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第10話 陰雲と燭光



 その日の夕食後。リビングルームに残ったユダとペトロは、ヨハネから今日のヤコブの状況について聞いた。


「打ち合わせの日から、ちょっと様子は気になってたんです。仕事をほしがってたわりには喜んでないし、知り合いとの数年振りの再会だっていうのにあまり話も弾んでなかったし。今日も、いつものヤコブらしくないから気に掛けたんですけど、でも本人は何も問題ないって言ってて……」

「で。危険行為を犯しかけた……。と」


 ユダは腕を組み、深刻な表情で聞いていた。危険行為があったという一言目を聞いた瞬間から空気が若干ピリついていて、ヨハネも慎重に話した。

 その空気を感じるペトロも、そっとユダの心情を窺う。


「ユダ。今はまだ、ヤコブのことあんまり怒るなよ?」

「大丈夫だよ。詳しい事情がわからない今は、無闇に責めたりしないよ」


 しかしユダは、笑顔で返す心境ではなかった。もしかしたらペトロが“事故”に遭っていたかもしれないのだから、仕方がない。


「シモンの話だと。どうやら、自分から音楽と関わりたくないという主旨を言っていたそうです」


 音楽は聴いているだろとペトロが疑問を口にすると、深く関わることを拒んでるらしいとヨハネは言った。その理由でオファーを受けるかを保留にしたのだと、ペトロは納得する。

 腕を組むユダは、その話を含めて理由を推し量る。


「音楽に関することで、過去に何かあったのかな。もしかしたらその出来事に、今回オファーをくれたバンドメンバーが関わっているのかもしれない」

「ですが、因縁や怨恨があったという雰囲気は感じられませんでした。ヤコブも、できるだけ自然に話そうとしていたように見受けられましたし、メンバーもいい人たちで、僕が見ている限り関係性は悪くないように感じます」

「そうか……。様子の急変も戦闘時だし、バンドメンバーは特に関係ないのかな」


 すると、ペトロが手を挙げた。


「オレの意見を言っていいか?」


 原因を追究したいユダとヨハネは、見解を聞くことにした。


「ヤコブはたぶん、トラウマを想起したんだと思う」

「トラウマを? でも、戦闘中は早々に悪魔を拘束したし、深層潜入だってしてないし、ほとんど悪魔と接触してないぞ」

「接触がなくても、きっかけがあったんだ。深層潜入をしなくても、戦闘中のほんの些細な刺激でトラウマは甦る。オレもそうだったから」


 以前、二体の悪魔が現れたエンゲルベッケンでの戦いの際に、悪魔のほんの一言でペトロは自身のトラウマを甦らせ、攻撃をためらった。ユダも、その戦闘の前後でペトロの様子が変わったことを思い出す。


「トラウマが甦るのは本当に予期できないから、心の準備ができないし、動揺で自分でも想定外の行動をする。それが戦闘中で、自分自身や仲間に危険が及ぶ状況下でも、正常な判断はできなくなる。ヤコブは、そういう状態になったんだと思う」

「ヤコブくんはトラウマを想起して、危険行為を犯しかけた……。それなら、理由として理解できるね」

「だから今は、そっとしておいてあげた方がいいと思うんだ。二人は責任の追及をしたいところだろうけど、焦らないで回復を待った方がいいと思う」


 以前の自分と重ね、ヤコブの現状を思い遣るペトロは、面責を思い留まるようお願いした。しかし二人は、ペトロの見解を聞いて腑に落ちた。


「責任追及と言うか、あんな行動をした理由を知りたいだけだ。責めてやろうとか考えてない」

「うん。それに、そういう理由なら咎めるつもりはないよ」


 ペトロのその気持ちを汲み、ユダとヨハネはこの件に関しては保留することにした。ピリついていたユダも、寛容に考えてくれるようだ。




 三人が話している頃。間接照明だけの明かりの中、ヤコブは掛け布団を顔まで被ってベッドに潜っていた。

 クローゼット横に立て掛けてあるギターに、ヤコブの濡れた服が掛かっている。雨に濡れて帰って来て脱ぐと、視界から隠すように被せてしまった。

 雨は既に止んでいて、窓ガラスに雫が取り残されている。けれど、まだ雨雲が空を占領していて星も見えない。

 余計に気分が塞いでしまいそうな雰囲気の中、言葉を掛けられずにいるシモンは、ベッドを背凭れに膝を抱えて座っていた。


「ヤコブ。気分どう?」

「……悪くはない。けど。良くもない」


 寝たまま答えるヤコブのくぐもった声が聞こえた。


「そっち行っていい?」

「……ああ」


 シモンは、窓側に向いて寝るヤコブの背中側に座った。雨に濡れたヤコブの黒髪は、乾き切らずにまだ湿っている。


「……今日のこと、訊いてもいい?」


 シモンは、なるべく刺激を与えないよう配慮して尋ねた。


「話しづらいよね。さっきのヤコブ、全然らしくなかったもん。見られたくない自分を見られて、気まずいよね」

「……ペトロとユダ、怒ってないか?」

「怒ってないよ。ちゃんとボクから説明しといたから」


 話し合いがどうなっているかは知らないが、ヤコブを安心させるために嘘をついた。ヨハネが、自分の代わりに説明の義務を果たすと言ってくれたので、誤解はされていないと信じた。


「ヤコブ。ボクには話してほしいな。様子がおかしかったの、ちゃんと理由があるんだよね?」

「……」

「過去のこと、何か思い出しちゃった?」

「……」


 慎重に尋ねても、ヤコブは口を開かない。どんな表情をしているのか窺きたくても、隠されて何も見えない。


「ねえ。少しでもいいから話してよ。ヤコブの心に今一番あるものを、ボクに教えてよ」

「……」


 やはり、ヤコブは口を閉ざす。恐らくトラウマが関係しているであろうことは、シモンもわかっていた。

 ヤコブに背中を付けて、シモンもベッドに寝転んだ。そして、弱った心が傷付かないよう、怯えないよう、少しずつ近付く。


「ボクには話してくれないの? ボクはヤコブのバンデだよ。こういう時に、役に立つ存在じゃないの? ボクは、ヤコブが話を聞いてくれただけでも安心できたよ。だからボクも、ヤコブを安心させたい」


 今の自分の気持ちを伝えて、シモンも口を閉じた。背中を付け、ヤコブの心が整うまで待った。

 掛け布団越しに、ヤコブの温もりを感じる。この背中越しに、思いが届いてほしいと願う。

 しばらく沈黙の時間が流れると、ようやくヤコブが口を開いた。


「……俺には、兄貴がいたんだ。アレンたちと一緒に、バンドをやってた」

「そうなんだ」

「俺は、兄貴が好きだった。ギター弾いてる姿がカッコ良くて、密かに憧れてた」

「いいな。兄弟がいないから、そういうのちょっと羨ましいかも」


 シモンは普通の会話を心掛け、ヤコブにストレスが掛からないよう気を配った。


「アレンたちと再会できたのも、本当は嬉しかった。けど。素直に喜べなかった。会っちゃいけないと思ってたから」

「会っちゃいけない?」

「でも。この再会で何か変わるかもしれないと思って、仕事を引き受けた。けど……やっぱり苦しかったんだ……。俺は、俺から音楽に近付いたらダメなんだ」


 そう言うヤコブの声音は本当に苦しそうで、心が縛られているようにシモンには聞こえた。


「アレンさんたちとは、何もなかったんだよね?」

「アレンたちとは何もない。でも、俺のせいで……」


 ヤコブの心は、罪悪感に縛られている。それは、はっきりとわかった。


「そのことは、戦闘中のあれと関係あるの?」

「……苦しそうだったから」

「苦しそうだったって……。悪魔が?」

「男の子が。だから、早く救ってやりたかった。断ち切ってやりたかった」


 小さな身体で堪えていたのが痛ましく見えたのか、一刻も早く苦しみから開放してやりたくなったのだと言う。

 原因であろうトラウマのことは話してくれなかったが、あの危険行為は、ヤコブの心理的状況から起きたことだったのだろうとシモンは考えた。

 今言えることを告白したヤコブは掛け布団から顔を覗かせ、シモンの方を向いた。


「ごめんな、シモン。心配掛けて」


 まだ元気はなさそうだが、顔を見られたシモンはホッとして穏和な表情をする。


「気にしないで。むしろ、ちょっとだけ嬉しいから」

「なんで」

「元気ないヤコブを心配することってないから、レアだなーって」

「人がヘコんでるってのに……」


 ヤコブは不平を少し覗かせた。けれど、シモンの気遣いの冗談だとわかっているから、本気で怒ることはない。


「ボクには遠慮しなくていいから、なんでも話してよ。全部聞いてあげるから。ボクは、ヤコブのバンデだから」

「ああ……。ありがとな」


 二人は、心が繋がっているのを確かめるように手を繋いだ。それだけでも、ヤコブの心は少し和らいだ。




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