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第13話-一泡ふかせたのは、僕だった

「言っておくが、俺は何ひとつお前のことを騙してなんていない」


 さっきの一悶着が無かったかのような態度で、峰は蕎麦をすする。千尋も真似ようと蕎麦を口に含んだが、まだ熱かったせいで一本吸い上げるのがやっとだった。そんな千尋に「や火傷するなよ」と峰が一言付け加えてくる。彼のその余裕ぶりが、千尋の心をまた苛立たせた。


「……それは、そうだけど」

「だから、俺を責めてもどうしようもないぞ」


 その言葉に、ぐっ、と息を呑むしかできなかった。

 峰の言う通りだ、実際彼は何も嘘をついていない。ただ、千尋が大袈裟に期待をしてしまっただけだ。

 大学卒業すれば、付き合えると思っていた。その約束そのものが勘違いだったと気付いた今、胸の奥がやすりで削られているかのような感覚すら感じている。


「というか、お前はまだ付き合う気でいたのか。俺と」


 峰の言葉に、泣きそうになる。だからこそ、押し返す。


「当たり前でしょ」


 ずっとそのために、6年間生きていたと言っても過言ではない。

 会えなかった絶望すらも、「いつか会えるかもしれない」という希望だけで生きてきたのだ。つまり、峰の言葉はすべてその希望を伐採する斧のようなものだ。

 ふざけている、としか……未だ、思えない。

 峰は重いため息を吐きながら、再び蕎麦をすすった。


「伸びるぞ」

「まだ熱いんだよ」

「……そうか」


 峰への気持ちに気付いてからは、一度も反抗的な態度を取ったことがない。そもそも、最初の内も信用ができなかっただけで反抗などしたことはなかった。だからこそ、峰にとっては千尋のこの態度が少し意外に感じているかもしれない。いや、むしろそう思ってほしい。そこから、罪悪感に繋がってほしい。そんな千尋の願いとは裏腹に、峰はひたすら蕎麦をすする。


「あの時に、全部言っておいた方がよかったか」


 不意に聞こえた峰の言葉に、頷く。


「そうすればきっと、ここまで……僕も、拗らせずに済んだよ」


 紛れもない本心だ。それでも、一つだけ分からないのは……仮に拗らせていないにしろ、彼を忘れられたかどうかだ。

 千尋の言葉に、峰はやっと箸を止めた。そして。


「すまん」

「え」


 唐突な、謝罪だった。それでも峰の表情は、いつもと変わらない。本当に感情を持っているか疑問になるかのような鉄面皮だ。


「正直、お前を舐めてた」

「舐めてた、って」

「ああ言っておけば、お前もいつか俺を忘れると思ってた」


 峰の言葉は、嘘をついているようには聞こえなかった。そもそも峰が嘘をつくことなど、想像も出来ない。だからこそ、気付いた。


「僕以外にも、いたの?」

「……20代の教師は大体経験済みなんだよ、こういうのは」


 嘘ではないながらも、どこか言いにくそうだった。

 そうだ、彼は常に「教師」という仕事に真摯だ。だからこそ、そこはもしかすると弱点なのかもしれない。教師としての模範でいるために、不純な行為は自分すら許さない……というのがスタンスなのかもしれない。


(どこまでも、先生は先生なんだ)


 峰の箸が、天ぷらを掴んだ。それを何も温度を感じていないかのような表情でかじる峰は、6年前から何も変わっていない。


「僕以外に何人きたの?」


 千尋の言葉に、峰はため息を吐いた。うんざりはしているようだが、無視をする気もないらしい。


「そんなの聞いてどうすんだよ……2人、どっちも女子だった」


 そんなに居たのか。よくもあの時タイミングがかぶらなかったものだ。歯軋りしてしまいそうな気持ちを抑えながら、口にする。


「その子たちにも、僕と同じように言ったの?」

「言った。で、どっちとも会わなかったしもう会うこともないだろ」


 峰の冷めた言葉に安心すると同時に、胃がきりりと痛んだ。

 ずっと、特別扱いなんてしてくれない。生徒を辞めた今なら、そこから抜け出せるかと思ったのに。

 いや……抜け出せる。


「先生」

「なんだ」

「……その、恋人じゃない人ってどんなことしてるの」


 初めて、峰の目が動いた。ほんの少しだけ見開いて、すぐに戻る。


「なんで知りたいんだ」

「それくらい知ってもいいでしょ」


 圧で押せば、いけるかもしれない。そう思って、声の震えを我慢して聞いてみる。

 峰は考えをめぐらせているのか、ほんの少しだけ黙った。しかしやがて、言葉を選ぶように口にし始める。


「主に家事。とくにテスト期間の直前とかは何もできないから」

「家事って、掃除とか料理?」

「まあ、その辺だな」

「他に何かないの?」


 千尋の言葉に、峰は一瞬だけ黙る。しかし、まるで少し小馬鹿にしたような響きで鼻を鳴らした。


「お前にはどうせ出来ないよ、どうせ何も経験なんてないんだろ」


 その言葉で、察した。だからこそ、頭の奥が熱くなる。


「僕、できるよ」


 千尋の言葉に、峰の目が一瞬揺らいだ。

 やっと千尋も、蕎麦に手をつけ始める。ずいぶんぬるくなって蕎麦も柔らかくなっていたが、これくらいが食べやすい。


「掃除は好き。汚いカビとかを除去するのとか、とくに。年末の大掃除とかも、苦痛じゃなくて楽しく思える方だよ」

「お前、何言ってるんだよ」

「料理も、全然嫌いじゃない。もちろん今まで人に振る舞ったことはないけど、それも勉強したらどうにかなると思う」

「金森?」


 千尋の魂胆に気付いていないのか、峰はやや戸惑ったように箸を止め続ける。逆に千尋は、ひたすら蕎麦をすする。

 余裕が、出来た。きっと、これなら。


「僕も、そのうちの一人にさせて」


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