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第82話 衆愚

「止まった……のか?」


 放たれ続けていた光の奔流が完全に停止し、攻撃的なエネルギーの放出が立ち消えたことを確認すると、馳夫は半壊状態となっていたクラウドライダーを短距離転移用次元亀裂に投げ込む。


 すると、無惨に溶けた機体はブレイジングブルが展開したシールドの内側へ転送され、すぐさまパイロットの確保が始まった。


「随分馬鹿な真似をしたなロン。 奴が甘かったから良かったものの下手したら骨の一欠遺さず死んでたぞ」

「今回限りだ……、これからは何億積まれたってこんな無謀はしねぇ……」


 雪兎の無意識下の温情か、何とか生きたままの帰還を成し遂げたロンだったが、そのやけど具合は生きているのが不思議なほどに重く、すぐさま生体戦艦内部から現れた戦闘支援端末群により艦内医務室と連れて行かれて表舞台から姿を消した。


「誰だか知らんが本当に助かった。 これもアイツの普段の行いが良かったおかげってやつか……」


 シュトとジョンが形成した結界の中で、ロンが搬送されていく様を次元亀裂越しに眺めていた馳夫は、被っていたメットを脱いで冷や汗を拭いながら一人呟く。


 しかしすぐさま気持ちを切り替えて意地の悪い笑みを浮かべると、誰もいないはずの空を見上げて思念を送リ始めた。


「残念だったなクズ虫野郎、テメェの思惑違いの流れになってよ」


 目でこそ見えないが、間違いなくそこにいるであろう存在目掛けて淡々と嫌みたらしく延々と煽りの念を流し続ける馳夫。


 程なくしてそれに堪えかねたのか、今の今まで安全地帯で身を潜めていたサンドマンが小賢しくも視覚的情報と音声だけをこちらの次元に送り、負けじと囀り始めた。


 ゆっくりと漫然とした心の篭もっていない拍手を繰り返しながら。


「いやぁ薄ら寒い感動の展開とやらをどうもありがとう! 君らなら必ず彼を引き留めてくれると信じていたよ!」

「そりゃどうも、当てが外れたなら偉そうにしてないでさっさと帰って死んでくれないか。 お前がいるとせっかく綺麗になった地球の空気が汚れるだろ」

「そう言うなよ、もうちょっと遊んでくれたっていいだろ? 俺とお前の仲じゃないか」

「うるせぇ、目障りだからさっさと出来の悪い残機から地道にやり直せよ」


 まるで生存圏から出入り禁止にされた馬鹿のケツを蹴飛ばすように馳夫が塩対応に徹し、サンドマンをひたすらコケにし続ける。


 だが、馳夫の息継ぎのタイミングを見計らったところでサンドマンが罵倒に割って入ると、今度は彼が一方的に朗々と語り始めた。


 今までのふざけきった語調から、確かな知性を感じさせるものへと声色を変えて。


「まぁ何にせよ俺がお前等を見直したのは事実だ。 あんな絶望にも果敢に立ち向かって未来を勝ち取ったんだからな。 でもなぁ、それって本当に凄いことかい? だって君らはエリートじゃないか。 普通の人間ならまず動かせない高額な機動兵器の運用を一任されている時点で、普通の人間を名乗るのはちょっと無理があるよなぁ」

「……何が言いたい」


 突然態度を変えたサンドマンの出方に警戒し、馳夫は咄嗟に武装を再起動して奇襲に備える。


 一方、銃口を向けられたサンドマンは馳夫の神経質過ぎる行動には一切意を介さず、淡々と持論を語り続けた。


 その淀んだ瞳には、地面に爪を食い込ませたまま動かなくなった雪兎だったものの姿が映る。


「例えばの話だ、大衆受けのいいコミックやアニメの最終決戦だと大抵主人公を応援する声援が逆転のきっかけになるよな? 俺ぁ昔っからそれが納得いかなかったのよ。 だってよぉ、その時に限ってだけは今の今まで主人公を腫れ物扱いしてきた連中や風見鶏野郎共のマジョリティ的主張が都合良くカット編集されるわけだろ? そんなもんフェアでも何でもないよなぁ? 俺はあくまで“普通の人間様”の本音を聞きたいわけよ分かるか? お前等が命を張って護ってきたか弱き人々とやらの赤裸々な本音をなぁ」

「ほぉ? とってつけたテレパスしか持たないテメェがどうやってそんなことを……」

「そんな大層なものに頼るつもりはないねぇ。 俺が利用するのは、君ら人の子がそれの本質が何なのかも理解せずに増やし続けたグロウチウムだよ」

「何だと?」


 サンドマンが吐いた思わぬ言葉と不遜な態度に強い違和感を感じ、馳夫は思わず吐き付けていた言葉を止めて距離を取る。


 懲りずにまたしても増援か、それとも舌先三寸で紡ぎ上げられた流言なのか。


 両方の可能性を捨てきれず馳夫はトリガーを引き絞ろうとした指を一旦止めるが、それが致命的な隙となった。


「はい皆様ご静聴下さい! これがお前等が命を賭して守り抜いた善良な市民様とやらの本音ですよぉ!」


 気取りに気取ったサンドマンが放った号令に合わせ、連れである天使の怪物共から発せられたのは、一般的に広く流通するグロウチウム製ナノマシンが接種された人々の本音。


 彼ら普通の人間の赤裸々な本音が、ハックされたナノマシンを介して雪兎を含めたここにいる全員に届き始めた。


「ハハハハハハ! これは中々……うん……なんというか……えぇ……」


 濁流のように流れてくる雑多な情報は、余裕に満ち満ちていたサンドマンを興奮させ、笑わせ、呆れさせ、混乱させ、絶望させ、最終的にはその軽薄な顔を真っ青に染めるに至る。


「どうした? 仕掛け人のお前が今さら何を焦っている?」


 この展開にもつれ込むよう長い間散々小細工を仕掛けてきたはずのサンドマン自身が何故か驚愕していることに違和感を感じたのか、馳夫が思わず困惑しながら問いかける。


 しかし、自然と己の意識の中に刷り込まれてきたものが何なのかを理解すると、馳夫は表情を峻烈に険しいものに変えながら歯を噛み締めた。


 否、馳夫のみならず“現在”における世界の主要要塞都市で暮らす模範的“らしい”市民達の行動は、この場に集ったパイロット全員を瞠目させ、瞬く間に混乱の底へと叩き込むには十分過ぎるほどに野蛮だった。


「死んだ!死んだ!ビッチが死んだ!」

「売女!売女!売女が死んだ!」

「化け物に股開いてまで自分一人だけ生き残ろうとした生き汚いクソ女が、神聖なる我々が掲げた絶対正義の名の下に粉みじんになって死んだぞ!!!」


 皆が皆、命を賭けて護ってきたはずの民衆が天に拳を突き上げ、彼らが妄想する哀華を象ったものと思われる醜悪な人形を袋だたきにしながら、先人が長い時間をかけて築き上げた秩序を破壊していく。


 略奪とレイプ、殺人を公然と繰り返しながら正義を騙るその姿は、彼らが寄生虫だと唾棄する役人など比較にならないほど野蛮で、下劣で、浅ましく、醜かった。


 今回の仕込みの首謀者であるはずのサンドマンが、心の底から雪兎に同情を示す程に。


「何なんだよこの猿共……、マジで頭おかしいわ……」


 そう呟いてサンドマンは思わず頭を抱える。


 確かに、支配下にあるメディアに対して単純なメッセージの発信とレッテル張りをひたすら繰り返すよう命じ、雪兎を邪悪で忌むべき存在であることを大衆の無意識下に刷り込んで関係を破綻させ、人類自身に防衛戦力を排除させる超長期的計画を実行させたのはサンドマン自身。


 だが、計画立案の時点でサンドマンは致命的な認識違いを犯していた。


 人間はサンドマンが考えるほど利口では無く、自分を良く見せる為なら文字通り果てしなく残酷になれることを。


 首領が死に、雪兎と哀華が自ら生存圏から去り、的確に木偶共を指揮していたサンドマン自身が馳夫とのお遊びに夢中になって命令を出さなくなったことで、生存圏で生きる人々は富裕層から貧民層に至るまであっという間に情報という劇薬の自家中毒に陥った。


 最初は雪兎に対してだけのくだらないゴシップ的な中傷に過ぎなかったが、首領に恨みをもっていた小金持ちや自称知識人らが次第に増長し、元の目的も忘れて私怨と鬱憤を晴らすことだけに夢中になった結果、情報の毒牙は自然と雪兎に付き添っていた哀華にも向けられるようになり、瞬く間に雪兎と哀華に対する人間社会での評価は決定付けられる。


 私欲の為、自ら身体を売り続けた薄汚い性奴であると。


 それに加え、簒奪者共が犯したありとあらゆる重犯罪の濡れ衣を着せられた結果、二人は人類史上他に類を見ない悪辣で凶暴な人食いの娼夫/娼婦という烙印が本人の全く知らぬ間に押し付けられ、害獣以上の不倶戴天の敵であることが既成事実として認識されるようになってしまった。


 反対意見は決して許されず、論理的に反論した者達が吊るし上げられて殺される始末。


 挙げ句の果て、簒奪者達が大多数の大衆を煽り立てて敢行したのが、雪兎と哀華に送りつけた赤ん坊を生きた爆弾として利用し、大衆が陰謀論者とその信者と決めつけた者達もろとも跡形残さず爆殺すること。


 そう、全ては雪兎が命を賭けて護ろうとした人類が、自らの嗜虐心に溺れて仕掛けた茶番に過ぎなかった。


 それを証明する情報と、衆愚達の聞くに堪えない嬌声は、雪兎のズタズタにされた心に余すことなく刷り込まれ、ロンが決死の覚悟で制止させた光の龍の活動を再開させる。


 人という最も愚かで忌むべき害獣をこの次元から余さず駆除すべく、全てを等しく滅却する清らかすぎる光“ブレス”を発射する用意という、最悪の形で。


 だが、今さらそれを止める為に動こうとする者は誰一人としていない。


 シュトとジョンは揃って沈痛な面持ちをして重い沈黙を保ち、ノゾミは思わず胸の前で両手を固く握り合わせて祈り、クラウスは背もたれに身体を預けて沙汰を待ち、ミシカはふざけるなふざけるなと激昂しながらコンソールを蹴っ飛ばし、大黒は茫然自失となって力無く肩を落とす。


 そして馳夫は完全にやる気が失せたように乾いた笑みを浮かべると、頭上で慌てふためくサンドマンを嘲るように吐き捨てた。


「良かったな。 お前が散々煽った悪意のおかげで人類どころかこの星が丸々吹っ飛ぶことが確定したぞ。 もっと馬鹿みたいに喜べよ」

「ふざけるなよ! 俺だってこんなこと計算外だ! 俺はお前等猿共の社会だけが崩壊してくれればそれで良かったんだ! この星が吹っ飛ぶことなんざ望んじゃいない!」


 何もかもが計画違いだと焦りに焦り、せめて自分だけでも危機から脱しようと次元亀裂を展開しようと試みるサンドマン。


 だが門が開いた瞬間、サンドマンの空間制御能力すらも超越した枝と蔓が門の内側より飛び出し、天使の身体を引き裂いて、クズ野郎の本体である紙魚のような姿をした虫をいとも簡単に引っ張り出した。


「ぐっ……畜生! これも全部テメェら人間が下劣だったせいだ! 一匹残らず地獄に落ちろ!!!」

「あぁ、先に地獄で待っていてやるよ。 そん時は一緒に河原で石でも積もうか」


 ありがちな捨て台詞を吐きながら連れ去られていくサンドマンを、馳夫はせめてもの餞別とばかりに温かく手を振って見送ってやる。


 そうして荒野に静寂が戻ると、害獣の血肉を宿す者同士、馳夫とノゾミがテレパスによって思考を繋ぎ合い、隠す必要のない胸の内まで曝け出して語り合い始めた。


 そこにはもう最低限の命だけでも未来に繋ぎ止めるというモチベーションはなく、ただ死ぬまでの暇つぶしに興じるかの如く馳夫が馴れ馴れしく語り、ノゾミは淡々とその言葉を聞いてやっている。


「終わりだな、最早俺達にはどうすることも出来ない」

「貴方はそれで良いの? 星海魔様が人に憧れ求めたのは、いかなる苦境にも折れない不屈の意思だったはず。 彼に失望されたら貴方だって……」

「ばぁか良いわけあるかよ、俺だって死にたくないから諦めたくないさ。 ……だが今さらアイツに何ていってやればいい? 木乃花の……あの子の死は仕方がなかったとでも言えばいいのか? 俺にはそんな残酷なことは口が裂けても言えねぇよ」


 派手に抗ったところで、結局アイツの為に何もしてやれなかったと自嘲する馳夫。


 今、彼の視界のほとんどを占めるのは、極彩色の曼荼羅を思わせる複雑怪奇な紋様。


 雪兎が自らの意思で発生させた破滅の光から自然と溢れ出た色彩の餞。


「美しいじゃないか、死ぬ前に見る光景としては贅沢過ぎるな」


 閃光と轟音に聴覚と視覚を塞がれ、外界との繋がりが完全に断たれながらも馳夫は一切怯えることなくただ前を見据え続ける。


 何者も生きていけない清らかすぎる光の中で、人間に対する憎悪の咆哮を上げる友の姿を。


「何もしてやれず、本当にすまなかった」


 最早届くことなどない謝罪の言葉。


 それを口にした瞬間、一際強い光が視界を覆い尽くしたかと思うと、程なく温かな闇が身体を包み込んだのを馳夫は自覚し、無限に広がる黒い平野の中へ意識を投げ出した。


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