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第11話 スローリー



 スキンケア商品の広告撮影当日。再び会社に訪れたユダとペトロは、先日打ち合わせしたフロアとは別にあるビル内のスタジオでの撮影に挑む。

 ペトロは、スタジオのすぐ側に設けられている控え室で、衣装に着替えていた。ユダは、事務所のヨハネとスマホでメッセージのやり取りをしながら、着替えを観察している。


「それにしても、こんな短期間に三つも仕事が舞い込むなんて。さすがに、ここまで予想はしてなかったよ」

「ま。今回は、運が味方した感じだけどな」

「運も実力のうちだよ」

「運は運だと思うけど……。というか。衣装すごいシンプル」


 今回の衣装は、大きめのワイシャツとダボダボパンツのみで、アクセサリーもない。着たはいいが、これでいいのかとペトロは疑問だ。


「柄物や装飾が付くと、そっちに目が行っちゃうからね」

「そういうことか。だからCMの内容が入って来やすいんだな」

「ペトロだったら、どんな衣装でも全然問題ないと思うけどね。それにしても、結構サイズ大きめ?」


 ユダはおもむろに、ワイシャツの上から両手でペトロの腰を触った。ペトロは若干細身だが、シャツの前をズボンにinしていても結構布が余っている。


「サイズは48インチだった」

「普通のと比べると、ちょっと大きめの作りかもね。あと……下、何も着てない?」

「うん。着るものは、ワイシャツしか置いてなかったから」


 何か不満があるのか、ユダは難しい顔をして「うーん」と小さく唸る。

 するとそこへ、ヘアメイクの女性二人が部屋に入って来た。衣装担当の男性も一緒にいたので、ユダは彼に訊いた。


「すみません。ワイシャツの下に着るもの、ありませんかね」

「何か問題ありました? 見たところ、イメージ通りですけど……」


 衣装担当がペトロに近付こうとすると、ユダは笑顔で彼とペトロのあいだに壁になるように立った。


「私的に問題ありです。なので、今すぐインナー持って来てもらえますか?」

「いや。でも、このままで何も……」

「持って来てもらえますか」

「……わ、わかりました」


 繰り返しお願いすると、ユダの笑顔の奥の圧に負けた衣装担当は、インナーを探しに出て行った。


「何がそんなに気になったんだよ」


 ペトロはきょとんとして、ユダの配慮に全く気付かない。

 インナーが届けられるまで心配なユダは、自分が着ていたスーツのジャケットをペトロに羽織らせた。


「少しのあいだ、これ着てて」


 よくわかっていないペトロは、冷房で冷えないように気を配ってくれたんだと思った。

 その後、ペトロがインナーを着たのでユダも安心し、準備万端で撮影が始まる。


「ペトロくん。そのネックレスは取ってもらってもいいかな」


 付けたままのネックレスに気付いた衣装担当は、外すようお願いした。


「じゃあ、私が預かるよ」

「よろしく。なくすなよ?」

「わかってるよ」


 ユダはペトロからネックレスを渡された。その瞬間。


「……」


 ネックレスからを感じ取った。

 撮影はCMから撮り始める。スタジオにはセットでバスルームが再現され、洗面台の前に立つペトロはCMディレクターに演技指示を受ける。

 しかしユダは、ペトロから預かったネックレスから視線を外せなくなり、撮影に集中できなかった。


「……知ってる……?」

(でも、思い出すことは何もない……。それはそうか。これはペトロの持ち物だし、私の記憶とは関係ない。だけど……。なんで、こんなに気になるんだろう……)


 スタジオの端に佇むユダの掌のアンティークネックレスは、撮影の照明を僅かに受け鈍く光を放つ。


「T……」




 物質界では徐々に夏が幅を利かせてきているが、時間の概念がないシェオル界は季節も関係ない。常闇で肌に感じるのは、春でも秋でもない、温かいのか冷たいのかもわからない空気だけだ。

 そんな世界でも、種から芽を出した植物は次々と青々とした葉を広げ、マタイの目線ほどにまで逞しく成長していた。順調に成長し続ける姿に、見つめるマタイの目も細くなる。


の調子で成長してくれよ」

「あ。いた! マタイ〜!」


 そのせっかくの安息の暇に、トマスが半泣きでやって来た。


「どうしたんだ、トマス」

「助けて〜。フィリポとタデウスが、喧嘩してるんだよ〜。でも、バルトロマイもマティアも止めてくれなくて〜。おれも、どうにもできなくて〜」


 トマスは青い左目を潤ませ、止めてほしいと懇願した。助けを乞われたマタイは、呆れた溜め息を漏らす。


「あの二人、またか……」


 使徒との戦いでタデウスが敗走して来てから、二人は何度か衝突していた。他の仲間は我関せずで止めに入らないので、トマスが助けを求めて来るたびにマタイが仲裁している。

 トマスと一緒にいつもの広間に向かうと、部屋の手前から扉を突き抜けて中から大きな音が聞こえて来る。入ると、長テーブルは五等分され、椅子は粉々になって散乱し、壁や床は穴や傷だらけだった。毎回、怪獣が暴れたようなこの惨状である。


「おい、タデウス! テメェ言っちゃいけねぇ事言いやがって!」


 フィリポは影で物を投げ、タデウスは影の椅子に座ってのらりくらりとそれらをかわす。

「ひえ〜〜〜」怯えるトマスは、マタイの後ろに隠れた。


「ぼくが何を言ったって言うの。ただ、思った事を言っただけだよ。フィリポは、紙みたいにペラッペラな口だけのプライドの喧嘩好き俺様野郎で、居ても居なくても同じ。て言うか。フィリポが居なくても、誰も微塵も気にならないよ」

れだ! 後半の其れ! 俺様の存在を全否定しやがって! テメェだって、使徒の野郎を堕とさずに帰って来たじゃねぇか! 疲れたって、何だ其の理由は! 懶惰らんだの権化みたいな無精糞野郎がっ!」

「フィリポだって疎放そほうじゃん」

「俺様が、適当に戦ったとでも言うのか!」


 フィリポはこめかみに血管を浮き上がらせ、手の形の影でテーブルだった板を掴みタデウスに投げた。しかしタデウスは、ふらりふらりと避ける。

 二人のケンカの妨げにならないようにと部屋の隅にいるバルトロマイは、腕を組んでただただ傍観し、マティアはケンカよりも枝毛を気にしている。


「テメェの其の怠け様は、昔っからムカついてんだよ! もう我慢ならねぇ! 外出て俺様とタイマンしろ! テメェと面合わせるのは今日が最後だっ!」


 と、フィリポがタデウスを連れて、壁をぶち破って外に飛び出しそうな勢いになった、その時。


「───っ!?」


 フィリポとタデウスに、背筋が凍るようなとてつもないプレッシャーが掛かった。部屋の隅にいながらもそれを感じ取ったバルトロマイとマティアも一驚し、出入口に立っていたマタイに顔を向けた。

 これはマズいと全員が思ったが、マタイは目を吊り上げてはおらず、見た目はいつもと変わらず飄々としていた。


「おい。いい加減にしろ、二人共。トマスがすっかり怯えてるだろう」

「俺様は悪くねぇ! タデウスが喧嘩吹っ掛けて来るんだよ! 此奴こいつ、絶対わざと俺様を怒らせてんだ!」

「フィリポ落ち着け」

「俺様を侮辱し続けるこいつをブチ殺さねぇと気が済まねぇ! やらせろマタ……ッ!」


 抗議を続けるフィリポの首元に、黒い槍が突き付けられた。フィリポは一瞬口を噤む。


「落ち着けと言っているだろう。何度も同じ事を言わせるな。其れでは人間と同類だぞ」

「けっ……。けどよ!」

「首を吹っ飛ばされると、回復に丸一日は掛かる。仕方が無いから、今回は其れだけで勘弁してやろうか?」


 マタイは腕を組み穏やかに言うが、肌に静黙の怒りが刺さるフィリポはグッと反論を飲み込み、興奮を収めた。

 浮いていたタデウスも同じものを感じ取り、怒りに触れないようそっと床に降りた。


「お前達がやっているのは、不毛な事だ。分かったら二度とやるなよ。バルトロマイとマティアも、傍観せずに片腕や片足を奪うくらいして止めてくれ」

「でもマタイ。何の成果も得られていないから、起きた事でもあるのよ。違う方策を考えるべきじゃないの?」


 マタイの静黙の怒りが大人しくなったので、マティアは胸に掛かる髪を手櫛で整えながら言った。

 大人しくならざるを得なかったフィリポは、臍を曲げて胡座をかいた。


「マティアの言う通りではあるな」

「タデウスはの性格だから仕方が無い部分はあるけど、フィリポが負けて帰って来たのは貴方も想定外だった筈よ。使徒は侮るべきでは無いのかもしれないわ」

「確かに、フィリポが敗走して来たのは想定外だった。だが、まだ大きく動く時ではない」

「其れで良いのか」


 無口なバルトロマイは、疑問を呈する。


「物事には契機がある。俺たちはまだ、其の地点に立っていない。其処そこへ向かい始めたばかりだ」

「仲間が二人も敵わなくて、統括として何とも思わないの?」

「そんな事は無い。俺たちに連勝している使徒に調子に乗られるのは癪だし、舐められるのも耐え難い」

「なら、どうして一気に堕とそうとしないのよ」

「言っただろう。俺たちはまだ、契機の地点に向かい始めたばかりだと。つまり、今は準備段階だ」

「準備段階って?」


 マタイの後ろに隠れていたトマスが、顔を覗かせて尋ねた。


「切願の為の種が、育ち始めたばかりだ。あれは、物質界から持ち帰った負のエネルギーを栄養分として少しずつ育つ。成長は順調だが、願いを叶えるにはまだか弱過ぎる。お前達は、生まれたばかりの赤子に仕事をやれと言って出来ると思うか?」

「其れは無理だねー」


 タデウスは、怒られたことはすっかり忘れ、ケンカの残骸が散らばる床にだらりと寝転んでいた。


「あれは、切願の為に必要不可欠。成長を待たなければ、願いは叶えられない。そして、俺が見極めようとしている『』も」

「気になってるって言って事ね」

「其の二つが揃わなければ、俺が此処ここに居る意味は無い」

「マタイがそう言うなら、おれ達も同じだよ」


 ケンカはするが意志も目的も同じだと賛同するトマスに、マタイは微笑を向ける。


「お前達。誓いの言葉を忘れた訳じゃ無いだろう?」


 マタイは、団結を忘れかけている仲間たちに問い掛けた。


「『人類平等』」

「『全ての人間に同じ苦しみを』」


 タデウスとフィリポが代表して言った。


「切願は、簡単には叶えられない。あの植物を丹精を込めて育ててこそ、意義が有る。何事も焦らない事だ」

「貴方がそう言うなら、あの植物が育つのを待ってあげるわ」

「仕方があるまい」


 バルトロマイとマティアは現状維持に少し不満そうだが、統括のマタイの意志に従い意見するのは慎んだ。


「ぼくは、早くても遅くても何方どっちでも良いよー」

「物分りが良い仲間で助かる……。では、収まったな。そう言う訳で。此処の後始末は、フィリポとタデウスでやっておくんだぞ」

「はあっ!?」


 聞いてないぞと言わんばかりにフィリポは立ち上がる。


「お前達が滅茶苦茶にしたんだ。当然だろう」

「ええーっ。面倒臭いー」


 拒絶からスライムになりかけるタデウスと、不機嫌を露に舌打ちをするフィリポ。これをきっかけにまたケンカを始めそうな二人に、マタイは言う。


「輪を乱す者には、誰も微笑まないぞ」

「俺様達に、誰が微笑むって言うんだよ」


 天涯孤独だろと言うフィリポに、マタイは振り返る。


「俺たちの祖先。とかな」

「全っ然嬉しくねぇ」


 唾でも吐き捨てそうな表情でフィリポは返した。




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