。可能性はありますね」

「じゃあ、試してみるか」


 その他には敗走という手段しかない。可能性を信じて四人はハーツヴンデを呼び出す。


心具象出ヴァッフェ・ダーシュテーレン!」


 突き出した手に光の集合体が現れると、それぞれのハーツヴンデを具現化することに成功した。


「出せた!」

「よかったぁ。何もできないで終わりとか洒落になんねぇもんな」


「ほぉ……」ガープは顎髭を撫で感心する。


「そんな芸も有ったのか。一方的に嬲り殺しにするのもつまらんと思っていた所だ」

「おい、誰だよ。一緒に飲んだら意気投合して最終的に肩組んで歌ってそうなおじさんて言ったの。全然そんな感じじゃねぇぞ」

「ただのイメージだ」

「ならば儂も、相応な物を用意せねばならんな」


 ガープはおもむろに葉巻きを取り出し吸い始めた。


「葉巻き吸った……」


 戦闘準備万端だというのに、その行動に四人は呆然とする。あの主にこの使役魔。フィリポの時とは振る舞い方が全く違う。

 ガープが葉巻を吸うと、口からではなく葉巻から煙がもくもくと出始めた。その量は可燃物を大量に燃やしているほどだ。そして発生する煙は空には昇らず、ガープの周囲に漂った。


「我が眷属らよ。出陣の時だ!」


 その煙の中から、湧いて出るように装備した百以上の悪魔が出現した。


「掛かれ! 我らを排除せんとする人間共を駆逐せよ!」


 ガープの合図に眷属の悪魔たちは歩兵と弓兵からなる部隊を組み、四人を個別に襲い始めた。


「またこのパターンかよ!」

「既視感あるなぁ……」

「これが噂の悪魔部隊なんだな」

「という訳で、各個応戦!」


 四人は襲い掛かって来る悪魔部隊を各個撃破していく。

 ユダとヨハネは大鎌〈悔責バイヒテ〉と長槍〈苛念ゲクイエルト〉で歩兵を一列ずつ薙ぎ払い、ペトロとヤコブは剣〈誓志アイド〉と斧〈悔謝ラウエ〉で一体ずつ倒していく。後方からアーチを描いて飛んで来る弓兵の矢もハーツヴンデで防ぎながら、一対数十体を強いられる。


「こいつら全滅させたら、クエストクリアってことでレベルアップしねぇかな」

「そんな楽しいやつだったらよかったんだけどね!」


 一人で攻撃と防御の二役をこなしながら蹴散らし続け、憚っていた悪魔の壁が次第に薄くなる。あと一息で一対大勢が終わるかと思ったが、その後ろに別の部隊が新たに現れ進軍して来た。


「まだいるのか!」

「そういえば。グラシャ=ラボラスの時もエンドレス悪魔だったよね」

「そうだったな」

「みんな、オレが閉じ込められてるあいだこんな戦いしてたんだな」


 軍勢のリーダーのガープは眷属たちを呼び出すだけで、相変わらず胡座をかいて葉巻きを吸いながら戦況を静観している。


「儂の軍勢は三十以上有るぞ。消耗戦となれば、不利はお主等だ」

「三十以上!?」

「オレは何も聞かなかったことにする」

「空耳にしておいた方が幸せだね」

「そういうのを現実逃避って言うんですよ」

「お主等の体力も無限ではあるまい。さあ。何時まで持ち堪えられるかのぉ」


 ガープは本来の力を奪われた使徒の底力を試しているのだろうか。だが四人には、ガープの目論見を考える暇はない。四人は奮戦するが、悪魔たちは連携して力を消耗させようとしてくる。


(くそっ。こんなザコに構ってる暇はないってのに!)


 タデウスの棺に捕らわれたシモンが心配でならないヤコブは、焦燥を必死に抑えていた。

 歩兵の後方に控える弓兵からの攻撃にも注意しなければならず、シモンの心配よりも自身の身を守ることに意識が向く。しかしヤコブが斧を振るいたいのは、ザコではなく死徒だ。だが一歩も動けない状況に、焦りは募る一方だった。

 そんな時だった。


「ぅ……うああああああああああっ!!」


 シモンの悲痛な叫び声が耳に届いた。


「シモン!?」

「ああっ……。ああああっ!」


 トラウマの幻覚を見せられるシモンは、艱苦の叫びを上げ続ける。


「シモンに何が起きてるんだ!?」

「あれが死徒やつらのやり方だよ。オレもああやって再現されたトラウマを体験させられて、精神を侵された」


 ペトロは苦痛を思い出し少し顔をしかめる。 

 ペトロは完全に捕われて追い込まれたが、棺は未完成の状態でも、五感の二つである視覚と聴覚を奪うだけでも精神を抉るには十分なのだ。


「くそっ! 晦冥たる白兎赤烏ムーティヒ・照らす剛勇ブリヒトニヒト!」


 シモンの状況を知り焦燥に負けたヤコブは、攻撃を繰り出して憚る悪魔の壁を崩した。その空いた隙間からシモンの元へ一直線に駆ける。


「シモン!」


悔謝ラウエ〉を握り締め、シモンを拘束している黒い帯を切ろうと刃を立てた。しかし、全く刃は通らず傷一つ付かない。


「なんだこれ! すぐぶった切れそうなのにっ!」

「無駄だよー。前に聞いてるよね。棺は内側からじゃないと破壊も出来ないよ」


 タデウスは目を瞑っていてもヤコブの行動が見えていた。


「ただ巻き付いてるだけじゃねえのかよ!?」

「やるの面倒臭かったから、通常の半分くらいだけどねー。だけど、外側から解放するのは絶対に無理だから、諦めてねー」


 相変わらずやる気ゼロ風のタデウスは、ヤコブを煽るように手をひらひらさせた。

 ヤコブは奥歯を噛みしめる。


「じゃあ。お前を攻撃すればどうなんだよ!?」


 帯状の棺への攻撃が効かないのならと、ヤコブはタデウスに標的を変えて〈悔謝ラウエ〉振り下ろす。しかし椅子にだらりと腰掛けたまま、目蓋を閉じたタデウスはのらりくらりと避けていく。


一寸ちょっと。危ないじゃんー」

「お前を倒せばシモンは解放されるんだよな!?」

「そうだけど。其れも無理だってー。君一人で倒せると思ってるの?」


 タデウスの影から黒い帯が伸びヤコブを貫こうとした。それを〈悔謝ラウエ〉で受け止め、流してかわすヤコブ。


「なよっちい引き籠もり風無気力野郎なんかに負ける気はしねぇよ!」

「失礼だなー。ぼくなよっちくないし、引き籠もりでもないよー。此れでも今凄く忙しいんだから、邪魔しないでくれる?」

「どこが忙しいんだよ! ぬいぐるみみたいに動かねぇくせに! ていうか目ぇ開けろ!」

「だからー。今あの子を追い詰めてるんだってばー。凄く大事な場面で、ぼくも気分がノッて来た所なんだからー」


 タデウスは複数の帯を一気に放った。ヤコブは再び切断を試みるが、シモンを拘束しているもの以上に固く〈悔謝ラウエ〉の刃と擦れると火花が散った。


「そもそも。君が相手するのは、ぼくじゃないでしょ」


 刃が立たないヤコブは、また悪魔の軍勢に囲まれた。


「くそっ!」

「ガープの能力で使徒の力も使えないくせに。所詮は愚蒙の一員に過ぎない奴で、弁える事も出来ない馬鹿なんだね」


 呆れるタデウスは、口調の端にヤコブへの侮蔑を込めた。




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