「ス、ストップ、ストップ!! 一歩下がって! とっ、とりあえず一歩だけでも!!」
突然目の前に現れた男は、私に向かってそう叫んだ。
え……? 私、もう死んじゃってる……?
いや、まだだ……まだ死んではいない。飛び降りようとしたビルの端っこに、今もまだ突っ立っている。
だが、私がそんな勘違いをするのも無理はない。声をかけてきたその男は、眼の前で宙に浮いているのだから。
「とっ、飛び降りる前に少しだけ、僕に時間をくれないか? 君にとっても悪い話じゃないと思うから」
勇気を振り絞って、やっと最後の柵を乗り越えられたっていうのに。私の人生サヨナラ計画は、振り出しに戻ってしまった。
***
「——あなたは何? 神様とかそんな感じ?」
私はその場に座り込み、宙に浮いたままの彼に聞いた。
「いや……区分するなら、君たち人間に限りなく近い。君たちもいずれ、僕たちのように体を持たない意識だけの生命体になる。——と言っても、ずいぶん遠い未来の話になるけどね」
「じゃあ、今の姿は何なの? 私と同じ歳くらいの男子にしか見えないけど」
宙に浮いていることを除けば、どこにでもいそうな青年にしか見えない。いや、少しだけイケメンかもしれない。
「ああ、この体ね。何かしら見えてるほうがいいと思って、この星の人間の格好をしてるだけなんだ。光の屈折でそう見えてるだけで、実体は無いけどね」
彼は足をプラプラとさせると、その足は鉄製の柵をすり抜けた。死を目前にしたことで、私の感性もおかしくなっているのだろう。「そうなんだ」と素直に受け入れている。
「でね……死んじゃうなら、君のその命くれないかなって。どうだろう?」
「私の命……? 私は……私とあなたはどうなるの?」
「君が合意してくれるなら、僕は君の体で生きていくことになる。そして君は、君の意識は……うーん、どう言えばいいんだろう、天に
私が合意したら、痛みも苦しみもなく、この世から去ることが出来ると彼は言う。
この屋上だって、何度足を踏み入れたことか。最後の柵を乗り越えることが出来たのは、今日が初めてだった。楽にこの世を去れるのなら、悪くない話なのかもしれない。
「いいよ、分かった。——でも、私の身体なんかでいいの?」
「あっ、当たり前じゃないか! こんな若くて健康な身体が手に入るなんて、思ってもみなかったもの。——じゃ、本当にいいんだね?」
私は無言で頷いた。
もっと可愛い子や、カッコいい人だって沢山いるのに。彼の気が変わらないうちに、早く終わらせてしまおう……
「ありがとう。君みたいな人を探すのに、どれだけの時間を費やしたことか……じゃ、いくよ。目を閉じて……」
私は彼に言われるがまま、静かに目を閉じた。
さよなら、お母さん……
ごめんね、お母さん……