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第57話 左遷

「あー長閑だ長閑。 平和ってのは実にいいことだなぁ」


 高々と上がった太陽が中点に差し掛かり、暑い熱視線を地上に向かって投げ掛ける中、雪兎は哀華に渡された肉野菜弁当をがっつりと食べている。


 とは言っても勿論暢気に一人でピクニックに出かけていた訳ではない。


 雪兎が陣取る廃ビルの真下では、工事用外骨格を装着した土方のおっさん達が元気に労働に勤しんでいた。


 そう、現在雪兎が本社から直々に言い渡されているのは、害獣駆除の仕事では無く旧都付近の工事現場の警護。


 原因不明だが強力な害獣の出没が突如として止んだこと、そして難民の流入によって急遽大規模な居住施設が必要となったからいう建前の下、完全に左遷同然の憂き目に遭った雪兎は本社への不満を隠せぬまま、背後に控えたドラグリヲの爪に乱暴に寄りかかり、苛立ち混じりにため息をついた。


「もっとマシな仕事は無かったのかよ」


 ぼやきつつ雪兎が空を見上げると、そこには数多の試練を乗り越えて凄まじき兵器として成長を遂げたドラグリヲの下顎が見える。


 カルマが戯れで造った大きな作業用ヘルメットを鼻先に乗せ、その場で犬のようにお座りの体勢をしたまま動かないそれは、雪兎のぼやきを聞きつけたのか自ら胸部コックピットを開放すると、内部でコンソールと向き合っていたカルマを雪兎のすぐそばに降ろした。


『まぁ、私としてはこういう扱いになってくれた方が良かったです。 貴方には政争の道具として扱き使われて欲しくなかったから』

「考え過ぎじゃないのか? 何もそこまで深刻に考えずとも……」

『お言葉ですがユーザー、現在列島中に潜む工作員の総数を考えればそんな暢気な事は言っていられないと思いますが』

「う……」


 カルマが語る通り、誰もが雪兎の存在を望んでいる訳では無い。


 私欲の為、私怨の為、単に信用に値しない為。


 様々な理由で世界中の諜報機関や軍隊から派遣されたと思われる工作員の気配を、雪兎は肌でヒシヒシと感じていた。


「気にくわないのなら直接口で言えばいいものを……」


 首領がいなくなった途端に掌を返し、列島の天然の領土に唾を付けようとする船団国家のやり方が気に入らず、雪兎は表情を露骨に歪めながら傍らに置いていたクーラーボックスを手に取る。


 中に入っていたのは、哀華がグレイスに課された細胞操作の訓練の一環として創った本物のリンゴとみかん。


 それぞれ綺麗にカットされていた果物を、雪兎はデザート代わりにもそもそと食べる。


 ほどよく熟れたブランド物の果実を参考にしたのか、果肉は柔すぎず固すぎずちょうど良い塩梅で、溢れ出てきた果汁は冷たくて甘く、雪兎の顔を綻ばせる。


「んふふふふふ」

『何を一人でニヤついているんですかみっともない。 これから人と会うんですからもうちょっとシャンとして下さいな』


 空になった弁当箱やクーラーボックスをドラグリヲの装甲の中へ溶かし込み、主人にさっさと準備を済ませるよう促しながら、カルマは予め記していたスケジュールに目を通す。


 だがその最中、彼女は現場から真逆の方角へふと視線を向けると、蒼い瞳を黄色く点滅させながら報告を上げた。


『レーダーに多数のアーマメントビーストの反応あり。 間もなく通常兵器の射程に収まります』

「念のため全機にマーカーだけは付けとけ。 不審な動きを見せたら処理していいぞ」


 現場にとっても急な仕事であったからと、本社が雪兎の派遣と共に行った大量の作業員の雇用。


 ただ本社が雇った相手といえ、どのような経緯で雇われたのか一切聞かされていない為、雪兎は物騒な命令を躊躇いなく出しておくと、ドラグリヲに乗り込んで相手の出方を黙って伺う。


 メインモニターの中で無限に広がる錆びた荒野。


 その一端を別の色に染め上げんが如く群れを成して現れたのは、各々が個性的に塗装された巨大なネズミ達。


 ある個体はクレーンを、またある個体はドリルをと、多種多様な重機を搭載した人造の獣の群れは、建設予定地付近で整然と動きを止めると、その様子を見ていた雪兎に向かって通信を送りつけてきた。


「聞こえるかI.H.S.社員。 こちらは事前の契約に従い派遣された者だ。 今回は脛に傷のある集団にこれだけのデカい仕事を依頼してくれて感謝する」

「あぁ、だが仕事に取りかかるより先に責任者の顔を見せてくれないか? これから互いに信頼出来る関係を構築する為にも」

「若いのに随分慎重じゃないか。 まぁ得体の知れない集団とコンタクトするんだからそれも当然だろうな。 いいだろう、これから大将がそちらに向かうから待っててくれ」


 一切遠慮のない雪兎からの要求を驚くほど素直に受け入れ、先頭に立っていた一匹のネズミ型アーマメントビーストが号令をかける。


 するとその背後に控えていた同型機の群れが一斉に割れ、そこを二回りも大きな鼠人間型アーマメントビーストが悠然と歩を進めてきた。


どこか愛嬌のある丸っこいデザインが施されつつも、見た目から開発コンセプトが見出せない謎の機体。


 錫杖型の武器らしき物や全身を飾る用途不明の派手なアンテナ群、そして本体と変わらないサイズの内容物不明の大型タンクを装備したそれは、群れの最前列に立つと共に頭を下げ、器用に人が行うそれと変わらぬ挨拶のモーションをして見せる。


 機体自体のデザインに似合わない気取った態度は道化のそれそのもの。


「何なんだあの機体は? カルマ、あれのことが分かるか?」

『いえ、残念ながら私のアーカイブどころか他国の軍のデータベースにもあの機体の情報がありません。 恐らくは世界崩壊以前極秘裏に建造されたか、生存圏外で独自に一から建造されたアーマメントビーストであると推測します。 どのような機能が搭載されているかも分かりませんので最大限の警戒を』


 廃ビルの頂きから群れのすぐそばまでドラグリヲを跳躍させ、万が一の際はいつでも殲滅出来るよう密かにカルマを機体内部に残し、黙って機体の外へ身を晒す雪兎。


 それに応じて、群れ側の代表らしき機体から一人の男が降りてくる。


 適度な緊張を抱きつつ沈黙を保ったままの雪兎の前に微笑みながら近づいてきたのは、比較的小さな背丈で、顔つきも至って素朴で、物腰を含めて全体的に柔らかい印象を見せる太った男。


 一見相手の侮りを買いそうな見た目をしているが、無駄な脂肪に見えた部分が全て筋肉であること、そして背後に整然と並んだ機体の一糸乱れぬ動きから、眼前でおだやかに笑う男が油断のならない相手であることを雪兎は悟った。


「噂に名高い首狩り兎殿直々の出迎え感謝する。 私の名はドブさらいの……」

「ちょっとやめてくれよ大将! みっともないからその名前を名乗るのは!」

「おおっと悪い悪い、長らく使ってた名前が使えなくなるとそれはそれで寂しいものだ」


 背後に控えていた部下から気安いブーイングを受け、男は楽しげにケラケラと笑い飛ばすと、薄汚れた手を差し出して改めて握手を求める。


「私の名は大黒。 少なくとも今はそう呼ばれている。 これからよろしくしてやってくれよ好青年」

「……えぇ勿論、貴方達が生存圏内の法を遵守する限りは」


 生存圏外からやってきた者としては似つかわしくない穏やかな態度で接してくる男。 その姿に雪兎は何故か得体の知れない違和感を感じつつも握手に応じる。


 口調も応答も何一つ申し分なく、率いられた部下達の動きも何も問題ない。


 さらには雪兎が本能的に察知出来る嘘や悪意の類いも一切感じられない。


 故に悪条件など何一つないはず、その筈が……。


「…………っ」

『どうしましたユーザー?』

「いや何でもない、全部僕の思い過ごしのはずだ」


 主人の精神の乱れを感知したのか、直接脳内に通信を送ってきたカルマへ障りの無い応答をする雪兎。


 全てはただの気の迷いに過ぎない。


 そう何度も自らに言い聞かせながら、雪兎は目の前にいる気さくな男に対し愛想笑いを返した。


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