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第56話 表裏

 コックピット内を数百を越える繊毛状の触手が這い回る。


 カルマの医学的処置によって仮死状態となった雪兎の体内へ入り込み、中枢神経への接続を行おうとしていたそれらは、左腕に異常発達していた神経繊維の存在に気が付くと、躊躇無くそれを踏み台にして雪兎の意識にアクセスする。


 刹那、カルマに星海魔と名を呼ばれた怪物と雪兎の精神的結合が物理的に確立され、深い眠りに堕ちていた雪兎の意識は特異な精神空間で目覚めた。


 限りなく深く遠大な闇の中。


 その中に微かに灯った光に誘われて、雪兎の意識は自然と暖色の明かりの下へと向かっていく。


 するとその明かりの中から声が響いてくる。


 何やら聞き覚えこそあるものの、記憶にあるもの以上に慌ただしくて頼りがいの無い軽薄な声。


 それは雪兎が意識を集中すると徐々に鮮明になっていき、やがて聴覚のみならず視覚からも情報が注がれ始めた。


「まぁ待て落ち着けって! そりゃお前さんの気持ちも十分理解できるが、だからってあのクズの口車に乗せられた馬鹿共は問答無用で皆殺しなんて理不尽にも程があるだろ!」


 血と臓物で汚れた瓦礫の中で、稲妻の鷲獅子と砂塵の猫神を伴い一方的に捲し立てるのは、雪兎が知る姿よりもどこか若々しくエネルギッシュな印象を醸し出すアルフレドの姿。


 彼は数え切れない数の生体戦艦を伴って殺気を剥き出しにする蛸の怪物に向かい、必死になって声を張り上げる。


「前から何度も言っているはずだ。 人間は馬鹿で間抜けで愚かではあるが、決して救いよう無い存在じゃあないってな。 もしお前の思ったように揃いも揃って低脳だらけだったと仮定するなら、そもそも文明なんて大層なモン長々と維持できちゃいねぇよ!」


 乱暴ながらもどことなくそれらしい持論を展開し、蛸の怪物が全軍に攻撃命令を下すのを食い止めるアルフレド。


 彼は蛸の怪物が辛うじて己に興味を持っているうちにと、説得の材料を探して悪あがきに周囲に視界を巡らせる。


 そうして雪兎の意識が存在する方角に目を向けた瞬間、諦めから驚嘆、悪い笑みと目まぐるしく表情を変えると、数秒前とは打って変わって自信に満ちた声色で蛸の怪物へと語りかけた。


「それにな、俺にはもう既にはっきりと“視えている”のさ。 近い将来、先人の意志と力を引き継いだお人好しの馬鹿が現れるのがな」


 腰に手を当てて胸を張り、漆黒の翼を大きく広げながらアルフレドは朗らかに笑う。 そこに小賢しいごまかし虚言の影は一切無い。


「だからせめて後数十年この亀裂を守ってくれ。 もし約束を護ってくれるなら、お前さんのお眼鏡に叶う立派な人間に会わせてやる」


 一見勇ましくも、実質完全に他人任せな宣言をアルフレドが切り出したのを最後に、記憶の再生は途切れ、雪兎は無機質なコックピットの中で我を取り戻すが、メインモニターに映り込んだ恐ろしい何かが雪兎がリラックスするのを許さなかった。


 モニターの中で先ほどから変わらぬ姿を晒すのは、身も凍るほどにグロテスクで恐ろしい造形をした“星海魔”と呼ばれた巨大な化け物。


 彼は身体の中心を巨大な金属の杭に穿たれたまま、泥沼のように濁った目を器用に動かして雪兎を眺め続けている。


 その時、雪兎はふと気が付いた。


 眼前で震える巨大な目玉から、透き通った液体がだくだくと流れ落ちていたことに。


「泣いているのかアンタ? 一体どうして……」


 つい先ほどまで抱いていた恐怖を忘れ、雪兎は眼前で不気味な呻き声を上げながら涙を拭い続ける星海魔に思わず尋ねた。


 返事を期待していた訳でも無く、ただ無意識のうちに反射的に紡いだ言葉。


 それを聞きつけたのか、星海魔は雪兎の腕に繋いでいた触手に流れる生体電流を強めて、雪兎との精神リンクをさらに強化する。


 その瞬間、雪兎は何故星海魔が深い哀れみをもって自分と接してくるのかを理解した。


「やめろ! 僕の頭の中に土足で入ってくるな!!!」


 星海魔が記憶を読む都度に雪兎自身も過去の出来事がリフレインし、今もなお心に残る深い傷跡が酷く疼く。 


 実の両親の人間としての死から始まった偏見と差別と暴虐の連鎖。


 受け入れてくれる者どころか、最低限の衣食住すらも危うい社会の最底辺としてたった一人で生きた日々。


 辛く苦しく、何もかもが憎くて憎くて堪らなかった幼年時代。


 己というパーソナリティの根幹に大きく横たわる憎悪が、雪兎の意識を滅茶苦茶に掻き乱し狂わせる。


「どうして? どうして皆こんな惨いことをやるんだ!? お前等が日頃散々悪いことだって喚いていることをどうして平然とやれるんだよ!!!」


 憎しみと悲しみのあまりに過去と現代の区別すら困難となり、雪兎は血と涙と呪詛を撒き散らしながら泣き叫ぶ。


 害獣に食われてあっさり死ぬ方がまだ幸せだったと思えるほどの迫害の再体験は、主な下手人であった大衆という名の害獣への殺意を激しく駆り立てた。


「殺してやる、皆殺しにしてやるぞダブスタ上等のエゴイスト共がああ!」


 胸の底から溢れ出る憤怒の感情に突き動かされ、雪兎は悪鬼羅刹と見紛うばかりの表情を晒しながら腕に絡みついた触手を斬り落とさんと爪を剥き出しにする。


 だが、いざ爪を振り翳そうとした瞬間、雪兎が抱いた殺意を押し流すほど大量の情報と思念が、絡みついた触手を通して脳内に流れ込んできた。


 それは己を持たない無責任な大衆の愚劣な思考とは一線を画する、確固たる信念と矜持を持った気高き人々の意志。


 身分も人種も問わず、ただ人類の存続の為に死力を尽くして己の職責に殉じた人々の一途すぎる責任感が、雪兎を正気へ押し留める。


 その意志の中には自ら化け物へと身を窶した二人の男と首領の姿もあった。


「これは……、アンタが見てきたものなのか?」


 絶えず投影される名も無き英雄達の記憶の中で、正気に引き戻された雪兎が静かに問いかけると、星海魔は肯定を示す思念を投げ掛け、最後に見覚えのある人間の記憶を見せ付けてくる。


 ただの人間であった馳夫が、己の存在を賭してやるべき役割を果たした今際の記憶を。


「そうか、馳夫を助けてくれたのはアンタだったんだな……」


 当の本人が納得しているかは兎も角、死に逝く筈だった命を拾い上げてくれたことに感謝の意を込めて、雪兎が頭を下げながら静かに呟く。


 直後、星海魔の一際強い思念が雪兎の身体を貫いた。


 ゴポゴポと不気味な破裂音が木霊する中で雪兎が感じ取った感情は、待ち望んでいた者と出会えたことの喜びと、生来の優しさに縛られ苦しむ愚か者への憐れみ。


 いくら憎かろう強くあろうと、人である以上人間社会という枠組みからは決して逃れられない雪兎への同情の念が確かにそこにはあった。


 そうして、星海魔はアルフレドと交わした約束が守られた事を自覚すると、最低限しか動かしていなかった生体戦艦の陣容を大きく変化させ、天使達に対し大規模な攻勢へと打って出る。


 それが自らの身を賭けて持論の正当性を証明して見せた、アルフレドに対するケジメだと言わんばかりに。


「凄い……、まるで山が動いているみたいだ……」


 星海魔が触手を振るう度にいずこから無数にワープアウトしてくる生体戦艦の威容を、雪兎は無邪気にも感嘆を露わにして眺め続ける。


 今自分がいる場所が仮にも最前線であったことを失念して。


 戦場では一瞬の気の緩みが生死を別つ。


 それを証明するかのように、いずこから飛来した流れ弾にドラグリヲが被弾した瞬間、機体を構成するグロウチウムが猛烈な勢いで腐敗を開始し、即座に脱出を促すアラートがけたたましく鳴り響き始めた。


「馬鹿な、たった一発だぞ!?」

『当然です。 後始末を考慮しなければならない我々の戦場と、わざわざ足下の環境を考えなくて良いこの空間での戦場を同列に考えてはなりません。 ここでの戦いと比べれば、我々が普段繰り広げる戦闘など単なる児戯に過ぎないのです』


 被弾時の軽い衝撃とは裏腹に、滅茶苦茶な被害を受けたことに驚愕する雪兎を無理矢理コックピットから引きずり出しながら、カルマは淡々と己のやるべき仕事を続行する。


『グレイス、こちらの用事は終わりました。 我々が消滅させられる前に早く回収を!』


 どの様な手段で連絡を取り合っているかは不明だが、カルマが虚空に向かって声を張り上げた瞬間、雪兎とカルマが漂っている位置から少し離れた位置に裂け目が開き、その向こう側で何故かよそ見をして突っ立っているグレイスの姿が垣間見えた。


「何をやってるんだグレイスさっさと回収しろ! 僕らを死なせたいのか!?」

『んな訳ないから黙って見てなって』


 ますます苛烈になっていく砲撃戦の煽りを受けて焦る雪兎の怒声にも怯まず、グレイスが苦笑いしながら応答すると、その証明とばかりに大量の蔦が裂け目の向こうから這い出し、雪兎とカルマが漂う座標まで一気に延びて来る。


「やれるなら最初からやっとけ!」

『まぁそう言わずに、その枝や蔦を動かしているのは俺じゃ無いんだからさ』

「……なんだと?」


 空いた両手を見せ付けながら笑うグレイスの言葉通り、蠢く蔦や枝の根元にいたのはなんとグレイスでは無く哀華。


 彼女は手から直に生えた蔦を器用に動かして雪兎の手元まで伸ばしきると、彼女らしくなく必死になって叫んだ。


「雪兎! 私がなんとかするからジッとしてて!」

「哀華さん!?」


 訳も分からず瞠目する雪兎の気持ちを放置して、哀華は身を強張らせた雪兎の身体に幾重にも強く蔦を絡ませると、そのまま全力で引っ張り上げ、雪兎とカルマを通常空間へと帰還させた。


 裂け目から雪兎の身体が飛び出した瞬間、哀華は雪兎の身体を身を挺して受け止め、そのまま愛おしそうに抱き締める。


「よかった、無事五体満足で帰って来られて……」

「心配してくれて御座います。 ……でも、今貴女と話したいのはそんな話じゃ無いです!」


 いつもなら長々と哀華の腕の中に包まれている雪兎だが、今回ばかりはそうしておられず哀華の腕を振りほどくと、逆に彼女の両肩を掴んで問いかけた。


「哀華さん、その身体は一体どうしたんです!?」

『残念な話だけど、全ての人間が兄ちゃん達に好意的な訳じゃない。 汚い輩っつーのは目障りな相手を追い落とす為ならなんだってやるんだ。 実は哀華姉ちゃんが襲撃を受けるのはあれが初めてじゃない。 兄ちゃんやカルマも寝ている間に、何人もの人間が姉ちゃんを攫うか殺しに来たんだよ』

「馬鹿な!」


 失望と苛立ちのあまりに雪兎は思わず否定の言葉を呟くも、グレイスは自分の身体に撃ち込まれたらしき弾丸をこれ見よがしに見せ付け、現実を見るよう促す。


『そういう経緯もあってね、今の哀華姉ちゃんの身体には護身用に俺の身体を構成している植物細胞が接種されている。 もっと早く言っておくべきだったね、本当に申し訳ない』

「……いや大丈夫だ気にしてない。 哀華さんが同意の上であったのなら僕に不満を口にする権利はない」


 グレイスの兵器らしく心の篭もっていない謝罪に対し、雪兎も言っていることとは裏腹に深く根に持ったような語調で返答する。


 二人の間に険悪な雰囲気が高まる中、それを遮るかのようにカルマが横合いから顔を出すと、グレイスは雪兎から彼女へと視線を移し、神妙な表情をして口を開いた。


『それで、彼の返答はどうだったんだ?』

『えぇ、説得は上手くいきました。 これも全てユーザーのおかげです。 少なくともこれでイレギュラーな害獣の増殖は終わるでしょう』


 不安げだったグレイスと対照的に、カルマは終始明るい表情を見せたまま語り終えると、精神的に疲労した雪兎を労るようにその背中を撫でてやる。


『ありがとう御座いますユーザー、貴方がいなければ彼を納得させることは出来なかった』

「ああそうかい。 僕にはお前等が何を考えているのかさっぱり分からないが、事情を知っているだろうお前が言うのなら、ああそうなんだって信じてやるぞ。 ……今のところはな」


 哀華が手慰みに伸ばした蔦や枝に絡まれたまま、雪兎は少しの間カルマを横目で睨むと、すぐさま哀華の方へ視線を向け、他におかしいことがなかったかと過保護になって接する。


 哀華にしか見せない素の明け透けな表情を晒す雪兎の横顔。


 それを雪兎の背後からどこか寂しげな表情で見つめながら、カルマは自身の内部に形成した意識のプライベートスペースで一人呟く。


『そうですユーザー、貴方は何も知らなくて良い。 ただ自分の出来ることだけに全力を注ぎ続けられればきっと、人は死ぬまで幸せでいられるのですから……』


 グレイスとの再会を契機に己の中でブラックボックス化していたアーカイブが開放された結果、知らない方がよかったことまで知ってしまったカルマは、何も知らない雪兎をただ慈しむかのように見つめ続けた。


 少しでも長く、この愚直で優しい人が人のままでいられることを願って。



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