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第51話 再会

「……勝てたのか」

『ええやりました、生き残ったのは我々です』


 限界を超えてブレスを撃ち続けた仇か、完全に自壊してしまったドラグリヲの残骸のすぐ脇で、カルマは砂浜に手足を投げ出して座り込んだ主の問いに朗らかに応える。


 後先考えずエネルギーを放出し続けた代償に、指一本動かせなくなった雪兎を燃え盛るコックピットから引っ張り出したせいか、身体中に焦げ跡を作ってしまったカルマ。


 しかしそのボロボロの外見と裏腹に語調は明るく、顔には笑みさえも浮かんでいた。


『貴方は列島のみならず、その後ろで息づく全ての命を救ってくれた。 貴方は人類史に名を残すべき英雄になったのです』

「そんな仰々しい肩書きはいらない。 それにこっちだって払った犠牲は大きかったじゃないか。 それを考えると手放しで喜んではいられないだろう」


 カルマからの大げさな賛辞をそこそこに聞き流しつつ、雪兎は一先ず拠点に戻るためにドラグリヲの復旧を命じる。


 そして自身は身体を打ち棄てるように力を抜くと、そのまま大地に背中から己の全てを預けた。


 連戦に継ぐ連戦を気合いで潜り抜けてきたが、緊張の糸が切れたせいで今まで堪えてきた疲労がどっと雪兎を襲い、溶けた鉛のようにその細身にのしかかる。


「疲れたな……本当に……」


 もうこのまま眠ってしまいたいと、雪兎は重々しくのろのろと寝返りをうって胎児のポーズを取ると、そのまま瞳を閉じて深く息を吐いた。


 考えてみれば、サンドマンのせいで夜中に叩き起こされて以来延々と戦線に立ちっぱなしで、よく今まで持ったなと雪兎は内心自分を褒めてやりたい気持ちに満たされながら、眠気に意識を誘われていく。


 だが、突如として大昔のネットワーク接続手段だったダイアルアップ染みた奇怪な音が流れ始めると、雪兎は堪らず瞳を開いてカルマの気配がする方角へ視線を向けた。


「おいうるさいぞカルマ、一体何をやってるんだ」


 今は少しでも早くコンディションを回復させたいんだと憤る雪兎だが、騒音の元となったカルマの姿を視界に入れた瞬間、怒りの矛先を招かれざる第三者へと向け直す。


 虚を突かれてウィルスの類いでも流し込まれたのか、瞳の中に大量のエラーメッセージを表示させながら、膝立ちになってビープ音を垂れ流し続けるカルマの背後。


 そこにはご丁寧にも喪服を着込み、嫌みたらしく雪兎を拝んでみせるサンドマンの意志を宿した肉人形の忌むべき姿が確かに存在していた。


「ふっふっふっ、ずいぶんお疲れのようだなぁ坊主」

「黙れこのダニ野郎が」

「サンドマンだと言っているだろう? 人様の名前すら真面目に覚えられないとはお里が知れるな野蛮人め」

「お前の名前など覚えてやる義理はない」

「ああそうかい、今日はせっかく礼を言いに来てやったというのにつれないな」

「……礼だと?」


 バグに犯され、全身モザイクまみれにされたままピクリとも動かないカルマを尻目に、サンドマンはニコニコと満面の笑みを浮かべながら雪兎の枕元に立つと、深々と傷がつけられた雪兎の額を踏みにじりながら頷いてみせる。


「そうだ、よくあのゴミ屑犬畜生共を殺してくれたよ。 おかげさまでこっちも苦労して集めた駒を浪費せずに済んだからな。 いやあ果報は寝て待てとは良く言ったもんだぜ。 これで思う存分お猿さん共を嬲り倒せるって訳だ」

「テメェ、あの連中と組んでいたんじゃ無かったのか!?」

「はぁ? 冗談も休み休みに言ってくれ、俺ぁ昔っから連中のことが大ッ嫌いだったよ。 先人が血と汗と涙を流して必死に積み上げてきた技術の螺旋を笠に着て、安全地帯でドヤ顔でイキッていた痛い馬鹿の集まりなんざ、大枚叩かれようが近づきたくもなかった」


 何か嫌なことでも思い出したのか、サンドマンは一人虚空を見上げながら心底不快そうに表情を歪めるもすぐさま気持ちを切り替え、雪兎の額を思い切り踏みつけ始めた。


 額に刻まれた傷跡から吹き出した夥しい血が、雪兎の側に小さな血だまりを生む。


「ぐっ……!」

「幸いなことにババァも生臭坊主も死んだ。 ジジィはお前を恐れて逃げ回ってばかり。 船団の腕っこき共は大西洋側から殺到してくる肉壁相手でそれどころじゃない。 つまりだ、今のお前を助けてくれる都合の良い奴なんざいないんだよ」


 苦痛に悶え、呻き声を洩らす雪兎の痛ましい表情をじっくりと眺めながら、サンドマンは恍惚とした表情を浮かべつつ雪兎の頭を踏みつける足にゆっくりと力を込めていく。


 普段なら何ということもない圧力であるが、弱り切った雪兎の頭を踏み砕くには十分すぎる力だった。


「うあああああああああ!」

「残機なんざもったいない、お前の首から下は俺の一張羅として大事に使わせて貰うぜ。 今までの苦労が徒労に終わって残念だったなぁ!」


 勝利を確信し、雪兎の痛ましい悲鳴を愉悦に満ちた心境で聞き入るサンドマン。


 やがて、それを聞くのも飽きたというように酷薄な笑みを浮かべると、雪兎の頭を踏みつけていた足に全体重と力を込めた。


 その瞬間、雪兎の一際高い悲鳴が響きそして――


 攻め立てていたはずのサンドマンの頭がざっくりと裂かれ、赤黒い鮮血と脳味噌が盛大にぶちまけられた。


「あっ、あぁ? こりゃ一体何の冗談だ?」


 勝者としての絶頂から敗者としての谷底へ、目まぐるしく立場が入れ替わった事実を受け入れることが出来ず瞠目するサンドマン。


 対して、殺害される寸前だった雪兎は命を拾ったことに胸を撫で下ろすも、何とか現状を把握すべく血反吐を吐きながら悶えるサンドマンの背後へ視線を向ける。


 そこには、リンボへと繋がる大きな裂け目が二人に気取られることも無いまま形成されており、その中から銃剣が取り付けられた火砲らしき何かが、そっくりそのまま突き出していた。


「馬鹿な! お前は確かに死んだはずだろうがぁ!!!」

「ああそうだ、確かに俺の肉体は死んだ。 だが俺の魂を殺し切るには少々小細工が足りなかったようだな」


 雪兎よりも先に襲撃者が何者であるのかを察したのか、信じられないとばかりに目を剥きつつ冷静さをかなぐり捨てて怒鳴り散らすサンドマンだが、襲撃者はそれに頓着せずざまぁみろと言わんばかりに嘲笑してみせる。


 そうしてチャンバーに砲弾が装填される固い音が響いた刹那、半死半生だったサンドマンの身体が脳漿や骨を派手に撒き散らしながら弾け飛んだ。


 汚い水音を立ててばらまかれる血飛沫。 それを真正面からモロに浴びせられ思わずむせる雪兎であるが、今はつまらない事に腹を立てていられるほどの余裕は無かった。


「誰だ、一体誰なんだ!?」


 雪兎が見たことも無い形状をした武器が突き出されたリンボへの裂け目。


 それはさらに大きく規模を拡大すると、その中から禍々しい姿をした影がヌルリと這い出てくる。


 全身に外套染みた形状の触手を纏わせ、背中には頭足類の表皮のような質感をした羽を生やした海魔めいた怪物。


 一見すると気味が悪く、とてもじゃないが好印象は抱けない異形。


 だが、雪兎はその異形に強く既視感があった。 雪兎が知っていた姿とは大きく変わってこそいるが、各部に配された武装の種類やそのレイアウトから、それが何なのかを確信する。


「スキュリウスだと? 馬鹿な、こいつがこんなところにいるなんて有り得ない……」


 首領やカルマの言葉を信じるならば、二度と手の届かない場所へと消え逝ったはずの機体。 だがそれと似通った存在が、今確かに目の前で鎮座している。


 味方なのか、それとも偶然敵が被っただけの第3勢力なのか。 相手の出方が全く窺えず雪兎は狼狽えてただただ硬直するばかり。


 その情けない姿勢を見かねたのか、眼前の異形は肩を竦めるように触手を動かすと、大口を開いて自ら機体内から声を響かせた。


「よぉ雪兎、相変わらずシケたツラしてんな」

「馳夫……? 本当に馳夫なのか!?」


 雪兎の耳に飛び込んできたのは、カルマの手によって死亡が確認されたはずの戦友の声。 深海にて死体すら残らず滅されたはずの男の肉声だった。


「お前、首領に情報を伝えた後死んだって……」

「さぁどうだろうな? それはお前の認識次第だよ。 まぁそれは兎も角、今はここから退散するのが先だ。 恥知らずのアマチュア共に絡まれたくは無いからな」


 雪兎からの問いへの返答もそこそこに、馳夫は外部への拡声機能を起動すると近隣から傍受した軍事無線の内容をわざわざ聞かせてくる。


「うわ、こいつらこっち来る気かよ。 いまさら何のつもりだ?」

「そりゃお前が散らかした跡を漁りにだよ。 奴等、お前らの戦いを隠れた上に遠巻きにして見ていたんだ。 あんな馬鹿げた力を手中に出来るかもしれないと考えれば、そりゃお前らに関する物なら何だって欲しいだろうよ」


 形式上は味方である集団のハゲタカやハイエナのようなみっともない動きに呆れ、口端を歪ませながら額に皺を刻む雪兎だが、馳夫は構わず新たに人一人が通れる程度のサイズの裂け目を開通させると、雪兎の首根っこを引っ掴む。


「ちょ、一体何のつもりだよお前!」

「細かいことは気にすんな。 このちびっ子のことは俺に任せてお前はお前の取るべき責任を取れ。 俺は後片付けやら各員への連絡やら為すべきことが山のようにあるからな。 ……そこから逃げたら殺すぞテメェ」


 雪兎をリンボの中へ押し込む寸前、脅すようにドスの効いた声で警告する馳夫。


 何故そこまで必死になるのかと問わんと雪兎は口を開きかけるが、問答無用にその中へと投げ込まれた結果、その声が馳夫に届くことは無かった。


 裂け目を潜らされた瞬間、微かに響いていた潮騒や海の匂いが消え、代わりに鈍い空調の音と淡い消毒液の臭いが認識されていくのを感じながら、雪兎は投げ込まれた勢いをそのままに白い床の上を転がされる。


「いってててて……、あの野郎僕を一体何処に……」


 近くにあったベッドに縋り付くことで何とか立ち上がり、現状を把握しようと顔を上げる雪兎だが、あっと小さい声を上げた瞬間、その場に凍り付く。


 その視線の先にはノゾミからの見舞いを受け、上半身を起こしていた哀華の姿があった。


 彼女は突然空間が裂けたと思った矢先、雪兎が投げ込まれてきた事に大層驚いているのか、上品に口元を隠しながらも雪兎の傷ついた額を黙って見つめている。


「やっと来たわね。 それじゃ私は消えるから、後は二人でごゆっくり」


 雪兎が連行されてくることを予め知っていたのか、見舞いの品を棚に並べていたノゾミはふっと小さな笑みを雪兎に見せつけ、いそいそと病室から出て行くと、困惑する二人だけがその場に残される。


 暫しの間、清潔で明るい病室が通夜のように暗く重苦しい空気に包まれる。


 しかし雪兎は哀華に伝えなければならないことがあることを思い出すと、僅かに顔を伏せて先に口を開いた。


「哀華さん……ヴィマはその……」

「大丈夫、もう知っているわ。 一番辛かったのは貴方だったということも知ってる」

「っ……」


 自ら刻んだ顔の傷が、抱いた罪悪感に呼応して熱を持つのを感じながら、雪兎はただ押し黙る。


 そんな雪兎に対し、哀華は慈愛に満ちた視線を向けると、病み上がりの身体を押して立ち上がり、雪兎の側に歩み寄った。


「私は貴方がどれだけの痛みを味わったのかは分からない。 でも、貴方の悲しみを受け止めること位は出来ると信じてる。……だからおいで」

「哀華さん……」


 弱った雪兎を待ち受けるように、ゆっくりと両腕を伸ばす哀華。


 それを見た雪兎は身体の全てを預けるように蹌踉けながらも迷わず寄りかかると、その胸の中に顔を強く埋めた。


「哀華さん……人が……人がたくさん死んだよ……。 首領も……僕を助けてくれた人達も……」


 涙と鼻水を情けなく垂れ流し、子供のように噎び泣きながらただ縋り付く。


 そこには常軌を逸した怪物の気配はなく、ただの泣き虫な若い男の姿があるだけだった。


 そんな雪兎を、哀華はただ黙って受け入れながら砂や血の汚れにまみれた鋼色の髪を優しく撫でてやる。


 まるでグズった子供を慰めるように、ただただ雪兎の涙を受け止め、抱き締め続けた。


 ずっと先送りにされていた雪兎の辛さと悲しみが、少しでも薄れてくれることを願って。

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