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第94話 決斗

 黄金と陰陽の流星が、荒涼とした大地の上で激しく衝突し交錯する。


 蝕甚天の隙一つ無い体捌きから放たれた目にも留まらぬ蹴りがドラグリヲの装甲を打ち砕き、対するドラグリヲが我武者羅に振り回した爪が蝕甚天の鎧たる黄金の生体金属を引き剥がしていく。


 しかし双方とも瞬く間に再生してしまい、決定打どころか牽制にすらならない。


 互いに深く踏み込むことが出来ず膠着状態に陥る中、雪兎はドラグリヲに迎撃の構えを取らせつつも自らは大きく声を張り上げる。


「何故今さら僕たちの前に立ち塞がる? アンタが馬鹿正直にあのクズの走狗に成り下がるとは思えないがどうなんだ!?」


 言葉が通じる相手であるならば恐らく何かしらの反応があるはずだと、淡い期待を抱いた雪兎の狙いも虚しく蝕甚天の非積極的な攻撃は続く。


 一歩間違えれば現在のドラグリヲにすら軽く致命傷を負わせられる重い打撃が、敢えて雪兎の防御が間に合うタイミングで叩き込まれ、雪兎の心には戸惑いよりも先に苛立ちが募っていく。


「一体何のつもりなんだ。 真面目に戦う気が無いのならさっさと失せろ! 今は少しでも時間が惜しいんだ! それとも小賢しい時間稼ぎのつもりか!?」


 軽い怒りを抱いた雪兎の意志に呼応し、ドラグリヲの周辺に幾重もの灼熱と零下の結界が展開されると、再び向かってきた蝕甚天はフェイントを混ぜた回避行動の後、一時的に上空へと逃れてそのままドラグリヲを見下ろした。


 するとその瞬間、カルマでもグレイスでもない誰かの厳かな声が雪兎の脳裏を走り抜ける。


「私はただ君の命が惜しいだけなのだ。 誰よりも臆病であり勇敢でもある若人よ」

「……!?」


 雪兎の殺意の篭もった視線を受けてなお、蝕甚天の思念は凪の海の如く穏やかなまま、戸惑う雪兎の心へその意志を伝え続ける。


「我らが慈母の御力により未来は既に定められた。 ここで君が命を賭さずとも、奴は今日ここで惨たらしい死を迎える運命にある。 故に君が命を削って戦う必要は既にないのだ。 君はこの星に優れた遺伝子を遺すべき存在なのだ」


 逞しい両腕を組んで胸を張り、威風堂々とした身体を臆することなく晒しながら蝕甚天は伝えるべき事を一方的に語り終えると、惑う雪兎の返答をただ静かに待つ。


 勿論、雪兎も素直にハイそうですかと首を縦に振るはずもなかった。


 敵が勝手に言うことだからという最もな理由もあるが、それ以上に雪兎が疑ったのが余りに都合の良すぎる話だということ。


 なんの代償も払わずそんな幸せが掴めるハズがないのだと、雪兎は強く拳を握る。


「仮にそれが事実だというのなら喜ばしいことだが、世の中そんな美味しい話があるはずがない。 アンタの言っていることが正しかったとしても、帳尻を合わせる為の何かがあるんだろう?」


 蝕甚天の思念を傍受したのか神妙な顔をして沈黙を守る人外二人。


 そんな彼らの不安げな表情を認めながら雪兎が返答すると、蝕甚天は顎に手をやりながら淡々と思念をぶつけてくる。


「察しが良いな。 君が戦わない道を選べば、代わりに私の胸で眠る娘の命か、もしくはこの大陸に集った全ての人間の命が引き換えとなる」

「なんだと!?」

「だが人を捨てた君にとってはどうでも良いことだろう。 ……いやむしろ魅力的な提案のはずだ。 自分の想い人を手を汚さぬまま間接的に殺した悪魔の猿共をまとめて駆除出来るのだから」


 雪兎が受けた惨たらしい仕打ちを知っているのか、蝕甚天の声色には遠慮の欠片もない。


 知能の高さ以外に誇るものがない生き物が偉大な叡智を投げ捨てた事実は、蝕甚天の人類に対する印象を失望と称してよいほどに損なっていた。


 故に黄金の天使は雪兎に戦いをやめるよう促す。


 しかしそれでも、雪兎の心が揺らぐことはなかった。


「やっぱりアンタと僕とでは噛み合わないみたいだ。 万が一アンタが言うことが事実だとしても僕はそんな結末を決して認められない」

「理解できないな。 何故あの悪魔の猿共を庇い立てる? やつらは君の掛け替えのない未来を奪った。 君の腕の中にあった小さな幸せをくだらない理由で無理矢理引き剥がして陵辱したのだ。 ……それが何故?」

「何か勘違いしてないか? 僕は最初からこの世に存在しない無垢な民草とやらの為に戦っちゃいない。 僕が戦うのは自分のため。 あくまで僕という個人が満ち足りる為だって身勝手極まりない理由だけだ!」


 そう啖呵を切るが早いが、ドラグリヲは有無を言わさず勝負を決しようと蝕甚天の急所を狙って爪を振り翳す。


 その体内で眠るジェスターを傷付けないよう細心の注意を払って点の斬撃を叩き付けるが、幾多の死線を掻い潜った蝕甚天が察せ無いはずもなく、蚕魂の絹糸に酷似した糸で形成された結界によって阻まれた。


「くっ!」

「……やはり誰よりも優しい男だよ君は。 本気で君を殺めようとした者まで護ろうとするとは。ならば尚更、私は君をみすみす死なせる訳にはいかない。 あくまで納得いかないというのなら、君の全てを賭けて押し通ってみろ。 この娘の憎しみと私の力を踏み越えて」

「アンタに言われずとも、最初からそのつもりだ!!!」


 蝕甚天の宣戦布告と雪兎の咆哮が重なり合うと同時に、天使と怪物の決闘が始まる。


 蚕魂を吸収したことにより新たに獲得した絹糸の翼を使って蝕甚天が予測不能の体捌きを見せると、対するドラグリヲはどこまでも暴力的且つ直情的な勢いで蝕甚天に躍り掛かる。


 優雅に弧を描く蝕甚天の手足の動きに吸い込まれるように、ドラグリヲの鉄拳や爪は何度も蝕甚天の懐まで到達するが、直撃寸前のところで何度も受け流され阻まれては逆に大きな打撃を叩き付けられる結果になる。


 また、それだけに留まらず蝕甚天が丁寧に織り上げ続ける斬撃の暴風は、ドラグリヲから放出される灼熱と零下の結界を激しく攪拌し事実上無力化し続け、ドラグリヲが有する搦め手を事実上封殺し続けた。


 相手の火力が高いのなら撃たせなければいいという姿勢を追求した蝕甚天の立ち回りは極めて緻密ながらも大胆であり、幾度も雪兎に舌を巻かせる。


 外観こそ今まで観測された天使型害獣を彷彿とさせるものであり、戦術も極めて地味であるがその実力は決して他の三位に劣るものではない。


 多対多を想定し優れた知性と指揮能力を与えられた星海魔や、多数の敵をたった一匹で焼き払い踏み潰すために圧倒的体躯と質量を与えられた鉄獄蛇と異なり、蝕甚天が世界樹より与えられたのは、一対一の差し合いを制する為の極まった技巧と未来予知とも称しても過言ではない異常な第六感。


 少しでも捌き損ねれば即死するような暴力の嵐を蝕甚天は巧みに掻い潜り、ドラグリヲに肉薄し続けた。


 だが、対するドラグリヲもまた無駄に殴られ続けた訳では無い。


 軽くはないダメージを負わされつつも雪兎は辛抱強く機会を待ち続ける。 最大の一撃を叩き込むチャンスを。


「無駄だ。 何を考えているかは知らないがこの私に隙など無い。 君が思うほど私は甘くない!」


 ドラグリヲの攻撃頻度が落ちたことから次の攻め手を見抜いた蝕甚天は今まで存分に振るっていた打撃を控えると、代わりに絹糸による斬撃を攻めの起点に据えて攻勢を再開した。


 糸の擦れ合う音一つ立てず不可視の斬撃の結界が複雑に幾重にも織り上げられ、ドラグリヲの回避のルートが徐々に狭まっていく。


「どうした? 君の抵抗もここで終わりではあるまい!」

「ああそうさ、だがアンタだって僕がどうするかなんて分かってただろう!!!」


 互いに長々付き合う時間はない。 二人の利害の一致が決闘を早期決着へと導く。


 逃げ場を失ったドラグリヲに最大の攻撃を叩き込むため、蝕甚天は激突同然の勢いで着地と同時に全力で地面を蹴ると、全身に纏わり付かせていた生体金属を左腕に収束させて超硬質の拳を造り、対するドラグリヲはアイトゥング・アイゼンで硬化させた右腕からフォース・メンブレンを噴き出させつつ、深く腰を据えて全力で地面を踏み締める。


「南無三!!!」

「来やがれええええ!!!!」


 轟いた二人の咆哮を追い抜いて、二つの殺意が真正面からぶつかり合った。


 ――刹那、巨大隕石の衝突以上の衝撃波が周辺の全てを薙ぎ倒し、互いに突き出した全身全霊の拳が、互いの身体の頭の先から足の先まで衝撃を伝達させ、内部からぐしゃぐしゃに破壊していった。


 蝕甚天の体表を覆う強靱な皮が破れて滝のような血潮がシェイクされた体組織と共に迸り、ドラグリヲの表面装甲と基幹フレームが耳障りな音を立てて捻じ折れ、ひび割れる。


 勝利者がいない結果に終わる。


 もし別の観測者がいればそう結論づけてもおかしくない状況だったが、満身創痍となったドラグリヲの中から呻くように小さな声が漏れた。


「僕の……勝ちだ……」


 全身の穴という穴から鮮血を零しながら、雪兎は砕けた正面装甲の隙間から蝕甚天を睨みながら宣言する。


 いつ死んでもおかしくないほどの大怪我を追わされながらも、哀華から授かった力が雪兎に死を迎えさせることを許さない。


 雪兎の体内に宿る膨大なエネルギーの奔流は、猛烈な勢いで雪兎の細胞とドラグリヲを構成するグロウチウムに働きかけると、立ち所に雪兎とドラグリヲを元の姿へ戻してしまった。


 ただでさえ残り少なかった刻限と引き換えに。


「見事だ。 それが君の選んだ道だというのなら私がやるべきことは一つ。 君の覚悟に準ずることだけ……」


 雪兎の身体に何が起こっているか分かっているのか、蝕甚天はとても痛ましい表情をつくって雪兎の再生を見届けると、自らは大きく天を仰ぎ見ながら手を伸ばし、残された力を振り絞って今まで交信を断っていた同胞へと語りかけた。


「我が血統に列する秩序の使徒達に命ずる。 この勇気ある者達の行く手を切り開け。 我らが偉大なる始祖の名を汚した者の存在を決して許すな」


 現在の世界樹に対する明確な敵対を示す思念。


 畏敬の存在に泥を塗られたことを決して許さぬという峻烈な決意は瞬く間に南極全体に到達すると、蝕甚天と血肉を分けた天使型害獣の群れが猛烈な勢いでドラグリヲと蝕甚天の上空を飛び去り、サンドマンの傀儡と成り果てた偉大な樹木へ一斉に躍り掛かった。


 本来なら人間へ向けられるはずだった超常能力の全てを使って、天使達は世界樹の実体が隠された次元障壁をこじ開けると、自ら人柱となってその制御を一時的に奪う。


 今までサンドマンの良い小間使いにさせられ続けてきた血族達の献身。


 蝕甚天はそれを見届けると微かな思念を雪兎に向けて発する。


 もう二度と会うこともないと察しているのか、紡がれた意志は先程まで殺し合っていた相手に向けるにしては、とても穏やかで優しげだった。


「君の旅路の果てに、幸多きことを祈っている」


 自らの首元を引き剥がしてジェスターが無事であることを見せ付けたことを最後に、誇り高き黄金の天使はその場にがっくりと膝をつくと、鉄獄蛇と同じく短い眠りに就いた。


「ジェスター! しっかりしろ!!!」


 蝕甚天の気配が消えると共に、雪兎は遺された肉体の内部にて厳重に護られていたジェスターを摘出しようと慎重にドラグリヲの爪を刺し込む。


 しかし嫌がらせが何より大好きなサンドマンがその隙を逃すはずもなく、雪兎の意識が完全にジェスターへ向いた瞬間、沈黙を護り続けていた世界樹本体からドラグリヲに向けて一発、膨大なエネルギーを秘めた光迅が放出された。


「なっ……」

『ユーザー! 回避を!』


 わざわざ悪魔の猿を味方に引き入れたのも全てはこの時の為だと言うかの如く、事態は雪兎に選択を強要する。


 自分か、それとも護るべき命のどちらかの死を。


 どちらに転んでもサンドマンの精神的勝利は免れられなかった……はずだった。


「バーカが! 分からねぇとでも思ったのか!? この策士気取りのクズ野郎が!」


 雪兎の耳に聞き覚えのある軽薄な罵声が届くと共に、夜警の梟の加護を背に受けて今まで存在を隠匿されていた焔の牡牛が突如ドラグリヲを庇うように姿を現すと、リアクターに過大な負荷を掛けて超高出力Eシールドを展開する。


 星海魔麾下の技術者達の支援を受け、異常な耐久性を有するようになった光の壁は、放たれた光迅を辛うじて受け止めると、そのまま宇宙の果てへ受け流して雪兎とジェスターの命を守り抜いた。


「やるじゃない。 グランヴィル氏の見立ても狂ってはなかったってことね」

「当たり前だ! ロクデナシの考えることはな、ロクデナシが一番よく分かってるんだよ!」


 他者への強度の認識障害付与機能という国家間の問題になりかねない兵装を使いながら、何事もなかったかのように振る舞うテレサより心ない賛辞が送られると、異常な過負荷を掛けられたせいでほぼ大破状態になったブレイジングブルの中から、つい先日消し炭になりかけたはずのロンの陽気な声が響く。


「ロンさん!? テレサさんもどうして!?」

「これ以上ない屈辱の下で死んで貰うことが大統領が望んだ奴の末路。 だからこそ私は彼をここに連れてきた。 断じて貴方の為ではないわ」

「俺だってそうさ、俺はこの嬢ちゃんにデリカシーが無かったことを生きて謝りたかっただけなのさ。 人様を危うく消し炭にしようとした頭の固い真面目君の為なんかじゃあねぇなぁ」


 あくまで雪兎の為ではないと白々しく方便を吹聴する二人。


 もっとも、機密の塊であるナイトウォッチャーを白日の下に晒すことを良しとしないテレサは、喋り足りないロンと摘出されたジェスターを一方的に担ぎ上げると、さっさと撤収の準備を始める。


 全身を医療用グロウチウムジェルと分厚い包帯まみれになっているせいで甘んじてそれを受けるほかないロンは、せめてもの励ましだと言わんばかりに勝手に回線を開くと、茫然自失となっている雪兎の背中を遠慮無く推した。


「だからよ、何も気にせず後腐れなくどこへでも行っちまえよ。 俺達のことは心配するな、これからはアイツらみてぇに自分の身くらい自分で護れるさ」


 いつものように笑うロンがそう言い終えて程なく、地平線の向こうよりゆきかぜが迫ってくるのが雪兎の肉眼からも窺えた。


 数多の神話級害獣との戦闘によって多少損傷しながらも、その威容は決して霞まない。


 そして、未だに甲板の上で戦闘態勢を取り続けるスキュリウスの中から雪兎目掛けて制止の声が飛ぶ。


「まて雪兎! 俺達もまだ戦える! 俺達を置いていくな!!!」


 肉体再生時に星海魔から授かったテレパスから、馳夫は雪兎が何を考えているのかを察知し咄嗟に引き留める。


 何故お前ばかりが貧乏くじを引き続ける羽目になるのかと、己ばかりを猫かわいがりする神を憎悪しながら馳夫は柄にもなく叫び続けるが、対する雪兎の答えは最初から決まっていた。


「イヤだね、ここから先は僕の仕事だ。 僕にしか果たせない役割なんだよ。 だから……、これ以上誰も巻き込むつもりはない」


 徐々に小さくなっていく次元障壁に開けられた傷を横目で確認しつつ、雪兎は悪びれもなく笑ってみせると、閉じかけていた傷跡の向こう側へ一気にドラグリヲをねじ込ませ、無理矢理に世界樹の領域へ侵入を果たした。


 そこから先に住まうのは、世界樹を乗っ取ったサンドマンと弾除けに掻き集められた時間稼ぎ用の害獣だけ。


 それらに対し深い怨念をぶつけながらも、雪兎は今まで感じたことのない不思議な高揚感を意識しながら、今まで助けてくれた皆に深い感謝の思念を捧げた。


『……行きましょう』

「ああ、泣こうが笑おうがこれで最後だ」


 暫しの間、重々しい沈黙を保っていたカルマに促され、雪兎は決して振り返ることなく、最期の戦場へと赴く。


 全ては自分の人生と、散らされていった全ての命に報いる為に。



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