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第22話 泡沫

――やーい! 親無し家無しの穀潰し! 死んで昆虫からやり直せー!


 ――お前のような生まれながらのクズが何を努力したって無駄なんだ。 いい加減鬱陶しいから我々の手を煩わせるな。


 ――俺達清らかな血筋のエリートが選ばれなかったのに、お前みたいな汚物が不正も無しにパイロットに選出される訳が無い。 正直に身体を売ったと白状しろ! このウジ虫ホモ野郎!


「うぅ……」


 微睡んだ雪兎の意識の中を忌まわしい過去の幻影が跳梁し、心の古傷から血と涙を滲ませる。


 終わったことだと自分に言い聞かせようと、トラウマという名の膿はその記憶の忘却を是としない。


 痛い、苦しい、悲しい、怖い、分からない、許せない、憎い、憎い、憎い。


 嵐のようにめまぐるしく吹き荒ぶ感情の奔流が、雪兎を徹底して嬲り弄ぶ。


 その果てに、雪兎は身も凍るような錯覚を覚えた。


 人としての身を捨て、すべてを滅却する獣になり果てる事を望む、己の影の存在を。


 ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ 


「はぁっ!?」


 拷問に等しい記憶のリフレインに遂に耐えかね、雪兎は勢い良く跳ね起きた。


 暑いどころか、適温が保たれた狭っ苦しい空間の中で滝のような汗を流し、激しい運動を終えた後のようにせわしなく息をする。


 苦しげに漏れる吐息の中には小さく甲高い呼気が混じり、雪兎が夢の余韻に怯えていることを克明に示していた。


『大丈夫ですかユーザー? また酷い夢でも見たのですか?』

「何でも無いさ、お前は心配しないでおっさんの手伝いを続けてくれればいい」

『そうですか……』


 リソース節約の為か、手の平サイズまで小型化し待機していたカルマが心配そうに主人の顔を覗き込むと、対する雪兎はちびっこの頭を人差し指で撫でながら応え、おもむろに周囲へと目を向ける。


 僅かにぼやけた視界に映り込んだのは、検査モードに入り機械語の羅列を流し続けるのみとなったモニター群。


 勿論、それらが示す事柄の意味など雪兎には何一つ理解出来ず、暇を持て余してシートへ再び背中を預けると、外部で作業を行っている白衣の似合わない筋肉ダルマへ思わず愚痴を零した。


「おいまだ済まないのかよおっさん。 こっちは大した検査は無いと言われたからワザワザ帰りに寄ったんだぜ」

「悪いな坊主、予定とは異なるスケジュールになるが後少しだけ大人しくしておいてくれ。その分給金をはずむよう掛け合っておくから悪くないだろ」


 ヘッドレスト付近のスピーカーから聞こえてきたのは、雪兎が旧都を訪れた翌日に機材とスタッフ共々首領に拉致され、強制的に連れてこられた新野の声。


 連行当初は不満や怒りを言外に滲ませていたものの、日を経るうちに諦めがついたのか、今では愚痴を零すこと無く仕事に邁進している。


「なるほど、確かに嬢ちゃんからの報告通り、精神の高揚に応じて滅茶苦茶なエネルギーを出力しているな。初めて聞いた時はジョークかと思ったが、こうして見せつけられると改めて己の見識の狭さを思い知らされる」

『疑う方がまともですよ局長。 生身の人間が一時的とはいえ天文学的なエネルギーを叩き出すなど、非常識にも程がある現象ですもの』

「お前にだけは非常識だと言われたくないぞカルマ。 まるで自分が普通みたいな言い方をするんじゃない」


 旧時代のロストテクノロジーの塊が何を言うかと、雪兎は生意気娘の頬を滅茶苦茶に揉みしだき、その無駄口を噤ませる。


 いつもならそのままくだらない罵り合いに発展するところだが、珍しくカルマは何一つ文句を返すことなく黙って液状化すると、そっけなく機体の外部へ逃れていった。


 反撃に備えて構えたところを不意にされ何事かと雪兎は首を傾げるも、小さく危なっかしい気配と幼く舌足らずな声を察知し、納得してコンソールに手を伸ばす。


「お兄ちゃん!おじちゃん!カルマちゃん!」

「おぉよく来たなチビさんよ。 今日も綺麗なお姉さんと一緒にお迎えかい?」

「まぁ、お世辞なんて言っても何も出ませんよ」

「お世辞なんてくだらないモンじゃないさ。 俺はこれでも正直だからな」


 外界を映すサブモニターの中に映り込んできたのは、雪兎の迎えにわざわざ訪れた哀華とヴィマラの姿。


 彼女らは新野の気さくな出迎えを受けると、持参してきたバスケットを差し出し、新野とその他スタッフ達を労う。


 中に入っていたのは、VIP待遇故に過剰に捧げられた食料から拵えられた軽食の数々。


 それらを見て新野は一度気の抜けた息を吐くと、苦笑いをしながらバスケットを受け取った。


「いやぁ相変わらずこちらが申し訳なくなるほどに気が利くな嬢さん。 甲斐性無しのアイツにゃもったいない位だぜ」

「うっせぇ筋肉ダルマ! 人に残業を強いる癖にアンタには遊んでいる暇があるのかよ!」

「……っと、そういう訳だ。 もうちょいかかりそうだから今日はウチで待ってた方がいいかもな」


 聞き捨てならないとハッチを蹴り開けて抗議する雪兎を親指で指し、新野は軽く頭を下げる。


 するとそれを聞きつけたヴィマラが横から顔を突っ込み、機嫌良く朗らかに微笑んだ。


「大丈夫だよ、お兄ちゃんはお姉ちゃんに囁かれるとデレデレして機嫌直すの。 それでね、お姉ちゃんもお兄ちゃんにギュッてされると嬉しそうにするんだ!」

「こっこら! そんなこと人前で言わなくていいの!」


 いきなり冷やかされると思わなかったのか哀華は珍しくムキになり、悪気無く話し続けようとするヴィマラを制止する。


 しかし、哀華の隙を突き、ドラグリヲの装甲の隙間から這うようにして現れたカルマがヴィマラの発言を容赦無く補足していく。


『ギュ~ッなんて子供っぽく生優しいものではありません。 本番を致す度胸も無い癖に二人して見てられないほどにイチャイチャと。 昨日も前もその前も、まるでナメクジやカタツムリのそれのように』

「うう~~!」


 恥ずかしさのあまり紅潮した顔を隠して悶える哀華の周囲を、からかうかのように延々と回り続けるカルマ。


 だが考え無しに煽り続けていたことが災いしたのか、突如起動したドラグリヲにその首根っこをつまみ上げられると、口の中へ乱暴に放り込まれた。


 ドラグリヲに飲み込まれて2.3秒後、雪兎の頭上から染み出すように現れたカルマは、そのまま主の腕の中に固く拘束される。


『あぁもう!いきなり何をするんです!?』

「はいはいはい分かったから黙ってろって、お前がいないと仕事が進まないんだから」


 コックピット内へ強制収監されたカルマのこめかみをグリグリと絞め上げつつ、雪兎はドラグリヲを見上げた哀華をモニター越しに見つめ、照れくさげに顔を赤らめながら言葉を送る。


 優しく、丁寧で、穏やかに、限りなく声色を和らげて。


「すみません哀華さん、わざわざ迎えに来て貰ったのにお転婆がこんな無礼を」

「大丈夫よぜんぜん気にしてないから。それじゃ、私は帰ってこの子を寝かしつけておくわね」


 助け船を出して貰ったことにホッとしたのか、哀華は屈託のない笑みを浮かべながら軽く手を振ると、ドラグリヲの姿を食い入るように見つめていたヴィマラの手を取って、格納庫の外へと歩み去っていった。


 おじちゃんまたねバイバイと、元気良く声を張り上げたヴィマラの山彦だけを残して。


「……あの娘も随分元気になったな」

「おっさんがワガママ聞いてくれたおかげさ」

「全くだ、生ものは専門外だと言ったのにテメェは俺に医者の真似事なんざさせやがって」

「ヴィマの身体の事を考えれば、アンタ以外に頼れる人間は居なかった。 僕はともかく、あの娘までモルモット扱いされるのは耐えられなかったからね。 あの子に何があったのかは知らないけど、普通の女の子として過ごさせてあげられるのなら、これ以上のことは無い」


 あんな辛い目に遭わされるのは自分だけで十分だと、雪兎は左腕にそっと手を添えながら述懐する。


 そうするうちにも、いたいけな子供までも人外の身へ堕としたであろう老人の悪らつな笑みが脳裏に浮かび、激しい怒りがこみ上げてくる。


 その情動の度合いが色濃くなるにつれて、機外が慌ただしくなっていくことにも気付かずに。


「おい何を考えているかは知らないが落ち着けよ! せっかく持ち込んだ機材がまとめて吹っ飛んじまうだろうが!」

「えっ? あぁ……悪い……」


 知らずのうちに引き起こした混乱を収拾すべく、雪兎は新野の諫めを素直に聞き入れ、握り込んでいた拳を意識して緩めながら深呼吸を繰り返す。


 事情を知らない誰かに当たり散らすこと以上に理不尽なことは無いと、己の導火線の短さを思わず自嘲しながら。


 すると、一時騒然としていた機外の様子が次第に収まり、安全装置のレバーに手を掛けていた新野の顔色が少しずつ和らいでいった。


「さて、テメェが落ち着いた所で続きと行こうか。 今度はノンレム睡眠時に出力されるエネルギーの推移を計測するから本格的に寝てても構わんぜ。 というか、ちゃんと寝てくれないと今度は実験にならないんでな」

「それはありがたい、特に今日は腕白なチビっ子達の相手でヘトヘトだったからな」

「何を分かったツラしてやがる。ガキの世話の大変さはこれからだっての。 まぁそれはともかく、嬢ちゃん準備はいいか?」

『えぇ、始めましょう』


 コックピット内に収監された事が腹立たしくてしょうがないのか、カルマは新野に対する返答の後、雪兎に向かって舌を突き出すと、それ以後はふてくされたかのようにそっぽを向きながら作業に没頭する。


 その後ろ姿を見て雪兎は思わず苦笑すると、そのままシートへ完全に己の身を預けて目を閉じた。


 どうせしばらくすればまた元通りになるだろうと、至極気楽に考えながら。


 ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※


「ねぇお姉ちゃん、どうして帰っちゃうの? もう少し待っててもいいじゃん!」

「ダメよ、私達が居たっておじ様達のお仕事の邪魔になるだけだから」


 不思議気に首を傾げて尋ねるヴィマラの手を引いて、哀華は足早に仮住まいへの道を急ぐ。


 周囲には用心棒として提供された無人多脚戦車がバッタのように跳ね回っており、過剰なまで安全が担保されている。


 それでも彼女が家路を急いだ理由は、単なる照れ隠しだけでは無い。


 雪兎一人相手なら兎も角、他人に人間らしい弱みは一切見せたくない。


 大勢の支えとならなければならない人間は、決して衆人に弱みを晒してはいけない。そういった行き過ぎともいえる仕事に対する意識が、挙動不審とも見える決断を促していた。


「お姉ちゃんどうしたの?なんか変だよ?」

「大丈夫よ、本当になんでもないから」


 いつもは見せないぎこちなさに不安を感じたのか、ヴィマは少し強めに哀華の手を握ってアピールするも、哀華はただヴィマの頭を撫でて応えるに終始する。


 そうする間に目的地付近へ差し掛かり、住居への認証装置に手を掛けようとしたその時、何者かの気配に気が付いたのか哀華の動きが突如止まった。


 不審者か賊かと早合点し、忍ばせた拳銃へ手を伸ばそうとするも、その何者かを視界に入れるとすぐさま胸を撫で下ろし、軽く笑みを浮かべる。


 仮住まいの玄関付近で彼女らを待っていたのは、無愛想なメイドを傍に侍らせ、絶えず不敵な笑みを浮かべる隻眼の老人。


 雪兎が一発でもぶん殴ってやりたいと、懸命に所在を追い求めていた鰐淵翁その人であった。


「まぁ御爺様! この度は支援の程誠にありがとうございます!」

「そこまで恐縮せんでも構わん。 儂は儂に求められている役割を粛々とこなしているに過ぎないのだよ。 貴賤違わず人々を導かんとするお前さんと違ってな」


 深々と一礼する哀華を労うように老人は穏やかに言葉を紡ぐと、杖を突きながらさりげなく哀華に連れられたヴィマラの前へと歩み寄る。


 その表情自体は至って柔和そのもののはずだが、元の顔が悪人面の為か険しくも見えた。


「このお嬢さんが、甘ちゃん坊主がどっかから拾って来た子供か?」

「えぇそうです。 さぁご挨拶なさいなヴィマ、この方はとても偉い人なのよ」


 鰐淵翁の見た目の強面っぷりに少し恐怖を抱いたのか、不安げな表情を浮かべるヴィマラの背を撫でてやりながら促す哀華。


 それに従いようやくヴィマラはゆっくりと鰐淵翁の方へ向くと、こんばんはと挨拶しながらおずおずと老人の顔を見上げる。


 年齢を感じさせない程に鋭く鮮明な瞳と、幼く無垢な瞳の視線が交る。


 その瞬間、突如としてヴィマラの意識の中に直接老人の冷たく厳かな声が届き、思考を容赦無く揺さぶった。


 ――次はお前の番だ小娘。 先人二人と同じく己が果たすべき役割を果たせ。


「……っ!?」


 老人自身は一切口を動かしていないのにも関わらず、何故か延々と響き続ける老人の力ある声。


 それに翻弄されるがまま、ヴィマラは無意識のうちに膝を付き、力無くただ呻く。


「どうしたの大丈夫!?」

「……ううん平気、何でもないの」


 突然身体を震わせ座り込んだヴィマラを気遣うように、哀華は鰐淵翁から一瞬視線を逸らしてヴィマラを抱き上げる。


「申し訳ありません御爺様、まだこの子の体調が優れないようで……」


 力無くもたれ掛かったヴィマラの身体をそっと支えつつ、詫びを入れながら向き直る哀華。


 だが視線を戻した先には誰の姿も無く、哀華は驚きを露わにして周囲を見渡すも人影一つ見つけることが出来なかった。


 何が起こったのかも分からず、哀華はただしっかりとヴィマラを抱きかかえながら呆然と立ち尽くす。


「役割……私の役割……」


 その細腕の中で、ヴィマラは哀華にも聞こえないほどにか細い声で呟き続けていた。


 老人から一方的に吐きつけられた言葉の意味を、ヴィマラは全くもって理解していない。


 しかし、身体の芯から湧き上がる形容し難い恐怖と焦燥感がヴィマラの堅く縛られた忘却の鎖を解きほぐし、ある予感を齎していた。


 安寧の終わりと、永久の別れがすぐそこまで迫りつつあることを。


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