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第93話 凱歌

「数ばかりを……、一丁前に揃えやがって……」


 そう雪兎が忌々しく呟く間にも殺戮の嵐は絶えず吹き荒れ、立ち塞がる神話級害獣共が凍り付きながら弾け飛び、燃え上がりながら捻じ斬られていく。


 世界樹の侵蝕によって、この地球上の何処よりも頑丈な地ベタとなった南極大陸で行われる戦闘。


 それはドラグリヲの圧倒的な暴力を以てしても、易々とは終わらせることが出来なかった。


 今まで遭遇した雑魚とは比較することすら烏滸がましい極めて強力な膨大な数の個体が、各々の能力を把握し、綿密に連携を取り合いながら、自らの死を恐れず向かってくる。


 まるで強く統制された練度の極めて高い軍隊のように。


 ドラグリヲが振るう灼熱と零下の結界を、害獣共はいくつもの死骸を築き上げて通過し、何度も肉弾攻撃を敢行してくる。


 単なる近接戦闘ならば一切問題ないはずだが、概念操作すら容易く可能な進化を遂げた文字通り神話的能力を持った害獣共の攻撃は、防御という行動自体を事実上形骸化させ、小さくながらも確実にドラグリヲへダメージを蓄積させていく。


「皆の力を貰ってようやくここまでの力を得られたというのに、こんな所で足止めを食らうのか!」

『贅沢を言わないで下さい。 ここまで成長したドラグリヲだからこそ、存在自体が異常な怪物共を殺すことも、それらがもたらす破滅的な攻撃に耐えることも出来るのです』

『焦ったら負けだよ兄ちゃん、一歩でも確実に行くしかないんだ。 他に近道なんてどこにもないんだから』

「簡単に……言いやがる……!」


 捨て身の攻撃を仕掛けてくる怪物達に、芋貝の害獣擬きから学習した致死劇毒を仕込んだ斬撃を叩き込んで念入りに再起不能へ陥れながら、ドラグリヲは強烈な遠隔攻撃を捌きつつゆっくりと進んでいく。


 たった数キロの距離を休む暇も撤退する隙も与えられず、何時間も、何日もかけて。


「殺す……奴を……殺す……! 馬鹿共を……哀華さんにけしかけたあのクズ野郎を!!!」


 確実に溜まっていく疲労を、幸せだった日々の追憶とサンドマンへの無限の殺意で誤魔化しながら雪兎は牙を噛み締める。


 その形相は本来の雪兎の顔付きを微塵も感じさせないほど憎悪で険しく歪みきり、血走り見開かれた瞳は狂気的な決意に満ちていた。


 今に至るまで誰かの影に隠れて甘い汁を吸い続けてきた犬畜生を表舞台に引っ張り出し、惨たらしく殺してやるまで膝をつくことは許されないと。


 しかしいくら精神が健在であろうと付随する肉体が完全にそうであるとは限らない。


 たとえそれが人間を超越した存在であっても。


「グッ……!?」


 寝食を忘れた終わりの見えない殺戮の最中で、雪兎は再び身体の中から膨れ上がるような痛みを感じ取り、何とか堪えようと思わず身体を丸める。


 しかし今回の痛みは雪兎であっても完全に耐え忍ぶことが出来ず、強い咳と共に吐き出された鮮血がメインモニターを赤く染めた。


『ユーザー!?』

「大丈夫だ大したことじゃない。 このまま先に進むぞ」

『でも……』

「聞こえなかったのか! 先に進むぞ!!!」


 ここに来てようやく主の異変に気付いたカルマが咄嗟に撤退を進言しようとするも、雪兎の視線がいまさら前以外に向くことはない。


 逃げ帰る場所もなく、残された時間が少ないことも、雪兎自身が誰より分かっていた故に。


 ドラグリヲの出力が異常な上昇を始めるのと反比例して、雪兎の体調は急速に悪くなっていく。


 まるで愛機に命を吸われていくかのように。 実際に起こっている事象自体は逆であるのだが。


『どうしたんだい? この程度なのかい? 人間の執念って奴はこんなにもヌルいものだったのかい?』

「馬鹿言え、こんなつまらないところで終われるか!!!」


 雪兎の身を案じるが故に敢えて挑発を繰り返し、莫大なエネルギーをドラグリヲに押し付けて逃がそうとグレイスは画策するが気休めにすらならない。


 陰陽の龍が発する破滅的な光迅は、何時しか躍り掛かってくる神話級害獣すら容易く蒸発させるほどの光量を宿すに至っていた。


 雪兎の制御を大きく逸脱して。


 勿論、その異変を目聡いサンドマンが見逃すはずも無く、新たな嫌がらせとして一部の神話級害獣を明後日の方向へ向かわせる。


『何です? 奴等は一体何をするつもりなんです?』

「……」


 何故そんな真似をするのか相手の出方が理解できず混乱するカルマと異なり、雪兎はサンドマンの狙いに気付く。


 その瞬間、雪兎はほぼ無意識に牙を噛み締めると、敢えて範囲を絞って展開していた灼熱と零下の結界を無理矢理急速拡大させ、逃げ出した神話級害獣達の進軍を阻んだ。


 無論、負荷を強めた影響は即座に雪兎の身体を蝕んで激痛をもたらし、その影響でドラグリヲの動きが大きく鈍った。


 今まで難無く防いでいた攻撃をまともに食らい、侵攻を完全に止めさせるほどに。


『な……どうして……』

「さあな、僕だって分からんさ」


 自身の心の根底に横たわる甘さ。


 それが新たな危機を呼んだことを何となく察しながらも、雪兎は改めて強く拳を握り直す。


 自らが招いた結果であるのなら、清算するのも全て自分であると一抹の覚悟を決めた。


 ――その時だった。


 後方から爆音が響いたと雪兎が認識した瞬間、ドラグリヲの前方に展開していた神話級害獣群が超極太の光迅に呑み込まれ、全身を原型を留めぬほどに捻り上げられた挙げ句爆発し、塵に還って逝った。


「何だ! どこからの攻撃だ!?」

『斥力螺旋拡散砲!? まさかそんなはずが……』

『全く、人って奴は今も昔も度しがたい馬鹿揃いだ』


 状況が分からず困惑する雪兎と驚愕するカルマの横で、グレイスは思わず苦笑すると鯨の歌声のような旋律が響き始めた空を見上げる。


 彼の視線の先にあったのは、いつの間にか展開していた巨大な次元亀裂から姿を現したシャチ型生体戦艦。


 優雅に空を泳ぐように飛ぶそれは、凱歌のように響き渡る次元ソナーに捉えられた害獣共に照準を合わせると問答無用に超兵器による砲撃を開始した。


 降り注ぐ重粒子火線と凝縮質量弾の豪雨が主砲を喰らって体勢を立て直せずにいる怪物の軍勢を目一杯に打ち据え、跡形残さず粉砕し、道を切り開く。


「馬鹿な、あの艦は確か星海魔の……」

「対世界樹最終特別攻撃艦“ゆきかぜ”それがこの舟の正しい名前。 すべては世界樹と相対する日のため、先人達が星海魔様に託した旧世界最後の遺産」

「よぉ英雄気取りの自惚れ野郎。 まだ息が合ってちょっとは安心したぜ」

「馳夫……ノゾミ……!?」


 思わぬ援護に呆然とするも束の間、激痛のあまりコックピット内でへばっていた雪兎の耳に聞き慣れていた声が次々と届いてくる。


「どうして……」

『人は馬鹿で間抜けで愚かだが決して救いようのない訳では無い。 お前さんが一番よく聞かされてきた言葉のはずだ』

『それに私達だけではありません。 貴方が命を賭して救ってきた世界中の無数の命が、今度は貴方の背中を押してくれる』

「ジョンさん……、シュト……」


 一時的に敵のマークから外され、思わず膝をついたドラグリヲをカバーするように疾駆していく迅雷の鷲獅子と砂塵の猫神。


 それら二体の半機半神は協力して大量の神話級害獣を雷撃と流砂の結界の中へと閉じ込めると、瞬く間に全身の血肉を沸騰させて爆散させた。


「各員に通達、現時刻を以て本艦は神話級害獣共との交戦に入る。 各機発進後、世界樹に突っ込むドラグリヲの露払いに当たれ。 一度でも奴らの走狗となった者はその勇気と命を以て汚名を返上せよ」

「大丈夫だ! 出せる限りの弾除けを一緒に発進させる! だからなるべく死なないでくれよ!」

「まっ、アタシはそんなもんがなくても死にはしないがね」

「クラウスさん……、大黒さん……、ミシカさん……」


 臨時艦長としてブリッジに座るクラウスがノゾミの予知を作戦に組み込みながら指示を出し、艦の運用補佐と味方のサポートを任された大黒が足りない人員を戦闘支援端末群を使って補いながら檄を飛ばし、格納庫から一足先に顔を出したマサクゥルの中で、ミシカは朗らかに笑いながらいつものように火線を振り回す。


 直後、王鼠がばらまいた無人戦闘端末群を囮にして、世界中から掻き集められた陸戦アーマメントビーストとレビテイションタンクとパワードスーツを纏った兵隊達が南極大陸へ降り立ち、遅れて次元亀裂から飛び出した空戦アーマメントビーストとオービタルリフターが編隊を組んで空高く飛び立つと、彼らは危険を顧みず神話級害獣との戦闘を開始した。


 通常の害獣とは比較にならない相手であることを知りながら。


「馬鹿野郎何をやってるんだ! 放っておけば勝手に全部終わっていたんだぞ!? 何故こんな真似をする!!!」

「何故ってそりゃ、ここには黙って甘い汁を啜っていることも出来ない世渡り下手と、弾除けになってしかるべきゴミ野郎しかいないからさ。 厚顔無恥の無責任な連中に、本当の綺麗事ってやつを自ら実践して貰う日が来て俺はとても嬉しいよ」

「僕はそんなどうでもいいことを聞きたい訳じゃないんだよ! 何でここに来た! お前だって死ぬかもしれないんだぞ!」


 完全に見限ったと思っていた人間達相手に雪兎はわざわざ必死になって声を張り上げるが、今さら歩みを止める者はおらず、その言葉を耳にした馳夫が勝手に皆を代表して戯けるように雪兎へ返す。


「そりゃ俺だって死ぬのはおっかないさ。でもな、時に割りに合わないことを平気でやるのが人間らしさってやつだろ? たった一人で、これだけの数の神話級害獣と砂野郎と差し違えようとしたお前のようにな」

「……この大馬鹿野郎が!」

「お褒め戴いて大変光栄至極で御座いますな。 まぁ俺の本当の仕事はこっからなんだがな!」


 続々と開かれていく戦端の中で、害獣と共に木っ端微塵になっていく悪党共の死に様を目の当たりにして雪兎は思わず叫ぶが、馳夫は底意地の悪い笑みを零して気にする必要がないことを強調すると、自らはゆきかぜの船首に愛機を走らせ、勢いそのままに空を見上げる。

 その瞬間、何も無い空の中から這い出るように、天使の意匠を持った巨大な肉塊達が成層圏より上の空を埋め尽さんばかりに現れる。


 地球どころかさらに巨大な星すら容易く砕ける力は、地表に現れただけで周辺に大きな影響を及ぼし、害獣も人類側の兵器も関係なく制御不能に陥らせ問答無用に撃墜していった。


「くっ、あんなものまで……」

「あーあー馬鹿なことを、こんな小さい戦場でそんなもん大人げなく引っ張り出すなよな。 子供の喧嘩に爆撃機を引っ張り出すようなもんだ。 ……まぁ、そのおかげでこちらも大義名分は成った! みっともないインチキの代償は自分らの命でキッチリ払って貰うぜ!」


 覚悟を決めて突っ込もうとする雪兎を身振りで制止する馳夫。


 絶体絶命であるはずがおちゃらけた態度を一向に崩さない大胆不敵な男は、化け物共の後ろで縮み上がっているサンドマンを嘲笑うかのように思い切り哄笑すると、付近に展開した次元亀裂から巨大な戦旗を引っ張り出し、スキュリウスに全力で振り翳させた。


 エネルギーで形作られたその旗は、ゆきかぜよりも遙かに長く棚引き、雄々しく空高く昇っていく。


 まるで生きているかのように蠢くそれは、無数の円を描いて瞬く間に大量の次元亀裂を形成すると、この世の理から外れた兵器を呼び込む準備を完了させた。


 敵方も馳夫が何をやろうとしているか勘付いたのか急いで攻勢へと出るが間に合わない。


「星海魔の名代たる九頭馳夫が命じる。 この星に息づく全ての命の仇を叩き潰せ! 幾多の星々と世界線を渡る666の箱舟よ!」


 馳夫の気取った言の葉が天に届くと同時、肉塊達から放たれた無数の光迅はあえなく虚無へと消え、代わりに無数の生体戦艦が次元亀裂を通って現れる。


 その最前列には、自らを縫い付けていた巨大なグロウチウムの針を手に携えた星海魔がおり、彼は己の部下たる生体戦艦群に号令をかけると、自らも勇んで肉塊達へ躍り掛かっていった。


「まさか、仮にも害獣である彼までがどうして!?」

「俺達の戦いには手を貸さないが、馬鹿が不公平な真似をしたらすぐに呼べって言ってくれたのさ。 そりゃそうさ、戦いって奴は常にフェアじゃなくっちゃなぁ」


 あまりに都合の良すぎる展開に現実感を得られず呆然とする雪兎だが、身体の底から生み出される鈍痛が皮肉にもそれが現実であると知らしめる。


「僕は……皆を殺そうと……」

「今さら変な感傷に浸る必要はないわ。 それに今は少しでも時間が惜しいでしょう?」


 今頃になって胸の底から湧き出してきた後悔に雪兎が苦しむも束の間、馳夫の通信越しに話を聞いていたノゾミが横から新たに口を出してきた。


 いつ命を奪われてもおかしくない状況下にも関わらず、ノゾミの声色は正しいことをやっているという自信に満ちていてとても明るい。


「貴方の背中は私達が護る。 過剰な心配はいらないわ」

「俺達がやるべきことはきちんとやりきってやる。 だからな、お前も自分のやるべきことを済ませてこい」


 馳夫とノゾミが穏やかに語る間にも、害獣共が形成していた防御網に幾重にも綻びが生まれていく。


 完全に道を開いた訳では無いものの、それはドラグリヲが風穴を開けるには十分すぎるほどのダメージだった。


 突っ込むなら今しかない。


 カルマとグレイスに目配せをした後、雪兎は深く頷くと膝を付かせていたドラグリヲを再び飛翔させた。


「ああ分かったよ。 僕は、僕が為すべき事を果たしてくる!」


 ゆきかぜとスキュリウスが放出した暴力的なまでの火線が進行方向で群がる害獣共を焼き払ったのと同時に、ドラグリヲは全ての火力を全面に集中させると、敵陣の奧へ奧へと一心不乱に突っ込んでいった。


 これ以上進ませまいと対する害獣共も急いで迎撃態勢を取るが、横合いから飛んでくる超兵器の火力がそれを阻む。


 誰にも邪魔をされることなく、何も気後れすることなく、殺して、殺して、殺し続けて、最後に身を挺して躍り掛かってきた超大型神話級害獣を難無く斬り飛ばすと、雪兎は自分が防衛ラインの内側にいることにふと気が付いた。


『やった! 遂にやりましたよユーザー!』

『後は、世界樹に貼り付いたあの馬鹿を駆除するだけだね』


 誰も居なくなった平原を、巨大な樹木が聳え立つ方角へひたすら疾駆するドラグリヲの中で、人在らざる二つの意志が柄にもなく歓声を上げる。


 ようやく旧時代から続く因縁に決着を付けられると。


 しかし、雪兎の返事はとても冷淡だった。


「……いや、まだだ」


 痛みを押してエネルギーを過剰に産出させ、機体の破損した箇所の再生を完了させると、雪兎はドラグリヲを停止させる。


 その視線の先にいたのは、世界樹の血統たる三位最後の一体。


 雄々しく翼をはためかせる黄金の天使が一人、周囲に誰も侍らせることなく、勇気ある者の到着を静かに待っていた。



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