「……やはり駄目だったか」
天井が穴だらけとなった倉庫の影に潜んだ王鼠の中で、大黒は至極残念そうに表情を曇らせながら天を仰いだ。
合流地点である廃墟に潜んで半日。
指定された時刻を過ぎても、本来逃げてくるはずだった民草達は一向に姿を見せず、大黒が送り込んだエージェントからの連絡も未だ無い。
「こんなことになるくらいだったなら、いっそ先に君を奴等の懐へ送り込むべきだったかもしれん」
「大黒さん、貴方がお望みなら今からでも僕が屑共の首をもぎ取りにいってきます。 これ以上連中の好き勝手に振り回されることなんてありません」
どうせまた誰かの影に逃げ隠れして下劣でみみっちいことでも考えているのだろうと、雪兎は言外に激しい怒りと憎しみを滲ませながら大黒に進言する。
件の連中の人間として破綻した思考を知ってしまった故の反応であり、大黒を内心引かせるほどの過激な発言だったが、会話中にレーダーが突然反応を示したことで二人は一旦対話を打ち切った。
「大黒さんこれは……」
「あぁ、こちらでも確認できた。 先に送り込んだエージェントの反応もな」
さっきまでそこには影も形もなかったはずだと雪兎が怪しむも、大黒は一先ずの疑問を棚上げし、行方不明になっていた部下へ急いで呼びかけた。
「よく生きて還って来てくれたな鍾馗! ここまで来ればあと少しの辛抱だぞ!」
聞きたいことは山ほどあるが、まずは労いと保護が先だと大黒はエージェントに接種された通信用ナノマシンに直接連絡を入れる。
しかしそれに対して返ってきたのは、異常に切羽詰まった男の声。
「駄目だ大将! これは罠だ! 誰一人として鐘楼街に入れるな! 問答無用で皆殺しにしろ!」
「何だと? それは一体どういうことだ!!!」
「そのままの意味だ! 俺達はもう……助から……」
あまりにも殺伐とした返答に仰天して思わず声を荒げた大黒に対し、名を呼ばれたエージェントは最期の力を尽くして言葉を紡ぐが、耳を劈くような悲鳴と血でうがいをする生々しい音がスピーカー越しに響いた瞬間に通信が途切れる。
「鍾馗! 何があった! 応答しろ!」
繋がらなくなった宛先へ往生際悪く何度も呼び出しを繰り返す大黒だが、エージェントが搭乗していたと思われる輸送機が内側から急速に膨らみ始めたことに気が付くと、大黒は思わず瞠目してコンソールに添えていた手を止めた。
刹那、輸送機の中から溢れ出した肉塊と植物細胞が輸送機本体を瞬く間に食らいつくし、その質量を栄養として新たな害獣が新生した。
最早生物かどうかも定かではない、筋肉と植物繊維が複雑に絡み合ったキメラ型害獣。
それは地上で待機していた3機のアーマメントビーストを無視してもっとも近くで繁栄している都市へ向かおうと翼を広げる。
そう、その行き先は多数の人口と物資を溜め込んだ鐘楼街に他ならない。
「馬鹿な……、仮にも人の勢力に属する者が何故人間相手に害獣を差し向けてくる!?」
「理屈も理由も知ったことか!!! 殺す気で向かってくるのなら何であれ惨たらしく殺してやる!!!」
愕然のあまりに、戦闘支援端末群への命令を忘れて立ち尽くす大黒。
すると、その隙を突いて首の一本を空へ向けたマサクゥルが殺戮メーサーを放射し、害獣と植物の混ぜ物と化した輸送機を瞬く間に炭化させて雲の中へとばらまいた。
風に煽られてばらばらになった巨大な炭の欠片の中からこぼれ落ちた数体の炭人形が、人の形を保ったまま地上へと落下し、脆くも砕け散る。
「ミシカ! お前、何故こんな早まった真似をした!?」
「馬鹿野郎! あの機体に乗せられていた人間はどうやっても助からなかっただろうが!!!」
部下が乗っていた機体を目の前で粉砕され、大黒は憤りを露わにミシカを怒鳴りつけるが、ミシカもそうするしかなかったと引かず、マサクゥルに備えられた殺戮兵器の照準をまだ変異を遂げていない輸送機に合わせ、引き金を軽く引き絞った。
空気を引き裂く音が廃墟に響くと同時に、マサクゥルの首の一つに多量のエネルギーが充填され、周囲の大気が蜃気楼のように揺らめく。
「それに兄貴だってハッキリ聞いただろう! 罠だと! 奴が何を知っていたかは知らないが、変に手ぬるい真似をして後悔するくらいならここで全機墜として憂いを断つべきだ!」
消耗品として、誰よりもシビアな世界で生きていたが故の判断の速さでそのまま撃墜せんとするミシカ。
だが、いざ熱線を放とうとした矢先、フォース・メンブレンを纏ったドラグリヲが大の字になってマサクゥルの前に立ちはだかった。
「なっ……!?」
咄嗟に射線をずらそうと、ミシカはマサクゥルに身を捩らせさせるが間に合わない。
マサクゥルの首から溢れ出した熱線はドラグリヲの肩口を直撃し、余波で射線の先にあった廃墟群をまとめて熔岩の湖に沈めるが、直撃を受けたはずのドラグリヲは無傷であるどころか、フォース・メンブレンに蓄積した熱をそのままエネルギーとして機体に還元し、却ってその機能の著しく増大させていた。
「すまないもう少しだけ待ってくれ! 奴等のやることだ、どうせ僕達を煽るためだけに何の処置も施していない人間も乗せているに決まってる! そうだろう? カルマ!」
『えぇ、ただあくまでここからでは大まかなデータしか観測することが出来ません。 人なのか、害獣なのか、外科的手段で害獣の幼生を無理矢理体内に押し込まれているのか、それともまた何か別の危険物を積載しているのか。 詳しくは実際に接触して確認するしかありません。 しかしこの輸送機の飛行ルートと速度だと、数分後には全機が鐘楼街に突っ込んで大破します。 そうなれば、どれほどの惨事が引き起こされるか分かりません』
雪兎がミシカを押し留めている間に、カルマが僅かな手掛かりから何とか解析したデータをその場にいる全員へ提示するが、カルマ自身も己が算出したデータに確実性がないことを理解しているためか、その表情は硬い。
もっとも、一人でも多くの命を救える可能性がある以上、それを告げられた雪兎に一切躊躇いは無かった。
「……僕が直接乗り込んで調べてくる。 ミシカさんは害獣しか乗せられていないと断定された機体の処分を! 大黒さんは害獣が排除された後の機体の確保と、墜落しかけた機体のフォローをお願いします!」
「はあぁ!? また面倒なことを押し付けやがって!」
「落ち着けミシカ、それ以外方法がないならやるしかないだろう。 我々は人を守るために製造されたんだ。 だったら黙って任された仕事をやり抜くぞ」
「はぁ、……分かったよデブ兄貴」
わざわざ事態を複雑化させる雪兎のやり方にミシカは心底イヤそうに眉を顰めるが、大黒のフォローを聞き入れると仕方なしにマサクゥルをガンタワーの頂きに待機させ、大人しく雪兎や大黒の指示を待つ。
「しかしそれで本当にいいのかよ兄貴、間違いなく貧乏くじ引かされるぜコイツは」
「だろうな。 だが後になって“あの時こうすれば良かった”なんて情けない後悔するくらいならやれるだけの事を尽くした方がずっと建設的だ。 なにせ今の我々には、理不尽に多少は抗えるだけの力があるのだからな」
空高く飛び上がったドラグリヲが描く不規則な炎の軌跡を眺めながら、大黒は己の手駒たるレミング型戦闘支援端末群を荒野に向かって解き放つ。
人を救うという大義を掲げた、恐れを知らぬネズミ達。
それらは天を突かんばかりに意気揚々と尻尾を立てると、空に散らばる輸送機を追って荒野一面に散っていった。