酷いことをした。いや・・・酷いなんてものではなかった。
苛立ちをぶつけただけの、強姦だ。
あの後、気絶するように眠ってしまったゆうくんの身体を綺麗にし、ガウンを着せながら、凄まじい程の自己嫌悪に苛まされた。
良い家に生まれ、要領が良かったおかげで何事もそつなくこなしてきた。
恋愛も母の言いつけの範囲内ではあったが、特に失敗もなく軽くこなしてきたように思う。しかしそれも、今思えば相手にまともに向き合っていないだけの『恋愛ごっこ』でしかなかった。
それが今ーー18歳の幼馴染の男の子を相手に、初めての恋愛に溺れ、つまらない嫉妬と苛立ちと性欲とを掻き混ぜた上で、それをぶつけてしまった。
後からわかった事ではあるが、ゆうくんは僕の誕生日も忘れず、誕生日用に食事とケーキまで用意してくれていたのに・・・不甲斐なさすぎてどうにかなりそうだ。
無様、その二文字でしかない。
セフレと言われたことに腹立たしさは、確かにあった。しかしそれも、はっきりとしていない僕の態度故の不徳さでしかない。
眠っているゆうくんの瞳が少し開き、僕を見た時、いつものように微笑んでから、また眠りに落ちる。その時の僕の気持ちをどう表せばいいのだろうか。
悔いる気持ちに泣きたいのを堪えて、ゆうくんの髪を撫でた。
出張帰りの次の日ということもあり、出社が必須で出社をしたものの、あの大濠くんが心配するほど会社では意気消沈していたらしい。治くんにも心配をされた。女子社員の差し入れが沁みたけれど・・・僕にはそんな価値などない。
ゆうくんのことが気になって仕方がなかった。
身体は大丈夫だろうか?食事は摂れているのか?水分は?・・・傷つけた張本人がおかしな話だ。昼休憩の時にメッセージを送ったけれど、既読にもならない。
時間はやけに緩慢に流れる。頭が回らず仕事が手につかないなんて初めてだった。どうにかミスなく終わったのは、大濠くんと治くんの二人が随分とカバーしてくれたおかげだろう。
どうにか定時で仕事を終えて帰ると、ガウンのままキッチンの床で横になっているゆうくんを見て青ざめた。最悪の事態が頭に過ったが、それを振り払うように頭を振って駆け寄る。呼吸を確かめて、安堵の息を吐いた。
僕の声で目覚めたゆうくんは、無気力で投げやりで・・・、今まで見たことのない表情と態度だった。そのことに傷つく自分がいて、ほとほと自分をぶん殴りたかった。僕が被害者面していいわけがない。僕は加害者でしかないのに・・・僕はどれだけこの子を傷つけてしまったのだろうか。いくら後悔しても足りない。
言葉を尽くしても前の関係には戻れないのだろうか?
どうすればいいのか?
話をしたかったが、ゆうくんは微塵も聞く気などないようで、僕を避ける。
・・・当たり前だ。
今謝ったって僕の気分が少し良くなるだけの自己満足でしかない。傷ついたゆうくんの心が回復して、許してくれなければ意味がない。それはわかっている。けれど僕にはどう解決すればいいか糸口すら掴めないのだーー情けないことに。
気持ちばかりが焦って、ゆうくんの後を追いかけると、鏡の前で鋏を持っていて、戦慄した。自殺を図ったわけではなさそうだが、怖かった。
何もかもが空回りして上手くいかない。
するりと僕をかわして逃げるゆうくんに運は味方していた。
結果的に僕は挽回の機会も失って、逃げ出したゆうくんを捕まえることすら出来なかったのだ。
※
苛立ちを覚えながらエントランスまで降りて、マンションの外へと出た。
暮れかけた日の中、辺りを見回すがいないようで、僕は近場を探し回る。
そんな時間が経っているわけではないので、そこまで遠くに行けるはずもない。
どこだどこだどこだ・・・。
焦る気持ちを抑えながらも視線を動かし続けた中、道を挟んだ反対側の歩道にゆうくんの姿を見つける。声をかけようとして、僕は止まった。
誰かーー細身ではあるものの、恐らくは男だと思われる人物に支えられて、車に乗り込んでいく。誰だ、あれは・・・。
誘拐ーーではないだろうな。ゆうくんの意識はあるようだし、暴れているような様子も見受けられない。昨日のような小競り合いもなさそうだ。と、なると知り合い。
浮気ーーこれは正直わからない。ただ、そんなことはないと信じたいし、信じるべきだろう。
その車は暫くもすると、夏のアスファルトの上を滑り出す。信号が青なこともあって、あっという間に車体は遠ざかった。
・・・タクシーを捕まえて走ったところで、とても追い付けないだろうな・・・。
僕がなんとか掴めたのはナンバーとランドローバーの赤色ということのみだ。それでもその二点があることは強い。
ポケットからスマホを取り出して、電話を一つかける。用件を伝えて一度切って、息を吐いた。あとは折り返しを待てばいいのだが・・・それにしても、さっきのは誰だろうか。
待ち合わせをしている様子はゆうくんになかったように思う。
と、なれば偶然に出て来たゆうくんを偶然に拾ったことになるわけだが・・・何という確率。・・・僕よりも運命を感じてしまう。・・・最悪だ。
・・・ああ、なんで僕はゆうくんの交友関係を把握していなかったのか・・・プライベートだと思って遠慮していたのが仇になっている。ゆうくんのプライベートを侵害しない程度で掴んでおくべきだった。
場合によっては二度と太陽を拝めないようにしなければならない。
罰せられるべきのまず最初は僕には違いないのだが、ともかく、今はゆうくんの居場所を突き止めるのが先決だ。
現状、歩き回っていても仕方ないので、マンションに戻る。リビングでジャケットを脱いだ時に、着信があった。先ほど僕が電話をしたーー母からの折り返しだ。
「馬鹿息子が、不甲斐ない。恥を知りなさい」
母の第一声はそれだった。怒鳴り散らされなかっただけよかったとも思ったが・・・初めて聞く声のトーンだった。怒りが頂点を超えて冷静になっているような。そんな声だ。・・・今迂闊なことを言えば、息子といえども五体満足で外を歩けないかもしれない。
「すみません。それで車の所有者は誰でしたか」
「タニコタロウ」
「・・・あの、タニ、ではないですよね?」
「あの、谷、よ」
あの谷・・・僕ら親子の口から出たタニ、とは谷虎道たにこどうを長とする一家のことだ。
ここも桐月と同じ古い家系で、やはり同じく日本を拠点として様々なことに手をかけている大企業でもある。桐月とは互いの権利を侵害しないことを不文律とし、事業提携なども含めて均衡を保ってきており、悪い間柄ではない。
が、縁戚というわけでもない、少々難しい間柄ではある。遥か昔にまで遡れば婚姻関係もあるかもしれないが、近代ではその手の関わり合いはない。
面倒なことになったな、と小さくため息を吐く。
しかし不思議な話だ。少なくともゆうくんの家は僕が知る限り、谷と関係がなかったように思うのだが・・・。
「春見の家は谷とは何も関係なかったですよね?」
「そうね。春見にしろ昼乃のご実家にしろ、一般家庭ではあるわね。ただ・・・あの間男が厄介なのよ」
母の言う「間男」とはゆうくんの父親でもある笹之介さんのことだ。昼乃さんを盗られたからか、常に母の笹之介さんの呼び方は、本人を目の前にしてもこれである。笹之介さんは一般的な個人事業主であり、大会社を営んでいるわけでもない。その風体も奇抜な、如何にもデザイン系を想像させるフリーダムなものだ。しかしあの人を見た目で判断してはならず、人脈関係を築くことに関しては天才的な才能を持っている。そこは母も認めるところーー不承不承ではあるがーーではあった。
ちなみにだが、僕はこのままだと母どころか笹之介さんをも敵に回すこととなる。僕が身内と捉える中では、敵に回すべきではないトップ2だ。・・・
「とはいえ、今回は噛んでいないと思うわ」
「と、なると・・・大学・・・」
ここまで話していて、僕は漸く思い出す。
『歴史同好会の谷先輩がね』と話していたゆうくんの言葉を。
「今頃なの?本当に不甲斐ないわね・・・あなたはこの数ヶ月ほど、何をしていたのかしらね?」
「・・・面目もないです」
僕がそう答えると、母の大きな溜息が聞こえた。うーん・・・これはどこかで挽回しないと本格的にまずいな。内心、戦々恐々としているところに、母は続けた。
「谷家の子弟は二人通っているわね。本家筋の四男である谷姫鷹たにひめたかと分家筋の長男である谷虎太郎たにこたろう。どちらも同い年で同学年よ。ゆうちゃんと関係がありそうなのは本家の四男ね」
「・・・歴史同好会ですか」
「そう。でも車は谷虎太郎のもの。・・・さて、どちらかしらね。ゆうちゃんは昼乃に似て魅力的だから。その一番近くにいたあなたがその
チクチクとした嫌味がぐっさりと突き刺さる。・・・どちらであってもすることは一つでしかない。ゆうくんを迎えに行くことだ。
その後、いくつかの情報を渡してもらい電話を切る。最後の最後で、
『・・・失敗したら、分かっているでしょうね?久嗣』
ドスの効いた声で念をおされた。元より必ず連れ戻す気ではいるが、あの声は夢に出そうだ。
しかし、よりによって谷家とは・・・ゆうくんの話を聞く限りでは、仲の良い先輩と後輩。ゆうくんが飛び出した時の格好を考えれば、知り合いでも心配して然るべきで、可愛い後輩であれば尚更だ。
谷姫鷹ーーもしかするとどこかの何かのパーティ等で会ったことはあるかもしれない。少なくとも、上の三人はどこかしらで挨拶を交わした覚えはある。
僕がここまで谷を気にするのは、谷の家には桐月に対抗できるだけの全てを兼ね備えているという点だ。
失礼な話ではあるが、格下の家であれば、汚い手などいくらでもあるし桐月の力を使えばどうにかなる。しかし、谷相手ではそれが効かない。
権力を行使したところで、同じ権力で返される。下手すれば打撃を受けかねない。一個人の理由で企業全体に打撃を与えるのは控えねばならない。
また四男というのが悪い。谷家は上の三人と末の四男には年齢差があり、とにかく末に対する溺愛っぷりが甚だしいと界隈では有名だ。同い年の分家長男もたいそう可愛がっていると聞いたことがある。今日の係わり合いがどちらにせよ、よろしくない。
話をして通じる相手であれば良いが・・・何せ僕がゆうくんにしでかしたことが最悪すぎる。それに相手が、後輩以上の親近感を抱いている場合が一番厄介だ。
普通に考えれば男同士ではあるし、先輩としての心配や気遣い、同情等とは予想できるが・・・何せ僕自身が男同士という垣根を超えている。
どうあれ、ゆうくんがどう出るかによって物事は左右するのだろうな・・・。
「本当に、情けない・・・」
思わず声が漏れた。頭を回らして策を考えたところで、無駄なことかもしれない。とにかく今は谷家に向かうしかないだろう。
僕は大きく溜息を吐きながら、身なりを整えるべく、まずは洗面所へと向かった。