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第17話 昇華

「やった……やったぞ……」


 言葉には言い表せないほどの激痛と不快感に身を悶えさせながらも、雪兎は拳を固く握り締めて己の勝利を確信する。


 感覚を完全に封じられ、外界と繋がりを絶たれる寸前に察知した臓腑を抉り潰す感触。


 それは、雪兎にこれ以上のやせ我慢を行うことを諌めるかの如く手の中に留まり続けていた。


「疲れたな……もう……」


 これ以上苦しみが続くことに耐え切れず、雪兎は闇の中にだらしなく五体を横たわらせて目を閉じた。


 元々真っ暗だった視界が塞がれてもなんら変わることは無く、身体はまどろみの階段を下っていく。


 時という歩みの果てに、やがてたどり着く夢と無の狭間。


 だが、生憎そこには先客が居た。


 無惨に砕かれた頭蓋の山の頂上に座り込み、天を仰ぐ男。


 古臭い外套を纏った軍人と思わしきその男は、雪兎の存在に気が付くと面倒くさげに視線を下げ、これ見よがしに大あくびをして見せる。


「……っ」


 何者だと雪兎は顔を上げて問おうとするも、肉体が限界を迎えた今呻き声一つ挙げられず、ただ苦しげに吐息を洩らすばかり。


 するとその様子を見かねたのか、男は固く閉ざされていた口をゆっくりと開いた。


「俺が誰だってどうだって構わないだろう? 知ったところで何もかも無駄なだけだ。誰かに言って聞かせたところで、気が違ったのか心配されて終わりよ。 化け物を殺したらその霊とお話が出来ましたなんざ、マトモな人間が言っていい事じゃないだろ」


 終始気だるい雰囲気を醸し出す男は、そう語りつつ積み上げられた骨の山から降りると、雪兎の眼前まで歩を進める。


 このまま殺されるのかと雪兎は内心戦慄するも、男の身体を見て、彼が既に戦える身体では無い事にようやく気が付いた。


 外套に隠された左腕は途中からもぎ取れており、人工物の光沢を放つ左目は常に明後日の方を見つめたまま動かない。


「おいおい、ビビるのか同情するのかどっちかにしろよ。 殺されかけた相手に今さら情けなんざ訳の分からない野郎だな」


 罵声を浴びせられるのか、それとも恨み言の一つや二つぶつけられると思っていたのか、男は拍子抜けしたように苦笑いを浮かべる。


 そしてゆっくりとしゃがみこむと、自前の右目を雪兎に向けながら問うた。


「馬鹿共の飼い犬であるお前と率先して話したいとは思わんが、ひとつだけ聞きたいことがある。 別に大袈裟なことじゃあない。 お前が最前線で上等な兵器を乗り回せるだけの教育を受けていることを見込んでの質問だ。 お前さんは俺のことを……、いや俺達のことを知っているか? 世界が化け物共に覆い尽くされるよりも前に、世界樹の麓に辿り着いた俺達のことを。奴らの真意に気が付き、大勢を犠牲にしながらも情報を持ち帰った俺達のことを」


 自分を、そして背後に積み上がった骨の山を指し示し、雪兎の言葉を待つ男。


 それに対して雪兎はただ目を伏せて否定の意を伝える。


 男が語った事の意味は全く理解出来なかったが、かつて習った歴史の授業にその様な事柄が記されていなかったことだけは分かっていた。


 たった一匹で世界を滅ぼした最古にして無敵の大害獣“世界樹”


 その足元に辿り着くことなど首領にさえ不可能だと、当時教鞭を取っていた者誰しもがそう語っていたことを雪兎は鮮明に覚えていた。


「あぁそうかい、結局無かったことにされたのか。 俺達が生きた証も、大陸で散った命の残り香も全て。 だったら俺が最後にしてやることは一つだけだ」


 雪兎の反応から答えを悟り、男は心底失望したとばかりに溜め息をつくと、寒気がするほどの殺意を醸し出しながら呟く。


 報いを受けさせてやると。


「っっ!!」

「おーおー納得いかないというツラをしているな。 だったらお前に決定権をやろう。1に固執して全てを失うか、それとも1を踏み躙って全てを救うか好きな方を選べばいい。まぁどちらにしろ、間抜け共に混じって生きていこうとする限りお前に待っているのは絶望だけだと知っておけ」


 男が愉快そうに口上を述べた刹那、その傷だらけの身体は常盤色の瘴気へと完全に姿を変え、雪兎の体内深くへと侵入した。


「……!?」


 苦痛を感じるほど激しい咳と窒息感に襲われ、雪兎は言葉にならない悲鳴を上げながら背中を丸める。


 次第に混濁していく意識の中、脳裏に男の捨て台詞が朗々と響く。


「業を背負ってどこまで綺麗事を押し通せるのか、せいぜい見物させて貰おう」


 完全に人類を見限り、無に還った男の遺言。


 その声に意識をかき乱され、雪兎は発狂したかのように呻き声を洩らしながら完全に倒れ伏した。


 体内を赤熱した鉄器で突き回されたと誤認するほどの激痛が再び蹂躙し、それが脳へと達した瞬間、視界を僅かずつ虚無が侵し始め、何も見えなくなっていく。


 だが、無意識に伸ばした手を誰かが優しく握ってくれている感覚を覚えると、雪兎は消えかけた意識を必死に手繰り寄せて目を開いた。


 ――その瞬間、雪兎の意識は現実へと完全に引き戻された。


 再び光が差した視界の中には、つい先程まで存在していたはずのよく分からない空間では無く、いつも通りの見慣れたコンソールとメインモニターが映る。


 そして僅かに重さを感じる膝の上には、雪兎の顔を見つめながら手を握るカルマの姿があった。


『大丈夫ですか? ユーザー……』


 彼女は雪兎が意識を取り戻した事に気が付くと、全身から伸ばしていた銀糸を躯の中に収納し、弛緩し切った雪兎の身体を思い切り抱き締めた。


『全くもう、何時も何時も余計な心配ばかり掛けて……』

「あぁ、すまん悪かったよ」


 心配そうに顔を覗き込むカルマを黙って抱き返し、柔らかな背を撫でてやりながら雪兎は詫びる。


 するとカルマは少々むくれたように頬を膨らせながら懇願する。


『そう思うなら、もう無茶はこれっきりにして下さい』

「約束は出来ないけど、努力はしてみるさ」


 圧倒的な力を誇る兵器である彼女も、こうして見ればただの幼子と大して変わらないと雪兎はその頭を撫でてやりながら小さく笑う。


 何気ないながらも親子の触れ合いを思わせる和やかな雰囲気が、殺風景なコックピット内を満たす。


 だがその時、何も映し出されていなかったサブモニターが突然明滅し、不遠慮に不機嫌そうなツラが映り込んで来た。


「馳男か? さっきはサポートありがとな。 お前のお陰で何とか仕留められたよ」


 都市の外まで豪快に吹っ飛ばされてどうなったかと思ってた矢先の通信で安心し、サムズアップしてみせる雪兎。


 しかし馳男はそれに対して何の反応を示さず、事務的な口調で一方的に指図し始めた。


「下らん御託はいい、死にたくなければ一刻も早くそこから脱出しろ」

「は? 藪から棒に何だよそりゃ。 元栓は潰したしこれ以上毒素の排出はないはずだろ」


 突然の言葉に雪兎は戸惑いを露にして問い返すも、馳男は変わらず頑なな表情を保ち続けている。


 普段とは大きく剥離した態度を見せる馳男の姿から、雪兎は事の重大さを察すると未だ痛む身体を無理矢理起こしてモニターに寄り掛かる。


「なぁ、僕が寝ている間に一体何があったんだ?」

「近隣都市とN.U.S.A.との協議の結果、現時刻をもってこの都市を破棄。 救出不能と判断された民間人ごと焼却処分にすることが決定した。 準備が終わり次第、絨毯爆撃で根こそぎ吹き飛ばす算段になっている」

「馬鹿な! お偉方は何を考えている!? あまりにも早計過ぎるだろ!」

「この都市の現状を見てもそう言えるのなら、お前は救いようの無い大馬鹿だよ」


 怒りを露に食って掛かる雪兎の言葉を遮るように馳男が呟くと、その頑なな顔がモニターから消え、代わりに現在の居住区の様子が映し出される。


 地上からシェルターの内部に至るまで、あらゆる場所で引き起こされていた惨劇の光景。


 それは、今までいきり立っていた雪兎を沈黙させるには十分過ぎるものだった。


「そんな……」


 そう呟き押し黙った雪兎の心情に構わず、モニターの中ではヒトだったものが気ままに蠢いている。


 あるものは奇声を上げながら走り回り、あるものは穴という穴から汚物を撒き散らし、またあるものは肉体を破裂させて絶たれたはずの毒素の拡散を誘う。


 体液と臓物と溶融した人体で彩られた不潔な街。 そこはまさに地表に顕現した地獄であった。


「これで分かっただろう。 あいつらの為に俺達がしてやれることなんざ何も無い。 それに万が一あの毒が列島全体で蔓延することにでもなれば、害獣共に食い散らかされるより早く俺らが滅ぶことになる。 だったら残された道は一つ、一刻も早くこの街を塵も残さず焼き尽くしてやる事だけだ。分かったらさっさとそこから出て死なせてやれ。 あいつらの人としての尊厳のためにも」


 やりきれない表情ながらも毅然とした口調で馳男は離脱するよう促すと、雪兎は渋々ながらも応じ、自動修復中だったドラグリヲを再起動させ、都市外に向かわせようとコンソールに手を掛ける。


 しかしその時、雪兎の脳裏にある言葉が過ぎった。


 現実と夢の狭間で男が皮肉混じりに語った、決定権をやるという言葉。


 その真意に、雪兎はこの時になって漸く気が付く。


 即ち、自分自身の手を汚す覚悟が無ければ、人類に未来は無いのだと。


「いや、僕がここを離れるわけにはいかない」

「馬鹿野郎! 何時まで何を甘ったれたことを……」

「違う、これだけの量の毒を纏めて消毒するつもりならもっと大きな火力が要る。 半端な火力で焼いたところで、無闇に拡散させて事態を深刻にするだけだ」

「ふん、だったらどうするつもりだ」

「僕が殺る。 僕以外には誰にもやれないことだからな」

「何だと?」


 思わしげに語る雪兎の言葉に一瞬ふざけてるのかと馳男は言葉を荒げようとするも、ある懸念が頭に浮かんだのか、すぐさま顔色を変える。


「おい雪兎、お前まさか……」

「大丈夫だよ馳男、僕は絶対に死なないし逃げないから」


 自爆するつもりなのかと焦る馳男を宥めるように、雪兎は穏やかな表情で告げると一人にしてくれとばかりに通信を切った。


「そうだ、僕が逃げるわけにはいかない。 他の誰にもやれないことなんだから」


 人として生きているものは誰も居なくなり、不気味な呻き声だけが支配する街の中で雪兎は呟くと、意を決してドラグリヲと自分を繋ぐ銀糸を左手の甲に突き刺した。


 刹那、まるでこれからやることに対する戒めとばかりに激痛が身体中を駆け巡り、命を搾り取られていると錯覚するような圧迫感が雪兎を襲う。


「うぐっ……!」

『ユーザー、大丈夫ですか? 辛くないですか?』

「辛い訳あるか。 彼らが味わっている苦しみに比べればどうってことない!」


 そう、今から焼き尽くされる人々の苦しみに比べればずっとマシだと雪兎は痛みを堪えると、異形と化した左手を固く強く握り締める。


「だから解放してやるんだ! 僕がこの手で!」


 これから無へと還る命達への悼みと、背負わされた義務を果たさんとする決意。


 それに呼応するように、雪兎の身体の底から圧倒的な力が徐々に溢れ始めた。


 大河の源流の如く始まりは穏やかだが、雪兎の唸りが高まるに従い爆発的に増大し、再生途上だったフォース・メンブレンに吸収される。


 通常兵器どころか、太陽の煌きすらも比較にならないほどの凄まじい光の力。


 それは、毒に侵された街と、その中を徘徊する住人だったもの全てを照らし出し、導いていく。


 老若男女人種貴賎何もかも問わず、死という名の絶対的終局へと。


「さようなら、せめて安らかに」


 足元に転がった人だったモノが、光に怯んで動きを止めたのを見て、詫びるように雪兎は呟く。


 その瞬間、ドラグリヲが悲しげな咆哮を上げると共に、フォース・メンブレンに溜め込まれたエネルギーが一気に解き放たれ、周りに存在していた物体を纏めて滅却していった。


 汚染された建物、地脈、巣窟、そして虫の息だった命全てが、風に煽られた綿埃の如く、存在の痕跡すら残さず光の中に消えていく。


 唯一残されたのは、雪兎が引き起こした災禍の残骸たる深く、巨大なクレーターだけ。


『当該地区に蔓延していた毒素の完全消滅を確認しました』

「あぁそうだろう。 いや、そうでなければ彼らが犠牲になった意味が無い」


 自分のやったことは正しかった。


 そう自身に言い聞かせるよう雪兎は答えると、静かに社の方角を向いて俯いた。


「帰ろう」

『えぇ、貴方が命を賭して守り抜いた場所へ帰りましょう』


 力無く洩れた言葉にカルマが慰めるように返すと、ドラグリヲは逃げるように地平の果てに向かって飛翔する。


 己が容赦無く焼き尽くした赤土の大地に、かすかな潮風と波の音だけを残して。


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