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第五十六話 side:H 消えたゆうくんと怪文書と

『嗣にぃ、好き・・・』


ゆうくんは僕の下で、何度もそう言った。

その身体も、以前無理矢理ことに及んだ時のような拒絶は一回も見せなかった。

それどころか、僕のことが好きだ、と全身で伝えてきた。これは自惚じゃないと思う。

ーーじゃあ、何故唐突に別れを切り出したのか。

昨日の夏祭り途中からゆうくんの様子がおかしいのは明らかだ。

あの時、何があった?どうして目を離したのか、僕は・・・不測の事態といえども、だ。ゆうくんのこととなると、この浮かれた脳は全くの役立たずで・・・これが母の耳にでも伝わったら、恐ろしいこととなる。何せ、この前の昨日だ。

誰かしらから何かを言われた、ぐらいまでは想像に易い。

それが「誰」であって「何か」が問題だ。

僕と別れなければならない「何か」・・・。

桐月を脅せる家というのは数少ない。それこそ関東圏では谷をはじめとして数えるくらいだ。しかし現在、どの家とも共存をしていて、『敵』と簡単には見做せない。お互いに。

が、桐月を潰したい人間は大勢いる。そこの中の誰かか、もしくは違う者か・・・。

桐月を取り込もうとする勢力ということも考えられる。何せ接触したのがゆうくんで、僕ではない。尚且つ、ゆうくんの言動から察するに僕との別離を迫られていることになる。いや、「あさ」ちゃんか?それとも「ゆう」くんか?ああ、でも昨日はゆうくんの格好だった。となるとーー僕とゆうくんの関係、か。

僕に助けを求めないことも気になる。何か絶対に交換条件があるはずだ。そうでなければ辻褄が合わない。簡単に考えれば、何か脅しのようなモノがあるはずだ。それと交換条件が別離・・・。


「腹の立つ・・・」


思わず声が漏れていた。

最終的な目的ははっきりしないが、僕たちの邪魔をするのは許せない。

目下は別れさせる、ね・・・本当に腹立たしい話だ。

現状でゆうくんという存在を隠しているところをダシにされている気がするが、僕にゆうくんとの関係を今後隠す気はない。

あーちゃんのことを考えても、いつまでも僕の妻にしとくわけにはいかない。彼女だって、僕がゆうくんを見つけたように誰かを愛するだろう。

その時に、いくら籍が綺麗なままとはいえ僕の妻という肩書きは邪魔をする。

どちらにしろ、一年たてば清算をするつもりではあったが・・・こうしてゆうくんがそばに居てくれるのだから、一年と言わず離婚という公表は早めた方がいいかもしれない。

ゆうくんを公表することにデメリットが全くないわけじゃない。

男同士というのは日本ではまだ受け入れ難い部分だろう。けれど、僕の選んだ相手如何で桐月が潰れるようならば、どうせ長続きはしないし、有能な両親は上手く舵を取る。それを僕も見習って上手く立ち回ればいいだけの話だ。

まあ、ゆうくんが表に出たくないのであれば、それはそれで仕方ないが・・・日陰に置いておくのは絶対に嫌だ。

すっかりと緩くなったコーヒーを一口飲んで、サイドテーブルへと置く。時計を見れば、7時30分を指していた。

ゆうくんは、今日、谷くんと勉強会をすると話していた。

・・・谷くんにもメッセージを送っていた方がいいかもしれない。

そう思えば、傍にあるスマホを手に取り、谷くんへとメッセージを送る。


『おはようございます。早くに申し訳ない。ゆうくんの様子がやはりあれからあのままおかしいのですが、僕には教えてくれなくて。尊敬してる先輩の君にならもしかしたら言えるかもしれないので、聞ける範囲でいいのでお願いできますか?』


5分もせずに、谷くんから返信が来た。


『わかりました、聞いてみますね。気にはなっていましたから。今日は15時くらいまでの予定です。また連絡します。』


谷くんも昨日のゆうくんを見ているので、心配してくれているのだろう。ゆうくんが良い先輩を持って良かった。

大濠くんにも谷くんに頼んだ旨を送っておいた。僕のせいでーーないとは思うがーーあの二人の間にいざこざが起こるのは避けたい。

ソファの背へと身体を預けながら、息を吐く。

前のようにゆうくんが急に出ていくことはないとは思うが・・・いっそのこと、今日は会社を休んでしまおうか・・・真面目に働いてるわけだし、有給もまだまだ残っている。

それとも、本当に鎖で繋いでしまおうか・・・扉を外側からしか開かなくするとか・・・凡そ、駄目な人間まっしぐらな気もするが、ゆうくんを逃すくらいならばそちらの方が良い。

そんな仄暗いことを考えていると、


「・・・つぐにぃ・・・」


少し掠れたゆうくんの声が僕を呼んだ。

寝室から僕を窺うように見る姿は、着替え前のようで大きめのTシャツを素肌に着ただけだ。辛うじて太ももの半分までは隠せているが、・・・なかなか目に痛い。性的な意味合いで。


「おはよう。どうしたの?おいで」


僕が手招きをすると、そろっと出てきて傍に来る。その手を取って引き寄せ、膝の上に座らせる。特に抵抗するような素振りはない。


「あの、俺・・・なんか昨日はごめん・・・。変なネットの記事読んじゃって感傷的になっちゃってたみたいで・・・」


少し躊躇ったように、そう言った。僕に向けるその目は何か諦めたような、何か決意したような、複雑なものだ。誤魔化している、とはわかってはいるが。今言っていることが本当ならば、この情緒不安定さ・・・もしかして妊娠?と疑いそうだ。

・・・馬鹿は承知で。


「なんだ、そうだったんだね。心配しちゃったよ」


騙されたふりをして、そう明るく返事をするとほっとしたような表情に変わる。

ゆうくんは甘えるように、僕の肩に額を擦り付けながら、首へと両の手を回してきた。


「・・・嗣にぃ・・・」

「どうしたの、今日は。随分と・・・そんな風にしたら、また襲っちゃうよ」


軽口のつもりだったが、ゆうくんは僕の言葉に、もう一度額を擦り付けた。


「いいよ、襲っても・・・俺、嗣にぃと、したい・・・」


普段のゆうくんであれば、僕が仕事前にこんな風に言うことは、まずない。

どちらかと言えばゆうくんへと盛る僕を「仕事だろ!」と嗜める方だ。

それだけ、思い詰めているのかもしれない。

僕は顔を横に向けて、ゆうくんの耳へと口付けた。


「可愛いことを言うね・・・このまま閉じ込めてしまおうか」


僕の呼気に、ゆうくんの身体がふるっと揺れる。


「んっ、ぁ・・・いいよ、それでも・・・だって、そうすれば嗣にぃと一緒にいれる・・・」


いつもの睦言ならば、どれだけ興奮しただろう。この姿に。今だって興奮がないわけじゃないが、こんな風に言わせる誰かに腹が立って仕方がない。

どうやったら少しでもゆうくんを安心させられるのか・・・僕を与えれば、多少はマシだろうか?

ゆうくんの耳朶を甘噛みして、ソファへとその身体を押し倒す。


「ゆうくん、どこか旅行に行こうか?」


押し倒した身体の上、衣服越しに指先を滑らす。鎖骨を撫でて臍まで落とし、ゆっくりと脇腹を撫でた。ゆうくんは少しずつ息を荒くしながらも、頷く。


「週末、行きたい・・・一泊とかでも良いから・・・あっ・・・嗣にぃ・・・」


僕の指が胸の上を通るとゆうくんの声が漏れた。こんな風に触るだけでもゆうくんは反応を返してくる。こうしたのは間違いなく僕であって、どうあってもこの子を手放す気になどなれる筈もない。

週末、か。ゆうくんが抱えている何かは時間の猶予が与えられているようだ。


「いいよ、行こう。ゆうくんが好きなところに」


嬉しい、とゆうくんが微笑む。

この幸せを他の誰かが壊すなんて絶対に許せない。壊させてなるものか、と思いながら僕はゆうくんの唇を塞いだ。



朝にゆうくん安心させるよう、無理にならない程度で触れた。その後にゆうくんを送り出して出勤し、今はすでに夕方だ。

昼頃に谷くんから連絡があった。


『ちょっと駄目ですね・・・俺にも話しにくいようです。口止めされているようにも感じましたが・・・勉強の方は大丈夫です。こちらでも手を回してみます』


メッセージにはそう書いてあった。

谷くんでも、か・・・。これはゆうくんからだと時間がかかる可能性がある。出勤前に僕も手を回しはしたが、いまだに音沙汰がない。ということは、それなりのバックボーンがあることを意味する。谷からも動いてもらえれば心強くはある。


『ありがとう。助かります』

『今から一緒に昼を食べて、朝にご連絡した通り15時くらいで解散する予定です』

『ゆうくんをよろしくお願いします』


よく勉強するなぁ、と思いつつ昼の連絡はそれで終わった。

仕事は何も問題なく終了し、定時で上がり家に帰る。

部屋の中はがらんとしていて、誰もいない。誰もいない場所に帰るのは随分と味気ないのだと、今更に思う。おかしなものだ。3月の末にゆうくんがここへ来るまでは、そんなことを思いもしなかった。

時計に目をやると、18時より少し前。谷くんとの勉強会は15時前後で終わっているはずだ。だとすれば買い物だろうか・・・?

ゆうくんにコールをすると、その着信音がどこからともなく聞こえてくる。

音を辿っていくと、それは寝室のベッドの上にあった。ゆうくんのスマホだ。

僕はそれを手に取り、自分の通話を切る。

ゆうくんは外での買い物のとき、キャッシュレス決済を使うことが多い。その為、スマホは持って出るのが常だ。おかしい・・・。

そう思った時、マンションのコンシェルジュから連絡があった。


「今し方桐月様宛に封書をお預かりしまして」


封書・・・?

このマンションに越してきて、そんなこと初めてだった。郵便で何かしらが届くことはあっても、コンシェルジュからこんな連絡を受けたことはない。

僕は嫌な予感に、急いで1階へと降りる。

そこには見慣れた男性のコンシェルジュが封書を手に待っていた。


「桐月様、こちらなのですが・・・」

「ありがとう」


封書はそれなりに良い紙が使われているようで、封蝋には抱き牡丹の紋がある。

抱き牡丹・・・抱き牡丹・・・頭の中で桐月と近しい家柄の家紋を思い浮かべるがどうにも一致しない。

ひとまず、僕はそれを開く。


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桐月久嗣 様


春見ゆう様の送別会のお知らせです。

以下に送別会の詳細をまとめましたので、ご覧ください。


春見ゆう様送別会

日時:本日19:30~21:00予定 

場所:ヴァル・ドルチャ (Val d'Orcia)1201号室


よろしくお願いいたします。


宮園撫子


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「・・・・・・何だ、これ・・・・・・」


思わず口に出ていた。一言で言えば、それは怪文書だ。

宮園撫子・・・・・・宮園・・・・・・該当するのは、関西にある旧家だ。そこで、漸く抱き牡丹の家紋と宮園が一致した。そうだ、宮園の家紋だ、と。

駄目だろう、この記憶力・・・。だが、宮園撫子、には一切覚えがない。

しかも、おかしい。この書面に載っている場所は『ヴァル・ドルチャ』。

それは谷のグループが経営しているホテルの名前だ。

だが、僕が覚えている限り、谷と宮園に関係はなかったように思う。

谷家が噛んでるような様子は、谷くんにもなかったように思う。そもそも、噛む要素が谷にはない。

色々と考えを巡らす僕にコンシェルジュが遠慮がちに、あの、と声をかけてきた。


「同様の封書を奥様にもお預かりしましたので、お渡しをしたのですが・・・」

「え・・・」


僕はもう一度、書面を見た。


日時:本日19:30~21:00予定 

場所:ヴァル・ドルチャ (Val d'Orcia)1201号室


まさか、ゆうくんがいるのは・・・・・・。


「それは何時頃に?」

「確か・・・ああ、17時過ぎになります」


17時過ぎ。いないゆうくんと置かれたままのスマホに、僕に届けられた怪文書。

僕は、ありがとう、と言い残して走り出していた。

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