トラウマの幻覚を見せられ精神的に追い詰められるシモンは、しゃがみ込んで身体を震わせる。
場面はいつの間にか変わり、瓦礫に囲まれ孤独だった。瓦礫の間からは挟まれた人の腕や足がはみ出し、仰向けになった上半身は力なく頭を地面に向けていた。
あちこちから火の手も上がる。何かが燃えて灰色の煙が天上にそれを送る。
「どうして……。どうして、こんなこと……。なんでボクたちが、巻き込まれなきゃいけないの……」
シモンは震える声で誰にでもなく問い掛ける。
その問いに答えるのは、タデウスだ。声だけがシモンの耳に届く。
「そうだよねー。酷いよねー。ぼくたちが一体何をしたの? って感じだよねー。前触れも無くミサイル
「死ぬ……」
シモンは青褪め、強張る自分の身体を抱く。
「死ぬのは、嫌だ……」
「うん。嫌だよね。死にたくないよね。でも此れが、因果応報って奴なんだよ。過去の責任を、君も取らなきゃいけないんだよ」
タデウスはやる気のない口調で追い込みを始める。
「責任……? でも。ボクは、こんな地獄みたいな仕打ちを受けることやってない!」
「自分は普通に生きてきただけ? そうだよね。そう思うのが普通だよね。でも其れは、思い込みだよ。誰もが平和に一生を終えられるなんて、誰が決めたの? 神様はそんなに優しくないよ。もしも神様が全人類に優しかったら、君はこんな事に遭ってないでしょ。だから、普通に生きたって意味は無いんだ。どう生きようが、どうせ人間は死ぬ。理不尽に殺されるんだ」
「そんなの……嫌だ」
「君も遅かれ早かれ、皆と同じように死ぬんだよ。ほら。喚んでる」
タデウスがそう言うと、シモンの神経が聴覚に注がれる。
すると、周りから人の声がいくつも聞こえて来る。
「おいで……」
「おいで……」
「こっちのほうがラクだよ……」
「なにもイタクないよ……」
「なにもクルシクないよ……」
「おいで……」
作られた亡霊の声にシモンは耳を塞ぐ。
「嫌だ……。いやだっ!」
「君も、痛いのや苦しいのはもう嫌でしょ? 本当は使徒だってやりたくないんでしょ? ぼくは分かるよ。ぼくは、君と似てるから」
「いやだ……。だけど……」
シモンは唆そうとする声に抗おうとする。
そのすぐ側にタデウスが姿を現し、「ほら、見て」とシモンの髪を引っ張って顔を上げさせた。
瓦礫が消え去った代わりに、戦車が街を焼き、阿鼻叫喚の光景が眼前に広がっている。
「君は此れに堪えられる?」
「いやだ……。見たくない!」
「ほら。又ミサイルで建物が壊れて、瓦礫で人が潰れたよ」
「やめて……」
光景が逃げ惑う人々の叫びとともに脳裏に重なる。
「今度は銃で撃たれてるよ。血飛沫、凄いね」
「やだ……。やめて……」
涙が溜まり目から零れ落ちる。
「分かったでしょ? 君が生きて来た世界も、これから生きる世界も、どっちも地獄なんだよ」
タデウスは耳元で囁く。惨劇を上書きされたシモンの表情が、絶望の色に染まっていく。
ガープが喚び出した軍勢と対峙し続ける使徒だが、一部隊を退けてもまた次の部隊が進軍して来ての繰り返しで、全くガープに近付くこともできない。
「
悠々と腰を据えて戦闘を静観し続けているガープが咥える葉巻は、半分ほどまで減っている。しかし、出続ける煙の量は最初とさほど変わらない。
消耗戦に圧倒的な不利を強いられている使徒に、疲労の色が見え始める。
「まずいね。どうにかしてガープへ近付かないと」
「こんな戦闘ごときで負けるの、街のヒーローとしてカッコ悪いよな」
「だったら突破口作るしかねぇだろ! いつまでもこんなザコに構ってる暇はねえ!」
シモンが気掛かりでならないヤコブも苛立ち始める。
「ここは、二つの突破口を開こう!」
四人はユダとヨハネ、ペトロとヤコブで分かれ、それぞれで突破を試みる。
「
ヨハネは〈
「
別の部隊に阻まれても〈
「はあっ!」
ところが、また違う盾を持った部隊に阻まれる。
「お主、なかなかやるではないか」
「なかなかやるだけじゃ、使徒は務まらないよ!」
ユダは再び〈
「はあっ!」
ところがガープは姿を消し、瞬間的に別の場所に移動していた。
「!?」
「ほぉ。お主、人間にしては見所が有りそうだな」
顎髭を触るガープは目を細め、ユダに関心を示した。
一方、ヤコブはペトロの助けで悪魔の壁を突破していく。
「
「
二人で攻撃を連続で繰り出し、憚る悪魔の個体は少なくなった。
「行け、ヤコブ!」
ヤコブは薄くなった悪魔の壁を跳躍して突破し、再びシモンの元へ駆けた。ペトロはヤコブの邪魔をさせまいと残った悪魔を排除していく。
「シモン! 幻覚に惑わされるな!」
シモンに近付こうとするが、邪魔をされたくないタデウスに妨害される。ヤコブは襲い掛かって来る帯を〈
「無駄だって言ったじゃん。どんだけ愚蒙なの?」
ヤコブはタデウスには目もくれず、シモン救出にだけ神経を注いだ。
「俺の声聞こえないのか! それは全部偽物だ!」
襲い来る攻撃をできるだけ受け流すが、四方から次々と生えてくるように黒い帯が現れ、避けきれずに傷を負う。
だがヤコブは痛みなど構わず、シモンに近付いて手を伸ばす。
「シモン!」
攻撃を掻い潜ったその手は、帯に巻かれていなかった腕を掴んだ。
「俺のとこに戻って来いっ!」
「……!?」
絶望に染まりかけていたシモンは、一縷の望みを見つけたかのようにハッとする。
そして少し冷静さを取り戻すと、右腕に何かに触られているような感覚を覚えた。
(ヤコブ……。そこにいるの?)
右腕に刻まれている名前が、何かを教えてくれていた。
ヤコブの存在を感じるシモンは気持ちが落ち着いていき、浸食していた恐怖や絶望感が薄れていく。
精神的に幾分か落ち着いてきて、目を背けたい気持ちを堪えてもう一度凄惨な光景に目を遣ると、シモンは違和感を覚えた。
「なんか違う……。ボクの記憶とこの光景は、別物だ」
すると。戦車や瓦礫や人が全て消え、戦場はまっさらな空間となった。
(帰らなきゃ。ヤコブが待ってる!)
弓矢のハーツヴンデ〈
「
シモンは外でも〈
そして拘束していた帯が断ち切られ、解放されたシモンは地面に落下する。
「シモンッ!」
ヤコブは解放されたシモンを抱き止めた。
「しっかりしろ! 大丈夫か!?」
「ヤコブ……。大丈夫だよ」
顔色は悪いが、シモンの意識ははっきりしていた。弱々しくも微笑で無事を伝える姿に、ヤコブは心底安堵する。
一方の棺を破られたタデウスだが、全く悔しがってもしていない。
「あれー。脱出されちゃったー。中途半端にした
ユダと対峙していたガープに帰還命令が下った。
「おっと。主から帰還の命令が下された。此の勝負、次の楽しみとしておこうではないか」
「主があれだから、次がいつあるのかはわからないけどね」
「はっはっは! 違いない」
豪快な笑いとともにガープが消えると、呼び出された眷属の軍勢も霧のように消え去った。
「じゃあ。疲れたから帰るねー。バイバイー」
最後まで無気力だったタデウスも、あっさりと姿を消した。ある意味、立つ鳥跡を濁さない引き際だ。