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第13話 棺の中。楔は奏でる①



其方そちらは任せる」

「畏まりました。主様」


 この場をビフロンスに任せたバルトロマイは、沼状の棺の中に消えていった。

 主を最敬礼で見送ったビフロンスは後ろで手を組み、細めた目と弓形の口の顔を上げた。シモンは、一対一で戦闘が始まる覚悟で身構える。


「噂を聞いた所、使徒は五人居ると伺いましたが?」

「ボクだけじゃ不満?」

「不満と申しますか……。敵ながら心許無いなと思いまして」

「心配ありがと。でも、もうちょっとでみんな来るよ」


 その予告通り、程なくして、アルバイト途中のペトロと、事務所からユダとヨハネが駆け付けた。


「ヤコブは?」

「棺の中」

「今回の棺も特殊な形状だな」


 シモンの視線の先にある、黒い地面に同化する泥溜まりを三人も見遣った。


「仲間の方が、御到着されましたね。揃われたようなので、御挨拶させて頂きます。私奴わたくしめは、ゴエティアのビフロンスと申します。本日は私奴にお付き合い下さり、恐悦至極に御座います」


 ビフロンスは胸に手を当て、敵の使徒に対して敬礼をする。


「ご丁寧にどうも。そんな挨拶をしてくれたゴエティアは、初めてだよ」

「喜んで頂き、光栄に存じます。皆様に楽しんで頂けるよう、此のビフロンス、善処して参ります」


 メガネの奥で微笑むユダと、わざとらしい笑みと丁寧な言葉遣いが気持ち悪いビフロンス。その表情の裏では、既に戦いが始まっていそうだ。


「其れでは、始めさせて頂きます」


 ビフロンスはジャケットの懐から、クルミほどの大きさの宝石を二つ取り出した。


「宝石?」

「此れが、私奴の得意とする戦術で御座います」


 そう言って宝石を握り潰すと、小さく砕かれた宝石を空中にばら撒いた。すると、砕かれた宝石を芯に青い火が灯り、それを目印に黒い塊が尾を引いて四方から集まって来た。そしてそれらは塊となり、半透明の黒い人形ひとがたになった。


「何だ、こいつらは!」

「眷属を喚び出したのか!?」

「いいえ。喚んだのは亡霊です」

「亡霊?」

「まさか、別パターンの死徒!?」


 ヨハネの一言に、ビフロンスは一笑する。


「冗談は止して下さい。私奴は、主様である死徒を隷従とは致しません。此等これらは、力を持たないただの亡霊です。皆様のお相手に喚び寄せました」

「何だ。それなら安心だ」


 ペトロは安堵の一言を漏らすが、ビフロンスは嫌らしく口角を上げる。


「そうでしょうか。皆様が此の者達と戦うなんて。其れは、使徒の存在意義に反するのではないでしょうか」

「何を言ってるんだ、こいつ」

「みんな。悪魔の言うことだ。耳を貸す必要はないよ」

「宜しいのですか? 素直にお聞きになられた方が、皆様の為と存じますが」


 悪魔の言葉は人を惑わせる。だから聞く必要はないとわかっていても、そう言われた四人はなぜか耳を傾けてしまう。


「亡霊とは、の世で非業の最後を遂げた人間の未練が形となった存在です。使徒とは、悪魔を祓い、悪魔に憑依された人間の心を救うのですよね。亡霊も、其れと同じ様な物では御座いませんか?」

「同じ?」


 ペトロは怪訝な表情で問い返す。


「意識的に受けた感情ではなく、理不尽によって否応無しに抱かされた闇を持っている。と言う事です」

「何を言っている。僕たちを混乱させるつもりか」

「いいえ。ですが、そうではありませんか? 生きているか死んでいるかの違いなのです。救われるべき存在は、皆様が其の目で見ている物だけでは無いのですよ」


 たかが悪魔の戯言に、四人は困惑の表情をする。日々救っている憑依された人々も亡霊も、同じ苦しみを抱えている。そんなことを言われてしまえば、亡霊を敵と見做していいのかと迷いが生まれる。


「皆様は、此の亡霊達を無情に消せるのですか?」


 使徒の心理をつついて揺さぶるビフロンスは、目を細めニタリと笑った。




 棺に囚われたヤコブは、実家にいた。

 木材を貴重とした素朴なブリティッシュカントリー調で、温かみのあるリビング。絵に描いたような家族団欒が思い描けるその空間で、十二歳のヤコブはギターケースを抱いて臍を曲げていた。

 説得を続けていた両親は、呆れ顔から苛立った表情になり始めている。兄デリックも、ギターを奪われて困り果てていた。


「ヤコブ、いい加減にしなさい。デリックが困ってるでしょう」

「大事なオーディションを控えてるのに、これじゃあ乗る予定の電車に間に合わないだろう」

「大丈夫だよ、父さん。一本くらい遅れたって」


 苛立つ両親に反して、一番慌てなければいけないデリックは焦燥を見せていなかった。オーディションは明日の日曜日の午前からだが、今日は土曜日。学校終わりでアレンたちとロンドンに移動して、一泊して挑む予定なのだ。


「だが、アレンたちが待ってるんだろう?」

「僕が約束の時間に駅に現れなかったら先に出発してくれって、連絡しておいた」

「ほら。あなたが駄々をこねるから、みんなに迷惑が掛かってるのよ。もう十二歳なんだから、大人になりなさい」

「嫌だ! 悪いのは兄貴だ! 俺が先に約束してたのに、兄貴が破ったんだ!」


 ヤコブは顔を赤くし、約束の件をずっと主張して激怒していた。


「何度も謝ったのに、まだ許してくれないのか。ヤコブ」

「だって、兄貴もサプライズ楽しみにしてるって言ったじゃん。だから俺、喜んでもらいたくて一生懸命に練習したんだ。なのにら兄貴のせいで俺の努力が無駄になった!」

「今日は無理でも明日があるじゃない」

「兄貴の誕生日は今日だ! 今日じゃなきゃ意味がない!」


 どうしても自分を優先してほしいヤコブは、頑として兄を行かせたくなかった。

 眉をハの字にするデリックは、ヤコブの前にしゃがんだ。ヤコブはギターを離すまいと力を込める。


「本当にごめん。僕もすごく楽しみにしてたのは、本当だよ。でも。まだ芽生えたばかりだけど、この夢を絶対に叶えたいんだ」

「オーディションなんて何度もあるじゃん」

「だけど、挑戦しようと決めた時に動かないと夢は叶えられない。ライバルはみんな貪欲に挑戦し続けてるのに、僕だけ呑気にしていられないんだ」

「兄貴はまだ十六だろ。人生まだまだこれからじゃん」

「十二のくせに、お祖母ちゃんみたいなこと言うなよ……」


 弟の口から出た言葉に、デリックはつい微苦笑を溢した。


「頼むよヤコブ。お前のおかげで、僕は夢を見つけられたんだ。バンドデビューするために、僕を応援してくれよ」

「嫌だっ!」


 ヤコブはギターを抱えたまま立ち上がり、逃げるようにデリックから離れた。


「それって、兄貴は俺よりも夢の方が大事ってことだろ。俺の努力よりも、バンドデビューの方が価値があるんだろ!?」

「そんなこと言ってないだろ」

「言ってる! そんなに夢が大事かよ! 家族よりも優先したいのかよ!」

「いい加減にしなさい、ヤコブ!」


 デリックが怒らないぶん、両親の苛立ちが大きくなり、声も荒々しくなる。そんな両親の怒りさえ、ヤコブには関係なかった。


「もう知るか! 兄貴のギターなんか褒めなきゃよかった! オーディションなんか落ちればいい!」

「ヤコブ!」

「兄貴なんか嫌いだ! オーディションでもどこでも行ってもう帰って来るな! 一生帰って来るな! この世から消えちゃえよ!」

「なんてこと言うんだ! いいから早くギターを離しなさい!」


 強引な手段に出るのを堪えきれなくなった父親は、ヤコブから力尽くでギターを奪った。


「あっ!」


 少年では大人の力に敵わず、ヤコブの胸からギターが剥がされデリックに渡された。


「さあ、行け。あとのことは気にするな」

「ありがとう。父さん、母さん」


 デリックは、母親に捕まえられ悔しさで半泣き状態のヤコブに顔を向けた。


「ヤコブ。本当にごめん。サプライズは、明日帰って来てからの楽しみにするよ」


 手子摺らされたというのに、デリックは後ろ髪を引かれるような表情を残して出発した。

 約束が守られなかったヤコブは不貞腐れ、膝を抱えた。


(兄貴のバカ野郎! 誕生日だからサプライズしたかったのに。今日じゃないと意味がないのに。明日やっても意味なんてない。明日なんて……)


 臍を曲げるヤコブの心に、ふっと得体の知れない不安が過ぎった。


「明日……」


 本当に明日が来るのかと、急に怖くなった。

 ヤコブは衝動に駆られるように家を飛び出し、全力で走ってデリックを追い掛けた。

 空は曇天に覆われ、一雨来そうだった。

 ヤコブは全力で走ったが追い付かず、デリックは電車に乗ってしまい、駅を出発してしまう。


「兄貴!」


 ヤコブは、諦めきれずに電車を追い掛ける。いつしか辺りからは建物が消え、道も消え、ヤコブと一直線に走行する電車だけとなる。


「待って! 兄貴、行かないで! 電車から降りて!」


 必死に叫んでも、車窓の内側のデリックはヤコブに気付く気配がなく、辿り着く場所へと真っ直ぐ顔を向けている。


「兄貴! 謝るから! だから行ったらダメだ! 行かないで! ……あっ!」


 ヤコブは躓いて転倒した。そのあいだに、電車はロンドンの終点駅へと到着した。

 だがその瞬間。突如として爆発が起きた。一度だけではなく、三〜四回爆発した。駅舎からは炎は燃え上がり、灰色の煙が立ち上る。

 その紅蓮と灰色のあいだから、デリックが乗っていたダークグリーンとホワイトの配色の車両が、ひしゃげた形で覗いていた。


「あ……。あにき……」


 ヤコブは悲劇を叩き付けられて愕然とし、立ち上がる気力を奪われる。

 するとその背後に、顔のない両親が現れた。


「電車に乗り遅れなければ、こんなことにはならなかった」

「あなたが我儘を言うからよ」

「そうだ。おまえのせいだ。全部、デリックに呪の言葉を掛けたお前の責任だ」

「そうよ。これは全てあなたのせいよ。ヤコブ」


 顔のない両親は、実子のヤコブを容赦なく叱責する。

 そして、声を揃えて刃を突き刺す。


「お前がデリックを殺したんだ」




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