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第14話 棺の中。酸鼻は笑う②



 作られた戦場に放り込まれ、精神的に追い詰められるシモンは、しゃがみ込んで身体を震わせる。

 母親はいなくなり、他の避難民も消え、いつの間にか孤独だった。囲む瓦礫の間からは挟まれた人の腕や足がはみ出し、仰向けになった上半身は糸を切られたマリオネットのように寝ている。

 あちこちから火の手も上がる。何かが燃えて、灰色の煙が天上にそれを送っている。


「どうして……。どうして、こんなこと……。なんでボクたちが、巻き込まれなきゃいけないの……」


 シモンは震える声で、誰にでもなく問い掛ける。


「そうだよねー。酷いよねー」


 その問いに答えるのは、タデウスだ。姿はなく、声だけがシモンの耳に届く。


「ぼく達が一体何をしたの? って感じだよねー。前触れも無くミサイルをち込まれて、街が破壊されて。戦車が何台もやって来て、更に建物を壊して。武装した人間が殺し合って、其の巻き添えで周りの人が沢山死んで」

「死ぬ……」


 シモンは青褪め、震える自分の身体を抱く。


「死ぬのは、嫌だ……」

「嫌だよね。死にたくないよね。でも此れが、因果応報って奴なんだよ。過去の責任を、君も取らなきゃいけないんだよ」


 タデウスはやる気のない口調で、それでいて問責する声音でさらなる追い込みを始める。


「でも。ボクは、こんな地獄みたいな仕打ちを受けることやってない!」

「自分は普通に生きて来ただけ? そうだよね。そう思うのが普通だよね。でも其れは、思い込みだよ。誰もが平和に一生を終えられるなんて、誰が決めたの? 神様はそんなに優しくないよ。もしも神様が全人類に優しかったら、君はこんな事に遭ってないでしょ。だから、普通に生きたって意味は無いんだ。どう生きようが、どうせ人間は死ぬ。理不尽に殺されるんだ」

「そんなの……嫌だ」

「君も遅かれ早かれ、皆と同じように死ぬんだよ。ほら。喚んでる」


 タデウスがそう言うと、シモンの神経が聴覚に注がれ、周りから人の声がいくつも聞こえて来る。


「おいで……」

「おいで……」

「こっちのほうがラクだよ……」

「なにもイタクないよ……」

「なにもクルシクないよ……」

「おいで……」


 作られた亡霊の声にシモンは耳を塞ぐ。


「嫌だ……。いやだっ!」

「君も、痛いのや苦しいのはもう嫌でしょ? 本当は使徒だってやりたくないんでしょ? ぼくは分かるよ。ぼくは、君と似てるから」

「いやだ!」

(だけど……)

「ほら、見て」


 唆す声に抗おうとするシモンのすぐ側に、タデウスが姿を現し、シモンの髪を引っ張って顔を上げさせた。瓦礫が消え去った代わりに、戦車が街を焼き、阿鼻叫喚の光景が眼前に広がっている。


「君は、此れに堪えられる?」

「いやだ!」

「ほら。またミサイルで建物が壊れて、瓦礫で人が潰れたよ」

「やめて!」


 逃げ惑う人々の叫びとともに、光景が脳裏に重なる。


彼処あそこで銃で撃たれてるよ。血飛沫、凄いね」

「いやだ……。やめて……」


 溜まった涙が溢れ、両目から零れ落ちる。


「分かったでしょ? 君が生きて来た世界も、これから生きる世界も、何方どっちも地獄なんだよ」


 タデウスは耳元で囁く。惨劇を上書きされたシモンの表情が、絶望の色に染まっていく。




 ガープが喚び出した軍勢と対峙し続けるユダたちだが、一部隊を退けてもまた次の部隊が進軍して来ての繰り返しで、全くガープに近付くこともできない。


のまま、儂の出番は無く終わりそうだのぅ」


 悠々と腰を据えて、戦闘を静観し続けているガープ。咥える葉巻は、半分ほどまで減っている。しかし、出続ける煙の量は最初とさほど変わらない。

 消耗戦に圧倒的な不利を強いられている四人にも、疲労の色が見え始める。


「まずいね。どうにかしてガープへ近付かないと」

「こんな戦闘ごときで負けるの、街のヒーローとしてカッコ悪いよな」

「だったら突破口作るしかねぇだろ! いつまでも、こんなザコに構ってる暇はねえ!」


 シモンが気掛かりでならないヤコブも、苛立ち始めていた。


「ここは、二つの突破口を開こう!」


 四人はユダとヨハネ、ペトロとヤコブで分かれ、それぞれで突破を試みる。


冀う縁の残心エントゥウィクレン皓々拓くゼルプスト!」


 ヨハネは〈苛念ゲクイエルト〉で、正面の悪魔を一掃する。そこをユダが、ヨハネに援護されながら襲い掛かって来る悪魔を排除しつつ突破していく。


来たれ黎明アウスシュテアブン・祝禱の截断ゲベート!」


 別の部隊に阻まれても、〈悔責バイヒテ〉で攻撃を連続で繰り出して半分ほど一掃し、残りは無視して悪魔の壁を飛び越え、ガープを直接狙った。


「はあっ!」


 ところが、また違う盾を持った部隊に阻まれる。


「お主、なかなかやるではないか」

「なかなかやるだけじゃ、使徒は務まらないよ!」


 ユダは、再び〈悔責バイヒテ〉で邪魔な部隊を排除する。そして、一気にガープの目前へと飛び込み大鎌を振り下ろす。


「はあっ!」


 ところが、ガープは姿を消し、瞬間的に別の場所に移動していた。


「!?」

「ほぉ。お主、人間にしては見所が有りそうだな」


 顎髭を触るガープは目を細め、ユダに関心を示した。

 一方。ヤコブは、ペトロの助けで悪魔の壁を突破していく。


晦冥たる白兎赤烏ムーティヒ・照らす剛勇ブリヒトニヒト!」

朽ちぬ一念シュナイデン・玉屑の闇エントシュルス!」


 二人で攻撃を連続で繰り出し、憚る悪魔の個体は少なくなった。


「行け、ヤコブ!」


 ヤコブは薄くなった悪魔の壁を跳躍して突破し、再びシモンの元へ駆けた。ペトロはヤコブの邪魔をさせまいと、残った悪魔を排除していく。


「シモン! 幻覚に惑わされるな!」


 シモンに近付こうとするが、邪魔をされたくないタデウスに妨害される。ヤコブは、襲い掛かって来る影の帯を〈悔謝ラウエ〉で受け流す。


「無駄だって言ったじゃん。どんだけ愚蒙なの?」


 謗ってくるタデウスをボコボコにしたい気持ちを抑えて無視し、ヤコブはシモン救出にだけ神経を注いだ。


「俺の声が聞こえないのか! それは全部偽物だ!」


 襲い来る攻撃をできるだけ受け流すが、四方から次々と生えてくるように黒い帯が現れ、避けきれずに頬や腕に傷を負う。

 だがヤコブは痛みなど構わず、シモンに近付いて手を伸ばす。


「シモン!」


 攻撃を掻い潜ったその手は、帯に巻かれていなかった腕を掴んだ。


「俺のとこに戻って来いっ!」




「……!?」


 絶望に染まりかけていたシモンは、一縷の望みを見つけたかのようにハッとする。

 そして少し冷静さを取り戻すと、右腕に何かに触られているような感覚を覚えた。


(ヤコブ……。そこにいるの?)


 右腕に刻まれている名前が、何かを教えてくれていた。

 ヤコブの存在を感じるシモンは気持ちが落ち着いていき、浸食していた恐怖や絶望感が薄れていく。

 幾分か落ち着いてきて、目を背けたい気持ちを堪えてもう一度凄惨な光景に目を遣った。するとシモンは、違和感を覚えた。


「なんか違う……。ボクの記憶とこの光景は、別物だ」


 すると。戦車や瓦礫や人が全て消え、戦場はまっさらな暗い空間となった。


「幻覚が消えた?」


 作り出した幻覚が風に飛ばされたようになくなり、タデウスは目を疑った。


(帰らなきゃ。ヤコブが待ってる!)


 シモンは弓矢のハーツヴンデ〈恐怯フルヒト〉を手にして、頭上に向けて光の矢を放つ。


泡沫覆う惣闇ホフノン・星芒射すリヒトシャイネン!」




 シモンは現実でも〈恐怯フルヒト〉を具現化させ、放った矢で棺が断ち切られると、解放されて地面に落下する。


「シモンッ!」


 ヤコブは、解放されたシモンを抱き止めた。


「大丈夫か!? しっかりしろ!」

「ヤコブ……。大丈夫だよ」


 顔色は悪いが、シモンの意識ははっきりしていた。弱々しくも微笑で無事を伝える姿に、ヤコブは心底安堵する。

 一方の棺を破られたタデウスだが、全く悔しがってもしていない。 


「あれー。脱出されちゃったー。中途半端にした所為せいかなぁ……。ま、いっか。もう一度やる気力も無いし。ガープ。帰ろー」


 ユダと対峙していたガープに、帰還命令が下った。


「おっと。主から帰還の命令が下された。此の勝負、次の楽しみとしておこうではないか」

「主があれだから、次がいつあるのかはわからないけどね」

「はっはっは! 違いない!」


 豪快な笑いとともにガープが消えると、呼び出された眷属の軍勢も霧のように消え去った。


「じゃあ。疲れたから帰るねー。バイバイー」


 最後まで無気力だったタデウスも、あっさりと影の中に姿を消した。ある意味、立つ鳥跡を濁さない引き際だ。




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