「ああ哀華よ、その名に違わぬ哀しき華よ、どうか我らを許さないでおくれ。 この施設をこれからも運営していく為には、先方の望んだ通り誰かを贄として捧げる以外に手段がない。 力の無い我々が奴等のテリトリーで生き抜いて行くにはこうする他ないのだ……」
顔に薄く白粉を塗られ、お雛様のように美しく飾り立てられた幼き日の哀華の前で、痩せこけた老夫婦が頭を地面に擦り付けながら消え入るような声で詫びを入れている。
だがそれも、玄関先から絶えず響くガラの悪い男達の怒声がかき消してしまい、僅かばかりしか届かない。
「せんせい、わたしはこれからどうなるの?」
「それはお前の買い手次第だ。 それなりの常識のある奴に買われれば幸せに生きていけるかもしれんが、そんな優しいお人が子供を買うなど考えるはずがない」
「そうなんだ。 ……でも、これでみながたすけられるのならわたしはだいじょうぶだよ」
恐怖のあまり、部屋の隅っこで固まってしまった自分より年下の子供達へ気丈にも微笑みかけながら、哀華は目の前で頭を下げ続ける老夫婦へ穏やかに語りかける。
世の中の残酷さを知らない幼さ故の無知の勇であったが、それは同じく無力な立場ながらも恐怖に屈してしまった老夫婦を良心の呵責に狂わせ、涙を零させるに至った。
「すまない……、すまない……」
「いってきますせんせい、いつかまたあいましょうね」
恐らく今生の別れでだろうと幼い頭で考えながらも、哀華は老夫婦とそれぞれハグを交わすと自ら玄関の扉を開き、人買いのもとへ向かう。
扉を開いた哀華が晒されたのは、喜悦と欲情という下劣極まりない感情に満ちた賊共の視線。
その根源の一人が幼い哀華の腕を乱暴に掴み上げ、ボロい輸送車に積み込もうとした。
――刹那、下卑た笑みを浮かべたブローカーが率いていた大規模な商隊が、突如上空から降ってきた紫紺の輝きに蹂躙されて瞬時に壊滅した。
同時に、非正規なルートから払い下げられた旧式戦車や中古のアーマメントビーストが、数拍も持たぬうちに輪切りにされ、中でイキッていたパイロット達が赤土の大地の上へ乱暴に放り出される。
「馬鹿な!? 騎兵隊の巡回ルートから離れた地域だぞ! 何故俺達がぼっこぼこにされているんだ!?」
「そりゃ偶然アタシの目に留まったからだよ。 せいぜい自分らの不幸を呪うんだね」
「はっ!?」
思わぬ攻撃を受けてパニックに陥り、喚き散らしていた外道共の頭上から冷たい声が降ってくる。
原型も残らずグシャグシャに切り刻まれたアーマメントビーストの頭の上。
そこで佇んでいたのは、紫紺に輝くブレードを片手で握り、もう一方の腕で最もガタイのよい用心棒の首根っこを引っ掴んだ首領御人。
彼女は捕らえた悪党へ凄まじい殺気をぶつけると、感情の勢いそのままにクズの腹部へブレードを突き立てた。
「ぐぶ……お願いします……、見逃して……! 金なら払う! 払いますからぁ!!!」
「アタシを甘く見るなよゲス野郎。 アタシの目が黒いうちには子供の売買なんてふざけた真似はさせない。 売る側にしろ買う側にしろ、私欲で未来を刈り取ろうとするダニ野郎は三枚に卸して地獄に送ってやる!」
裂帛の怒号が轟くと同時に掴み上げられた外道が見せしめに処刑され、汚い臓物と血が宙にばらまかれると、舞い散った血飛沫の影に隠れて首領の姿が文字通り音も無く掻き消える。
「ば……化け物ぉ!!!」
このままでは殺されると、バイヤーや用心棒連中は恥も外聞もかなぐり捨てて逃げ出そうとするも叶わない。
一人、また一人とバラバラに斬り飛ばされてダルマにされた挙げ句、自分達がわざわざ用意した臓器収集車へと問答無用に投げ込まれ、移植用臓器に加工されるという皮肉な末路を遂げた。
「喜びなよ、テメェらのようなクズ野郎だって死ねば人様の役に立てるんだ」
刀にこびり付いた血糊を拭い落とし、残心を決めながら生き残りがいないことを確認する首領。
彼女は殺すべき賊が全ていなくなったことを悟ると、哀華を売り飛ばそうとした老夫婦へと刀を握ったまま歩み寄っていった。
「あぁもしや貴女様は……、しかしどうしてこんな僻地まで……」
「僻地だろうが都会だろうが関係ないね。 一人でも多くの人間を救い、一匹でも多くのケダモノの頚を刈る。それこそが、偉大なる力を授かったアタシに課せられた唯一無二の勤めなんだよ」
「そうですか、ならば次は我々の頚を! 是非我々の頚をあの子らの墓前へ!」
「……いやだね、どうしても死にたいなら自分の手で片を付けるんだな」
跪いて頭を垂れ、断罪を求めた老夫婦の姿を一瞥し、首領は音も無く速やかに鞘へ刀を収めると、眼前で引き起こされた凄まじい光景に圧倒され、腰を抜かしてしまった哀華に向かって笑いかける。
「安心しなお嬢さん、これからはお前さん達もアタシの家族の一員だ。 もうクズ共の理不尽な要求に怯える心配も無い。 アタシとその他優秀な部下達が命を張ってお前さん達を守ってやる」
さきほどまで放たれていた身体を直接押し潰すほど重い殺気の代わりに、哀華が首領から感じるのは温かな人の気配。
それが身体を包んだ瞬間、哀華の意識は回想から抜けて汚れた大地のもとへ帰ってきた。
今現在の哀華が収まっているのは、カルマの手によって急遽ドラグリヲの中に拵えられた柔らかな後部座席の中。
「……あれから何年経つのかしら」
ずっとずっと昔の話、まだ雪兎や馳夫とも出会うより前の出来事を思い起こしながら、哀華はサブモニターの中を猛烈な勢いで流れていく赤土の大地を眺め続ける。
今さらこんな事を思い出したのは雪兎から首領が身罷った事実を告げられたからか、それともかつての自分と同じく見捨てられた人々のもとへ向かう為か。
そんな取り留めも無いことを考えているうち、操縦席に座っていた雪兎がレーダーを確認して自らに言い聞かせるように頷くと、ちらちらと背後に視線を向けながら口を開いた。
「哀華さん、そろそろ目的地に着きますから起きておいてくださいね」
「分かってるわ、私だって何の用も無く一緒に来ているわけじゃないんだから」
心配げに様子を伺いながら話しかけてくる雪兎に対し、哀華は軽く微笑みながら返答すると、すぐに前を向くよう手振りで伝える。
哀華が示した先に鎮座していたのは、真白い鼠型のアーマメントビースト。
以前、大黒の王鼠よりも先に雪兎の前に姿を現したそれは、今回もメッセンジャーとして上司に先んじて二人の前に現れた。
「お久しぶりです、変わらず仲睦まじい御二方様。 つい先日は大変世話になりましたな」
「社交辞令はまた後で聞きます。 それより大黒さんはどうしたんです?」
「申し訳ありません。 本来なら大将直々にお迎えに上がるはずでしたが急遽来客が入りまして、今回は私がお出迎えした次第に御座います」
「お気になさらず。 最高責任者の仕事ってのは椅子の上で日長偉そうにふんぞり返っていることだけじゃないってのはよく知ってますから」
急な予定の変更に頭を下げて真摯に詫びるシロネズミになあなあと声をかける雪兎。
彼はドラグリヲの出力を大きく制限させると、大規模偽装スクリーンによって隠匿されていた大黒の支配エリアへと足を踏み入れる。
一見しただけでは抉れたハゲ山が大量に存在するだけの不毛地帯。
しかし光の幻覚を潜り抜けた先に広がっていたのは、世界崩壊以前に存在していた超兵器によって形成された巨大峡谷。
それもただの谷ではなく、大量のガンタワーやタレット他の自律兵器によって要塞と化した大渓谷だった。
「……凄いな、これは」
感嘆する雪兎の視線の先にある巨大な断崖のあちこちで、高々と頑健に組み上げられた生活用プラットフォームの上を多くの人々が行き来し、その死角である上空をモモンガ型無人アーマメントビーストが飛び交い、峡谷の底を人知れずドブネズミ型無人アーマメントビーストが這い回る。
大黒の乗機である王鼠が生成した無人アーマメントビースト群によって輸送面と治安面が改善し、程々に安全で貧しくない暮らしが保障されるようになった街。
試験管の中からいきなり地獄の底へ飛ばされるも、そこから這い上がった大黒が築き上げた努力の結晶。
峡谷中央区にランドマーク代わりに建設された巨大な鐘が、時折谷を思い切り吹き抜ける風によって歌声を奏でる場所。
その程々に豊かな街を背にして、シロネズミ型の兵器は得意げに一度鼻息を吹くと、改めて二人に呼びかけた。
「ようこそ“鐘楼街”へ。 我ら疎まれし命が最後に流れ着いた吹きだまりへ」
彼が自慢げに紹介を終えると共に、どこからともなく谷の中へ吹き込んできた風が大きな鐘を軽々と揺らし、来訪者を快く迎えるかの如く、カランカランと心地よい音を響かせる。
「ここが大黒さんが血と汗と涙を流して造った街か……」
アーマメントビーストの駐機スペースを示すロケーターに導かれ、雪兎はドラグリヲをそこへ降着させると、哀華の身体をしっかりと支えながら正面装甲を展開する。
哀華の体温を直に感じ取れるほどの距離感に、雪兎は鼓動が激しくなるのを感じるも、何とか表情に出さないように務めながらコックピットの外へ降り立った。
だがそれも、周囲の人々から見れば筒抜けのようで、周囲で作業を行っていた整備員達は雪兎の横を通る度に嫉妬や羨望、やたら生暖かい視線といった様々な感情を一方的にぶつけては去って行く。
もっとも、雪兎はともかく哀華にとってその程度のことなど興味に値しないようで、もっぱらその意識は違うものへと向いていた。
彼女が眺めていたのは、通常の食料製造ラインとは別口で多くの飯をせっせと炊き続ける給仕員達の姿。
この街で憩う人間を養うためにしては過剰すぎる食料の供給量に、哀華は訝しげにシロネズミの方を見る。
「あんな大量の食料を引っ張り出さなければならない事情って何なのかしら?」
「知れたこと、ひとりでも多くの人々を救うためですとも。 だからこそ貴女も一緒に呼んだのですよ木乃花嬢。 荒れ野の聖母として名高い貴女の力も今回は是非お借りしたい。 詳しくは医療ブロックの先生方が把握しているはずですのでそちらでお願いします」
「それは別に構わないけど無理に大袈裟な呼び方はするのはやめて下さいな。 私はただの非力な女。 誰かに命を張って守って貰わなければ碌に生きられない女よ」
聖母などと、自分にはあまりにも畏れ多い呼び名だと哀華は首を振って否定すると、自らに配された仕事を済ませるべく先導の職員の後を急いでついて行く。
お願いだから無理はしないでと、目を離す都度に大怪我をして帰ってくる雪兎に言葉を残して。
『相変わらず貴方に対して過保護ですね哀華さんは。 今となっては自分の方が不幸に巻き込まれる可能性は高いでしょうに』
「それはどうだろうなカルマ、少なくとも“今のお前”にだけは言われたくないと思うぞ」
『……それはどういう意味です?』
雪兎からの忠告を聞いて思わず訝しげに問い返したカルマだが、駐機スペースに併設されたメンテナンスデッキの影からのっそりと現れた機影を見て、思わず瞠目する。
整備を終えてシャッターの隙間から這い出てきたのは、多数の大量殺戮兵器を搭載したキマイラ型アーマメントビースト“マサクゥル” この機体が存在する事実は、同時にそのパイロットであるブロンドパンク乙女が付近に存在することの証明でもあった。
『げっ!』
「カルマー!!! お姉ちゃんは会いたかったぞー!!!」
カルマが露骨にイヤそうな顔をしたのも束の間、崖の一部を吹き飛ばして突如現れたミシカが、にこやかに笑いながらカルマへと向かって猛進してくる。
その様を見てカルマは即座に逃げようと画策するも、円滑な対話を求めた雪兎によって首根っこを容赦なく引っ掴まれた挙げ句そのままミシカへと引き渡された。
筆舌に尽くしがたい罵詈雑言が雪兎の横っ面を銀色の触手と一緒にひっぱたくが、雪兎はそれらを無心になって受け流しながら問う。
「ミシカさん? 何故貴女がここにいるんです? 他の皆は?」
「髭のおっさんなら前の仕事を終えた後、N.U.S.A.のお偉方からお呼ばれがあったって帰ったし、おしゃべり猿野郎は繭になったとか噂の仮面女を守ってるよ。 中身が女と分かったから下心丸出しで擦り寄りに行ったかは知らん。 そんなことより何が気に入らないんだお前は! アタシが兄貴に会いに来ることがそんなに不都合なのかよ!」
「兄貴? でも貴女はたしか……」
企業が創ったミュータントであるはずだと、雪兎は思わず真顔になって問い返そうとしたが、ミシカの背後から歩み寄ってきた人影がその言葉を制した。
「私だよ。 今に至っては肉体的縁こそ皆無だが、ソフトウェア的縁は十分にある。 なにせ彼女は私を原型とし、少しでも制御しやすいよう改良を加えられたミュータントだからな。 本来無力なコンパニオンとして創られたこの娘が、ガッチガチの戦闘モデルとして育ってしまったのは皮肉と言う他ないが」
カルマを無理矢理抱き締めながら頬ずりを繰り返すミシカの背後へゆっくりと迫り、手を離すよう宥めるながら手短に説明したのは、大黒という名が示す通り恰幅のよく愛想のよい男。
彼は伏野に押し付けられた負債の一つである膨れたおなかをミシカから反撃とばかりにタプタプと弄ばれながらも、別段気にせぬまま部下に指示を飛ばし、きびきびと出立の準備を始める。
「さて、今回君を呼び出したのは他でもない。 首領の遺産を簒奪しようと目論んだ連中の残党から無力な民草を救うために力を貸して欲しいんだ。 奴等の下から逃がして欲しいとコンタクトしてきた者達が指定した回収予定日が今日なんだが、この土壇場になって先に潜入していたエージェントとの音信が突然途絶えた。 ……何かアクシデントがあったに違いない」
ミシカがマサクゥルに飛び乗ったのに続き、大黒が愛機である王鼠のコックピットに潜り込むと、戦闘支援用のレミング型無人式アーマメントビーストが王鼠が装備するタンクの中より大量生産され、随時鐘楼街の外へ飛び出していく。
その無秩序な隊列に無感情な視線を向けながら、大黒は淡々と言葉を紡ぎ続けた。
「ハッキリ言って罠である可能性は非常に高い。 それでも助けを請われた身としては黙って見捨てる訳にもいかないのだ。 彼らは見ず知らずの私に最後の希望を託し、少なくない犠牲を払ってこちらと接触してきた。 ならばこちらもその覚悟に見合う仕事を果たすのが筋というものだろう。 しかし君も身を以て知っていると思うが、連中には良心の呵責や倫理観という最低限のストッパーがない。 故に何をしでかすか分からない。 だからこそ抑止力として君の同行を願いたいのだ。 連中と違って力と共に良心を持った君をな」
「……貴方も阿漕な人だよ大黒さん。 そんなこと言われたら断るわけにもいかないじゃないか」
大黒から有りっ丈の誠意が込められた願いを聞き届け、雪兎はミシカから受け渡されたカルマを伴って再びドラグリヲへと乗り込む。
大丈夫、今までのように途方も無く恐ろしい怪物と戦う訳でも無いと雪兎は自らを奮い立たせると、ムスッとしたままジト目で睨んでくるカルマを宥めながら愛機を飛翔させた。