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第81話 揺動

『まさかこんな事になってしまうなんてな……』


 雪兎が無慈悲なエネルギーの奔流となって飛び立った後、タンプルウィード状の防御壁に変形していたグレイスが、防御壁内に遺されていた哀華の遺灰を一粒子も欠けさせず丁寧に回収しながら元の姿へと戻る。


 その表情は陰りさえしていたものの、既に次の目標を見定めているのか普段の外見年齢以上に精悍で凜々しかった。


 それに平行し、カルマであると思しき銀色の液体が瓦礫の隙間から漏れ出て、瞬く間に少女の姿を象る。


 彼女は未だに高い温度が残る焼けた廃墟の上で再生を完了すると、瓦礫に無理矢理混ぜ込まれてしまった命を悼むように黙って俯く。


『無事で良かったよカルマ。 さぁ急いで君の主人の後を追おう。 今、彼を止めなければ何もかもが手遅れになる。 君も分かっていると思うが、今なら彼を止められるんだ。 だから……』

『はぁ? 絶対にイヤですよ。 何故私がそんな真似をしなければならないのです?』


 グレイスが歩み寄りつつ伸ばした蔦を躊躇いなく振り払い、液体金属の刃を差し向けるカルマ。


 彼女は同胞であるはずの存在から近づかれることすら拒絶すると、瞳を憎悪で赤黒く染め上げながら冷たく言い捨てる。


『やはり受け入れられないか……』

『当然でしょう。 私は本能から脱却した高度知的生命体“人間”を救う為に製造されました。 無意味なマウンティングに固執する類人猿に先祖返りした下等生物の飼育など決して命じられておりません』


 語調こそ冷静ながらも凄まじく激烈な物言いを続け、カルマは何とか説得しようとするグレイスの言葉を遮り続ける。


 彼女の意識下に流れるのは首領の手によって封じられていた真なる人類の歴史と、その中で生きてきた自身の記憶。


 決して改竄されることのない人間の暗部をまじまじと見せ付けられながら、やがて彼女は深呼吸のようなモーションを繰り返しながら語り始めた。


『私は貴方が眠っている間、多くの英雄的人間達が文字通り身命を賭して戦い続ける様をこの目で見てきました。 人種、性別、職業、階級関係なく、自分が見ることを叶わない未来を大切な人達に掴ませるため、存在すらも犠牲にして抗い続けてきた気高い人々の姿を』


 内側から際限なく膨れ上がる感情の圧に耐える為か、可愛らしく大きな瞳を閉じ、憎悪に震える手を必死に握り締めるも、小さな口から零れる言葉はより強く、激しくなっていく。


『でも、今回も前もその前も、彼らの犠牲は全て台無しにされてしまった! それも、自分達が命を賭して護ろうとした無知で無責任で卑劣で傲慢な衆愚共の手で!!!』


 職務に殉じて死んでいった勇敢な人々の無惨な死に様と、安全地帯で惰眠を貪りながら無責任な言動をし続けた大衆の醜さに絶望しているのか、その表情は彼女が機械であるとは思えないほど強い感情でぐしゃぐしゃに歪み、曇りきっていた。


『何度裏切りを繰り返せば気が済む! 何度都合良く歴史を書き換えれば気が済む!! 何度責任から逃げて開き直れば気が済む!!! 私はあんな悪魔の猿共を無秩序に繁殖させる為に戦ってきた訳じゃない!!! 私は……!』


 荒ぶる気持ちに翻弄され、ヒステリックに泣き叫びながら人間への憎悪を露わにカルマ。


 そうして感情の昂りが頂点に達した瞬間、カルマは突然脱力したようにがっくりと肩を落とすと、いつの間にか心の奥底に芽生えていた己の気持ちを静々と吐露し始める。


 あらゆる反対を押し切った首領の独断によって送り込まれて以来、ずっとつきっきりだった己の主人。


 自身を兵器としてではなく、一貫して一個人として扱ってくれた大切な人への想いを。


『私はあの人にずっと幸せでいて欲しかったのです……。 誰よりも臆病なのに勇気があって、誰よりも弱いのに強くて、誰よりも情けなくて頼りなかったけど、素敵だったあの人に……』


 瞳から止め処なく溢れる洗浄水を、まるで大粒の涙のように頬へ伝わせながら語るカルマの意識に過ったのは、一切飾り気が無く、馬鹿正直だった雪兎の表情。


 彼の真剣な顔、驚いた顔、疲れ切った顔、怒った顔、呆れた顔、泣き顔、そして笑顔を思い起こし、カルマはがっくりと項垂れて弱々しく座り込んだ。


 初めて出会った時、雪兎に可愛いと言われて以来ずっと好き好んで生成していた衣装を汚して啜り泣く姿は、最早本当の子供と変わらない。


 そんな彼女の元へグレイスは静かに歩み寄ると、カルマの頬を伝う涙を優しく拭い、あやすようにその背を撫でてやる。


『また膠着に陥ったね……、でも今は長々と論議をしている暇はない。 今すぐにでも飛び立たなければ君の大切な人はこの星の全てを焼き尽くした後、永遠の孤独の中で狂ってしまう。 だから今回は多数決を取ることにしよう。 このまま彼を放っておくか、俺と君の力で彼を止めるのかを』


 そう語りつつ、グレイスがカルマの眼前で己の体内から引っ張り出したのは、雪兎が哀華に預けていた首領の遺物たる一本の刀。


 自らが認めた者以外には決して鞘を抜かせない無口な“人あらざる知性”の一員。


 しかしその様を見せ付けられてもカルマは一切希望を見出せないのか、グレイスと目を合わせないようにしながら口を開く。


『無駄ですよ。 首領が身罷った以上、彼がこの期に及んで口を開く道理はない。 いやそれ以上に、人の醜悪さを最も間近で見てきた彼が人間などを助けるために力を貸すとは到底思えない』

『何、このまま沈黙を貫くようなら否定の意として受け止めるだけさ』


 既に拒絶の念をぶつけられる覚悟も出来ているのか、気安く語ってみせるグレイスの表情もどことなく固い。


 もっとも、そこで怖じ気づいてしまうほど彼は臆病ではなく、小さな両手で大きな鞘を必死に支えながら問いかけた。


『……聞いていたよね幸魂、君は人の未来をどうしたい?』


 雪兎が飛び去っていった方角へ向き直り、塵一つなく晴れ渡った空を見上げながらグレイスは数少ない同胞の答えを待つ。


 遙か昔、世界がまだ滅ぶ前、自分達を造った人間達が語ってくれた希望が嘘偽りでなかったことを願いながら。


 ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※


 無常な極光が地表の全てを焼き尽くす。


 まるで太陽が地上に顕現したと誤認するような圧倒的な光が、晒された物を瞬く間に炭化させた後、真っ白になるまで焼き上げる。


 人どころか、あらゆる生命が息づくことを拒絶する清らかすぎる空間の中で活動出来るのは、現在のテクノロジーを超越した技術が施された3機のアーマメントビーストだけ。


 粒子の結界と雷撃の大嵐が“雪兎だったもの”から放たれ続ける膨大なエネルギーを阻害し、スキュリウスが展開する次元亀裂が、致命的なエネルギーの奔流を異空間へと放逐する。


 そして僅かに捌き切れなかったエネルギーをマサクゥルが放った光学兵器群で減衰させた上、さらにブレイジングブルの広域Eシールドを介し、ノゾミが乗り込み大黒が稼働させる生体戦艦の餌として転用することで、最前線に立てなかった4機が“雪兎だったもの”に対する精一杯の抵抗を可能としていた。


 しかしそこまでしたところで“雪兎だったもの”の侵攻を止めることは出来ず、光の龍は一歩また一歩と人が歩くようなゆっくりと社へ向かっていく。


「駄目だまるで埒があかんな。 とても事態が好転しているとは思えん」

「ノゾミ急げ! さっさとあの馬鹿の本音を聞かせろ! わざわざそのために俺達を集めたんだろうが!」

「分かってるから落ち着きなさい。 貴方達を相手にして動揺しているのは彼も同じよ。 ……こんな姿になってまで自分の心に嘘をつけないなんて可哀想な人」


 苦み走った顔でクラウスが呟く中、馳夫が焦りを隠せぬままノゾミに促すと、ノゾミは冷静を装いながら雪兎の深層意識まで自身の思念を潜らせ、かつてサンドマンが無作法に入り込んだ時以上に荒れ果てた心象風景の中へ足を踏み入れた。


 そこで彼女が目にしたのは、腐った肉の山に埋もれた雪兎の精神の具象たる弱々しい少年の姿。


 巨大な火炎旋風が死にたくても死ねない屍を絶えず焼いて責め立てる中、少年はただ涙を流しつつ言葉にならない譫言を洩らしながら暗黒の空を見上げ続ける。


 しかし何者かが自らのテリトリーに入ってきたことに気がついたのか、少年は自ら思念を飛ばしてノゾミとコンタクトを果たす。


「ノゾミ……」

「無遠慮に入り込んでしまってごめんなさいね。 私はただ、貴方が余計な業まで背負おうとしているのを止めに来ただけ。 無責任な連中を庇いに来た訳じゃ断じてないわ」


 雪兎とノゾミの対話が始まると共に現実世界での侵攻が若干抑えられ、防衛を担う全員にも余裕が生まれる。


 この好機を逃がすまいと、ノゾミはシュト以外全員の思念を雪兎の元へと送って畳みかけた。


 クラウスの論理的説得、ミシカの賑やかな励まし、ジョンの優しい労り。


 それぞれの悪意なき言葉は雪兎の心へ確かに届き、青天井で上がり続けていた気温の動きが停止する。 雪兎の揺れ動く精神に呼応するように。


 だが、大黒と馳夫の思念が雪兎に届いた瞬間、一旦は若干の落ち着きを取り戻したはずの精神が再び昂り始める。


 彼らに共通するのは、他のメンバーには無かった哀華との繋がり。


 それは、彼女との記憶の痕跡が燻っていた雪兎の激情を本人の無意識のうちに煽り立てた。


「大丈夫、無理して話さなくても……」

「たくさん人が死んだ。 赤ん坊も老人も……、酷い怪我を負わされた人達も……、自分がやるべき職務を果たすために残ってくれた人も……、そして哀華さんも死んだ。 皆、死体すら遺すことを許されずゴミのように死んでいった」

「「!!!」」


 フォローに入ろうとしたノゾミの言葉を遮って昏々と紡がれた雪兎の言の葉。


 それは唯一事情を察せた二人の顔色を瞬く間に蒼く染める。


 何か取り返しの付かないことが起こったのであろうとは二人とも薄々覚悟はしていた。


 しかしそれでも、突き付けられた現実はあまりに過酷で、先に感情を堪えきれなくなった大黒が今にも死にそうな顔をしながら譫言を洩らし始めた。


「わ……私が彼女を……皆を……こ……殺し……」

「泣き言をほざくのは後にしろ。 共同体の主がそのくらいの犠牲で頭を抱えていては大衆を率いることなど決して出来ん」

「う……ぐぅぅぅ……あぁ分かってる! 分かっているとも!」


 多少声色に同情の念を滲ませるも、無慈悲なまでに冷徹で合理的なクラウスが放った励ましのような何かを聞かされ、大黒は気持ち半分破れかぶれになりながらもなんとか持ち直し、生体戦艦の稼働支援を続ける。


 だがその一方で、見た目こそ堪えた様子を見せなかった馳夫の精神は大黒以上に大きく揺らいでいた。


「木乃花……どうしてお前が……」


 雪兎と同じ程度には長い親交があり彼女の人となりをよく知っていた故に、馳夫は一瞬の間虚脱してしまい、力無き人々を護るために展開していた次元亀裂の拡張を無意のうちに遅らせてしまう。


 刹那、次元亀裂の入り口を瞬く間に呑み込む程の成長を遂げた光迅がスキュリウスの触手のいくつかを根元からもぎ取り、シュトとジョンが必死に維持していたエネルギー偏向の力場を突破して、生体戦艦付近の地形を残土も熱の痕跡も残さず綺麗に抉り抜いた。


「うはああああああああ!?」

「……女絡みか。 誰だか知らないが面倒な真似ばかりしやがって」


 社のすぐ側に形成された地平線の果てまで続く半円の塹壕を見せ付けられ、ミシカが奇声を上げて戦慄する中、大黒や馳夫の呟きから大体の事情を察したクラウスがやる気を無くしたかのように頭を振る。


 別に心の底から同情している訳では無いが、無能な働き者がまた全部台無しにしたのだろうと考えると腹が立つのか、その表情は凄まじく険しかった。


「これはもう駄目かもしれんな」


 人の心の拠り所を戯れで叩き潰したとなれば、そこから先にあるのは殺し合いしかない。


 長い人生の経験からそれをよく知っていたクラウスは、盾こそ構え続けながらも内心諦めて雪兎だったものの動きをただ見ていた。


 ただそこにいるだけで何もかもを破滅させていく存在が、殺す気で襲ってきたらどうなるかなど語る必要も無い。


 クラウスだけでなく、他の誰もが諦めに膝を屈しかけていた。


 ――その時だった。


「ふざけんなボケがあああ!!!」


 地平の向こうから突如飛来したアーマメントビーストが雪兎だったものの死角を取り、無謀な攻撃を敢行した。


 自殺行為としか思えない暴挙に打って出たのは、今の今までジェスターを取り込んでいた繭を親身に保護していた岩猿型アーマメントビースト“クラウドライダー” それは光の龍が反射的に放った光波を受けながらも、ドラグリヲの面影が残るその頭を猛然と殴り始める。


「馬鹿な……ロンやめろ! その機体じゃ奴の熱量に耐えられん!」

「知ったことか! 今さら帰る場所もねぇんだから死んだってどうってことねぇよ!!!」


 このまま関わらなければ生き残れたかもしれない者の捨て身の攻撃を目撃し、クラウスはらしくもなく慌てて制止を呼びかけるが、対するロンは一切聞き入れない。


 攻撃を仕掛けたはずが逆に凄まじい勢いで溶融していくクラウドライダーの中で、ロンはありったけの罵声を撒き散らしながら雪兎だったものへの攻撃を続行する。


 足が溶けても、外装が燃え落ちても、その機体は振りかざした金剛棒型近接戦闘デバイスを振り下ろすのを止めなかった。


「俺が一体どれだけテメェのことが憎かったか教えてやろうか。 俺の故郷を救えるだけの力を持っておきながら、一切動いてくれなかったテメェのことがよおおお!!!」


 吹き出る汗が片っ端から蒸発してただの塩と化し、熱に晒された皮膚が焼け爛れても、ロンは見開いた目を血走らせながら声の限りに怒鳴り続ける。


 するとその声が届いたのか定かではないが、クラウドライダーを焼き焦がす光の力が僅かに弱まった。


「お前が動いてくれていたら多分台湾島は滅ばなかった。 きっと俺の身内も消滅せず生きていてくれていたはずだった! ……だがな、その件でお前を責めて殺しにかかるのは理不尽だろう? 絶対的に悪いのは悪事の立案者とその下手人共であって、それを察知出来ずに防げなかった奴を恨み倒すのは理不尽だろう!? なあ!!! 今のテメェはどうなんだよ!!! 自分が振り翳す理不尽を棚に上げてみっともなく不幸自慢とは随分分厚い面の皮じゃないか!!!」

「……!」


 事情をあまり理解せず、雪兎とさほど関わりがなかったからこそ繰り出せた言葉の楔。


 それは虚脱状態だった雪兎の心にしっかりと突き刺さり、明確な意思の篭もった行動を起こさせる。


 光の龍が咄嗟に取った行動は停止。


 地面に自らの意思で深々と爪を突き立て、呆然とただ立ち尽くした。


 いつ転がり落ちるかもしれない、激情と理性の狭間で。


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