「先生はさ、僕とまだ学校にいる時……そこから僕のこと、見えてた?」
千尋の問いに、峰は「なんだ急に」と返す。しかし言いたい意味は分かったのか、頷く。
「見えてたさ。誰のことだって見てた」
峰らしい返事だ。公正で、あくまで教師として真面目な模範解答とも言える返し。もちろん彼は……千尋がそれで満足するわけない、と気付いているはずだ。その上で、言っている。それが残酷でありながらも、彼らしくて。
(僕は、先生のそういうところを好きになったんだよな)
救いようがないとは、我ながら思う。
彼がもっと教師らしくなければ、自分がここまで執着するような人間でなければ。きっと、こんな苦しい恋にはならずに済んだはずなのだ。
「金森?」
「先生、僕ね。やっぱり先生が好きだよ」
何度も、彼に想いを伝えてきた。しかし、この教室では初めてだ。
誰もいない教室の中で、千尋の声は思いの外響いた。峰の表情は、動かない。
「先生のことだから、世話役にしたらどうせ僕が先生のこと諦めるって思ったんでしょ」
言い方は責めているようにも聞こえるが、声自体はだいぶ落ち着いていた。そのためか、峰自身も穏やかに聞いてくれている。
「たしかに、何回か本気で辛かったよ。先生はずっとそんなんだし、椿さんは訳わかんないし、他にも変な世話役はいるみたいだし」
「……じゃあ」
峰の声が挟まってきたせいで、千尋は口を閉じた。だからこそ、峰は続けた。
「なんで、やめないんだ。俺を、諦めないんだ」
愚問だった。それはもう、呆れるほどに。
「先生のことが、大好きだからだよ」
きっと答えになっていない。それでも、そうとしか言えない。自分の恋心は、この教室から始まってずっと肥大化を続けている。いくら傷ついても、成長を止められない。
峰はやはり呆れたように、ため息を吐いた。そして、教卓越しに千尋のことを見つめる。その視線に、世界が眩む想いだった。
「俺は変わっていない。多分、これからも変わらない」
「うん」
「お前の望む関係には、なれないかもしれない」
はっきりした響きだった。それでも。
「……いいよ」
そう言ってくれること自体、彼は誠実だ。いくら他の男を侍らせていても、彼はあくまで…かつてとはいえ生徒である千尋には、誠実でいてくれる。
そして、何より。
(「かも」って、言ってくれた)
その事実が、十分幸福だった。
今まで散々期待させられて、挙句裏切られてきたというのに。それでも、自分は期待をやめられない。
(先生の気持ちを変えさせる方法を考えないとな)
自分との関係が教師と生徒だから、ということに関してはおいおいどうにかするとして。問題は、「恋人を作らない主義」の方だ。
自分が呑気にこの関係に甘んじていられるのも、彼がどの世話役に対してもその主義を貫いているからだ。もし彼が何かの気まぐれでその主義を覆してしまえば、それこそ手遅れになる。
仮に覆したとして、その場合恋人の座にあがりそうなのは……やはり、椿だろう。もしいずれ峰と本格的に恋仲になるとすれば、彼との決着は避けられない。
他の世話役のことも気にはなるが、正直椿に比べれば眼中にない。理由としては先程の、峰の態度を見たこともある。
(いっそ他の世話役と協力して、椿さんを追い落とすって手もありかな)
その考えは、浮かんだもののすぐに潰した。結局他の世話役も同じようなことをして自滅しているのだ、協力したところで知れている。第一他の世話役が、椿のように話が通じるタイプとも思えない。彼以上に敵意を向けて来れば、協力するどころではない。
「金森、浸り過ぎだ」
「あ、ごっごめん」
どうやら長いこと考え事をしていたらしい。峰の呆れ気味な声に、一瞬にして現実へと引き戻された。
「まだ足りないか?」
「ううん、もう大丈夫。楽しかった……ありがとう」
千尋の言葉に、峰は「べつに」と返した。
「母校が懐かしい気持ちくらい分かる。とくにお前は、あれ以来ここまでは来てなかったんだろう」
「やっぱり、僕が生徒だから……気持ちを汲んでくれた?」
「好きに解釈すればいい」
「もし、僕が生徒じゃなかったらここまでしなかった?」
さすがに質問攻めだと感じ取られたのか、最後は返事してくれなかった。ただ目線で、千尋が外に出るよう促してきただけだった。
教室から出て、職員室に鍵を返しに行く。すると、峰は時計を見た。
「そろそろ軽音部の発表の時間だな」
「どこでやるの、体育館?」
「ああ。お前も来るか」
「うん」
頷くと、峰は「じゃあ行くぞ」と先を歩き出した。
体育館に到着するとすでにもう賑わっていて、後ろの方しか席が空いていなかった。ひとまず並んで座ると、間をおくことなく演奏が始まる。
なんだかんだ峰は、軽音部の演奏に見入っているようだった。しかし興味のない千尋からすれば……見るものといえば、峰の存在くらいしかない。
(やっぱり、好きだなぁ)
表情を緩めたりするなんてことはなく前を見つめる峰に対し、千尋はそう噛み締めたのだった。