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第32話-懐かしんだのは、僕だった

 たこ焼きを食べ終えた頃にもなると、同じく食事の場所を探しているであろう人たちが増え始めた。さすがに気まずくなり、峰とともに立ち上がる。近くにあったゴミ箱にたこ焼きとジュースのゴミを捨て、歩き出した。

 未だ人が賑わっている……どころか、むしろどんどん人が増えている気がしてならない。在校時こんなのだったっけ、などと千尋はぼんやり思った。


「次はどこ行きたい?」


 峰の言葉に、改めてパンフレットを開いた。しかし正直、めぼしいと思えるような見せ物は他にはもう無さそうだった。知り合いがいるならまだしも、そうでもないなら仕方ない話ではあるのだが。


「今もうお腹も空いてないし、他もそこまで行きたいとは……先生は?」

「軽音部のステージくらいなら観ようかと思うが、あと一時間あるか」


 そんな峰を見て、ふと閃いた。峰の服の裾を掴み「あの」と声をかける。


「校舎の中って入れたりする?」

「出し物やってるところなら入れるだろ」

「そうじゃなくて、その……僕たちが今までいたクラスとかさ」


 千尋の言葉に、峰は少し考え込んだ。そして「こっちこい」とだけ言って歩き出す。さりげなく手が服から離れたのもあり、慌てて峰のあとを追うようにして続いた。

 校舎に入るが、彼は三年の教室のある棟ではなく準備室などがある棟を歩いていく。不思議に思いながらも、千尋はただついていくしかない。

 峰が向かっていたのは、どうやら職員室のようだった。峰は千尋に「そこで待ってろ」告げると、千尋を入り口に置いてそのまま職員室の中へ入って行った。

 ものの三分と経たないうちに、峰は戻ってきた。その手には、タグのついた鍵が光っている。


「それは?」


 千尋の質問に、峰は「2年4組の鍵」と答える。


「OBが懐かしがって教室行きたがってる、って言ったら簡単に借りられた。今の教頭は色々ゆるいから簡単だったぞ」

「僕が行きたい、って言ったのに言うのも何だけどセキュリティとか大丈夫なの?それって」

「どう考えても駄目だろうな」


 そう言いつつも手の上で鍵を投げたりして弄ぶ峰に、苦笑しか漏れない。本来峰は、こういった揉め事になりそうなことは嫌うだろうに……それでも千尋の希望を叶えようとしている、というのがたまらなく嬉しかった。

 そうだ、彼は……いつもこうだ。千尋のためになんでもしてくれる。ただ、肝心な時に千尋の望み通りにならないだけで。

 教室棟は出し物のためには開放されていないようで、誰もいなくて静かだった。恐らく生徒たちの待合室になっているのだろうが、今は一番忙しい時間帯のせいか誰一人としていなかった。


「もし誰かいたら、僕たち変質者扱いかな」

「お前はそうだろうな。俺は……いや俺も学年によっては顔知られてないしな」


 そんな軽口をたたきあいながら、階段をのぼっていく。千尋にとっては峰の所在を聞き出すために高校に訪れたことはあっても、さすがに教室棟まで入っていくのは卒業して以来だ。

 懐かしい空気だ。峰に恋をするまでは学校のことをろくに楽しいとも思えなかったのに、今となっては感傷に浸ってしまう。

 2年生の階にも、誰もいなかった。そのことに安心していると、峰が教室の鍵を開けた。


「ほら」

「あ、ありがとう」


 今更ながら本当にいいのだろうか、と思いつつ足を踏み入れる。しかし、そんな懸念はすぐに消え去った。


「うわっ……」


 空気を吸うだけで、かつての記憶が一気に蘇る。

 母に怯えながら、毎日を過ごしていたこと。最初の頃の峰は、ただの無愛想な担任でしかなかったこと。そんな彼に、救われたこと。

 一気に、蘇ってくる。まるでむせ返りそうな勢いだった。


「金森?」

「あ、ごめん」


 思わず、気が向こう側へ行っていたらしい。しかし峰自身も懐かしく感じているのか、教室をうろついていた。


「先生も、懐かしい?」

「いや、お前よりはここにいたし」


 それはそうだ。とはいえ、その目はやけに優しく感じた。

 かつて自分の席だった位置にある席に、座ってみる。もちろん今は他の生徒の席だが、まるであの時に戻ったような感覚がした。そこで、思いつく。


「先生、教卓行ってほしい」


 千尋の言葉に、彼の考えを察したのか「仕方ないな」と峰は動き出した。

 峰の姿が、教卓の方へ向かう。そして、千尋を見た。


「……あはは、懐かしいや」


 まるで、高校2年生の時の風景だった。毎日こうして、彼の授業やホームルームを受けていた記憶が一気に溢れかえる。そのせいで、ほんの少しだけ……泣きそうになる。あまりに、懐かしくてきらきらした思い出だ。

 彼に恋する前は、あんなにこの世界から消えたいとまで思っていたのに。そこに輝きを見出したのは……他ならぬ、峰のおかげだ。


「確かに、懐かしいな」


 峰の言葉は、まるで何かを噛み締めているかのようだった。彼もまた、千尋と同じことを考えてくれているのだろうか。

 峰の視線が、こちらへ向いた。学生時代、あんなに欲しくてたまらなかったあの視線を……今は、この二人きりの空間で独り占めできている。それが、何よりの幸福だった。


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