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第21話 畏怖

 その夜、貧民街は異様な緊張感に包まれていた。


 月明かりも届かず耳鳴りさえ感じるほどに静まり返った深い闇の中を、重装の傭兵団と鰐淵翁傘下の無人兵器群が絶えず見回りを続けている。


 雪兎が鰐淵翁への面会を要請した後、突如として貧民街へと押し入ってきた精鋭の兵隊達。


 それらの存在は、害獣か凶悪な犯罪者が逃げ込んだのではないかという余計な憶測を広め、住人達を恐怖と困惑の底に叩き込んでしまっていた。


 いつもならば明かりが漏れているはずの窓際には何十にも目張りがしてあり、中の様子は一切窺えない。


 しかしその重苦しい雰囲気とは裏腹に、哀華が鰐淵翁に提供された住居では微笑ましい光景が広がっていた。


 雪兎によって保護された少女、ヴィマラが畳の上でカルマと和気藹々と戯れている。


 先ほどまで、あれ程面倒事に巻き込まれたことを嫌がっていたのが嘘のように、カルマの表情は他人に見せるものとしては珍しく明るい。


「すごいすごーい! ねぇこれ何!? 凄いマジックみたいだよ!」

『フフーン、これこそが偉大なる科学の力ですとも』


 素直に褒められたのが純粋に嬉しかったのか、チビカルマ達は皆一斉に胸を張る。


 人を超越した知性と能力に反し、子供と然程変わらぬ精神年齢しか持ち合わせていないカルマにとって、ヴィマラは格好の遊び相手であったようで、対するヴィマラもカルマの特異性に親近感を抱いたのか、二人は完全に打ち解けてはしゃぎ続けていた。


 だが、台所で使用済みの食器を洗っていた哀華の声が2人の耳に届くと、揃って姿勢を正し、静々と座る。


「ほら、何時までも遊んでないでさっさとお風呂に入っちゃいなさい。 折角御爺様に用意して頂いたんだからね」

「はーい」

『分かりました』


 母親が子供に促すように、しっかりとした口調で哀華が言い放つと、それに従って二人は畳まれていたバスタオルを手にし、不平一つ言わず風呂場に向かう。


 しかしヴィマラは何を思ったのか徐に哀華の方へと向き直ると、可愛らしく首を傾げながら問うた。


「ねぇ哀華お姉ちゃん。 お兄ちゃんはどこに行っちゃったの?」


 自分を受け入れてくれた人の突然の外出に内心戸惑っていたのか、目を僅かに伏せながら不安げな表情をする。


 すると哀華は膝を付いてヴィマラと目線の高さを合わせると、ごわごわの髪の毛を梳くように優しく撫でながら答えてやった。


「あの子は今、大事なお話の真っ最中なの。 すぐに戻るって言ってたから心配は要らないわ」


 聖母のようだと形容してもなんら遜色無い慈愛の表情を浮かべ、肩を落とした少女を励ます哀華。


 彼女はふと窓から外に視線を向けると、中天を目指し昇り始めた月を見やる。


 きっと雪兎も近くで同じものを見ているだろうと、そう想いながら。


 ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※


 小さく欠けた月が明かりの少ない街中にぼんやりとした光を落とし、遺跡化した建物をほんのりと浮かび上がらせる。


 日中のざわついた雰囲気とは打って変わり、見回りの兵士以外には動く者はいない静かな町並み。


 しかしその僅か上空では、2つの人影が常人では視認出来ない程のスピードで飛び交い、火花を上げて激しくぶつかり合っていた。


 獣の如き唸り声と、機械の駆動音とおぼしき音を響かせながら宙を駆ける流星。


 それらは構えた武器を互いに振り翳すと、双方同じタイミングで急降下を開始する。


「僕はジジイに会わせろと言ったはず。 誰が兵隊共を送りつけろと言った!」

「……今の貴方をあの方に会わせる訳には参りません」

「何だと!? ふざけるなよテメェ!」


 撃ち出された弾丸を片っ端から斬り落とし、すれ違いざまにククリナイフを振り抜く雪兎。


 すると弧を描く様に伸びて来たグロウチウム製の金属鞭がズタズタに引き裂かれ、眼下の街中へ落ちていく。


「お前のような小間使いのサイボーグに用は無い。 死にたくなければさっさとあのクソジジィに会わせろ!」

「サイボーグですって?この私をそんな粗末なものと一緒にするのですか?」


 着地するや否や猛然と走り出した雪兎を嘲笑うかのようにメイドが嘯くと、先ほど切断したはずの金属鞭が自律して動き出し、背後から雪兎の首と四肢へきつく絡み付いた。


「ぁがっ!?」

『あの子だけが特別だとは思わない事ですよ、野蛮なお方』


 全身をきつく縛り上げられた挙句気道を完全に塞がれ、呻き声を上げながら地面を転がる雪兎の横っ腹に、容赦無くメイドの蹴りが突き刺さる。


 比喩では無く本当に音速を超えた打撃は雪兎の身体を弾き飛ばすと、進行方向上に存在していた物全てを根こそぎ粉微塵に吹き飛ばし、旧都を取り囲む大防壁の根本へ叩き付けた。


 常人が喰らえば間違いなく赤いペーストになるような一撃だが、メイドは一切を気を緩めない。


『流石にこの程度では堪えませんか……』


 彼女は一言そう呟くと、自らの周囲に存在していた物質を喰い荒らし、巨大な人造の獣へ身を窶す。


 全身を滑らかな金属皮膚に包まれた、形容し難い艶やかさを醸し出す漆黒の猫神へと。


 だが、それを目撃した雪兎の反応は至って冷静であった。


「ハッ、逆にやりやすくなったぜ。 人外相手なら別に気兼ねする必要は無い」


 追撃すべく宙高く舞い上がった影を見上げ、雪兎は口の中に溜まった血を吐き捨てて身を起こすと、獣の様に低く唸りながら左手を握る。


 すると、左腕から産出された莫大なエネルギーが雪兎の身体を猛烈な勢いで循環し、人外の力を齎し始めた。


 流石にドラグリヲには劣るものの、個人という単位で考慮すれば異常なまでの力。それは同時に凄まじい暴力衝動を雪兎に与え、突き動かす。


「分解してリサイクル工場に叩き込んでやる。 覚悟しろ」


 爬虫類のそれの様に細ばった瞳を漆黒の獣に向け、確固たる殺意を胸に牙を噛み締めた……、そのときだった。


 相対するふたりの間に突如として3機の猛禽型アーマメントビーストが降着し、即時停戦を促す信号を一方的に送りつけて来た。


 何事かと雪兎は殺意の矛先を一瞬乱入者達に向けるも、つい先日登録した識別信号から誰が介入してきたかを悟り、渋々殺意を抑えつつ言葉を絞り出す。


「……N.U.S.A.が何でこんなくだらない話に割り込んで来るんだ。 先日の件ではアンタに感謝しているが、ここまで介入される筋合いは無い」


 目に見えてこそいないが、すぐ側にいるであろう人物に向かって苦言を呈すると、雪兎のすぐ背後の景色が歪み、人型の影が現れる。


 顔までを覆うパワードスーツに身を包み、未だ素顔を見せない女工作員テレサ。


 彼女は共に介入した者達に向け、手振りで武力行使の必要が無いことを示すと、一切感情を含めない事務的な口調で一方的に語り始めた。


「貴方は、今の自分がどれほど不安定な立場にあるのかをまるで理解していない。 貴方が呉を焼き払った後、船団国家間で要人が緊急招集された。 議題は他でもない、貴方のこれからの処遇についてよ真継君」

「何も知らず、何もしてくれなかった連中が何を勝手な……」

「気持ちは分からなくも無いけど、あんな凄まじい力を見せつけられれば誰だってそうもなるわ」


 沸々と湧きあがって来た感情に煽られ、顔を顰めた雪兎の言葉を遮るようにテレサは容赦無く正論をぶつける。


「地下数十キロにも及ぶクレーターを軽く形成するほどの莫大なエネルギーを、感情の起伏などという不安定極まりないトリガーだけで軽く産出するなんて、最小単位のパイロットとアーマメントビーストに出来ていい芸当じゃない。 それよりも劣る戦略兵器でさえ、厳重なセーフティの元で管理されて初めて信頼に足る兵器として運用されるというのに」

「僕は望んで彼らを殺した訳じゃない!」

「えぇそれは私だって理解しているわ。 でもね坊や、それとこれとは話が別なのよ。 今の貴方は、首輪を外された狂犬にも等しい存在であると自覚しておきなさい。 今日のように軽率に振る舞うようでは、誰からも信用は得られないわよ」

「奴らの凶行を見逃して、一方的に蹂躙させれば良かったと? 薄汚いスラムのガキどもは黙って外道共の餌になれば良かったとでも言いたいのか!!!」


 悪党どもの振る舞いから目を逸らすような言い草に、雪兎がテレサを上目遣いに睨めつけながら激しく反抗すると、テレサは否定の意を込めて静かに首を振った。


「そうは言っていない、ただやり過ぎるなと言っているの。 強過ぎる力は時として余計な諍いを招くものだから」


 少しは寛容でありなさいと、テレサは雪兎の肉食獣の如き眼光に怯むことなく忠告をすると、今度は一転して声色を和らげる。


「勿論、こちらの要求だけを黙って呑み続けろなんて言わないわ。 貴方が人として生きていく努力を忘れない限り、我々N.U.S.A.は同盟の一員として貴方の人権を尊重し、金銭面にも含めてあらゆる方面から支援する事を約束する」

「何だって?」


 いくら大義や力があろうと、先立つものが無ければ大したことなど出来ない。


 今日その事を痛感した雪兎にとって、テレサの申し入れはまさに渡りに船であった。しかし、美味しすぎる提案で納得がいかないのか、雪兎はしっかり顔を上げると改めて問う。


「何故そこまでして僕に恩を売ろうとする?」

「貴方が得体の知れない脅威であるからと、我が国のエリート連中なら言うかもしれないけど私は違う。貴方が信頼に値する人間であると確信しているからこそ、こんな甘い対応をするの。根拠ならあるわ。呆れるほど大甘な貴方が辿った来歴の中にね」


 雪兎の鋭く冷たい語調と相反し、柔らかく紡がれるテレサの言葉。


 それは、絶えず気を張り詰めていた雪兎の警戒心を無意識のうちに解くも、代わりに上司に対する軽い苛立ちが沸いてくる。


「首領だな? ネタの流出元は」

「あら、やっぱり分かるものなのね」

「嫌でも察してしまうんだよ。 どうせ何の悪びれも無く勝手に喋り続けたんだろうってな」


 見所があるという根拠の無い一言からお気に入りの一人に列挙され、ひたすらしごかれ続けた故に分かってしまう首領の短絡的な行動。


 人類最強を体現した故の豪快でおおらか過ぎる性格は、彼女に近しい立場の者の胃を悉く焼き尽くし、悟りの境地に至らせすらしていた。


「首領が絡んでる以上、下っ端の僕が文句を言う権利はない。 身の程知らずの馬鹿が絡んでこない限りは大人しくしておくさ」

「分かって貰えて何より。 それじゃ明日を楽しみにしてなさいな。 貴方が求める人手と物資を約束通り融通してあげる」

「へぇへぇ、それはありがたいこって」


 護衛のアーマメントビーストにハンドサインで合図を送り、離脱の準備を始めたテレサの背中に向けて、雪兎は何とか最低限の社交辞令として礼を述べる。


 半ば強引な恩の売り方に思う事でもあるのか、顔つきは限りなく渋い。


 しかし、気を抜いて一度瞬きをした瞬間、距離を開けて背を向けていたはずのテレサの姿が消えた。


「っ!?」

「勘違いしているようだけど、私が本当に伝えたかったのはこういうことよ坊や。 貴方は誰にも望まれない存在になってしまったのだ理解しておきなさい」


 背中に突き付けられたナイフの冷たい感触を感じ取り、雪兎は黙って頷く。


 呉での出会いからこれまでの対話とは根底から異なるテレサの冷徹な気配。 そこから、自分の存在を巡っての対立が想定以上に深刻であることを悟った。


「……あぁ、十分に理解出来たさ」


 テレサの捨て身の警告を心に刻み、己の言葉で理解したことを示す雪兎。


 その途端、ナイフの切っ先は雪兎の背中から離れ、テレサの気配が護衛のアーマメントビースト達と共に音もなく消える。


 残されたのは、雪兎といつの間にか元の姿に戻っていた鰐淵翁の使い走りの二人だけ。


「命拾いしたなポンコツ。 さっさと失せて耄碌ジジィに言い訳を考える暇があることを伝えとけ」


 殺る気が完全に霧散してしまったのか、雪兎は皆が待つ宿舎へ帰ろうとメイドのすぐ脇を通り過ぎる。


 そして、いざ跳躍せんと低く姿勢を取った時、暫しの間無言だったメイドの無感情な声が、再び雪兎の耳に届いた。


『お帰りになられる前に忠告です野蛮なお方。例の子供には、あまり深入りしない事をおすすめします。 でなければ、後々になって心底悔やむことになりますよ』

「何だと? 一体どういう意味だ!?」


 一度は静まった心を再燃させ、雪兎は帰ることも忘れて掴み掛かろうとするも、痛みすら感じる程の刺激を宿したスモークを真正面から浴びせられ思わず膝を付いた。


「グッ!?」

『近いうちに理解します。 その身をもって必ず』


 身体を丸めて激しくせき込む雪兎からゆっくりと距離を取り、攻撃の気配が無いことを察すると、人外の召使いは壁の中にボディを溶かし込んで消えていく。


 殺意を秘めた視線を向ける雪兎に対し、何故か憐れむような眼差しを返しながら。


「あの子が……一体何だと言うんだ……」


 自分の事も、ヴィマラの事も、全てが蚊帳の外に置かれているようで、ただただ途方に暮れることしか出来ない雪兎。


 しかし弱気になっている暇など無いと必死になって己を奮い立たせると、強く拳を握り締め、空を見上げる。


「何と言われようと知った事か。 ヴィマ、何があっても君を守ってやるぞ。 もう二度と、あんな惨めな思いをしない為にも」


 脳裏に浮かぶ灼熱の記憶を振り払い、雪兎は闇に沈んだ街の中を一直線に駆けだした。


 今はただ、己の腕の中にある小さな命だけでも救ってやりたいと、甘っちょろい夢の中へ逃げ込むかのように。


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