東の宮殿の書斎にて、エリアスは机に広げた書類をまとめながら、大きく息を吐いた。
(レオ様が執務に出ている間に、少しは片付けられると思ったんだけど……これはもうやっぱり、王宮の執務室に行った方が早い気がする……)
思った以上に量が多い。少し前までならばなんてことはなかったのだろうが、最近はこうした書類整理からも離れていたせいか、妙に時間がかかる。
それに圧倒的に資料が少ない。言えばもちろん取って来てもらえるが、自分で書庫から持ってきたほうが格段に効率が良い。
エリアスが書類の何枚かを見つつ、もう一度溜息を吐く。
そんなとき――扉をノックする音がした。
「お妃様、カーティス様がいらっしゃいました」
「通してくれ」
エリアスが返事をすると、扉が開き、カーティスが軽やかな足取りで入ってくる。
「やあ、エリアス。久しぶりにお茶でもどうかと思ってね」
「お前な……俺の予定を把握してるのか?」
「まあまあ。僕がここに来るのに理由がいる?」
肩をすくめて微笑むカーティスに、エリアスは呆れつつも席を立ち、向かいのソファに座った。侍女がすぐにお茶を運んでくる。
「で、何の話だ?」
「いやね、最近考えてたんだけど、この国には 恋人同士で贈り物をする行事 ってあんまりないじゃん?」
「……は?」
唐突な話題に、エリアスは眉をひそめる。
「ほら、前にいた世界では、"バレンタイン" っていう日があったんだよ」
カーティスは楽しそうに紅茶を飲みながら続ける。
前にいた、というと“小説”を読んだという前世のことだろう。
「あっちではさ恋人や親しい人にチョコレートを贈るんだ。まあ、形は色々あるんだけど、要するに"好きです"って伝える日みたいなものでね」
「チョコレート……?」
「そう、お菓子のチョコレート。甘いやつ」
「ふーん……それはまた……」
確かに、そういう文化はこの国にはない。贈り物をすることはあっても、明確に "恋人が贈り合う日" なんてものはなかった。せいぜい誕生日か、結婚すれば結婚記念日か。そんな程度だ。
「でもね、最高のプレゼントって "自分自身を贈ること" なんだって」
「……は?」
「ええとね、自分にリボンを巻いて『僕を受け取ってください』ってやんの」
カーティスは冗談めかしてニヤリと笑う。
「エリアスもさ、リボンを巻いてレオナード殿下に贈ってみたら? びっくりするよ、きっと」
「……バカじゃないのか?」
エリアスは呆れ果てて、茶を飲んだ。
「いやいや、案外ウケるかもしれないよ? 僕もやってみようかな~自分にリボン巻いてエドワルド陛下に。楽しそうじゃない?」
「陛下がどう反応するか、ちょっと興味あるな……」
「だろ?」
カーティスが笑いながら茶を飲んだ。
「冗談半分だけどさ、ちょっと試してみたら? レオナード殿下、結構気に入るかもよ?」
「……やるわけないだろ」
エリアスは再度呆れつつも、カーティスの話が妙に頭の片隅に残るのを感じていた。
※
カーティスとだらだらと話すうちにすっかりと日が暮れ、今はもう外が暗い。
今はもう誰もいない部屋の中はエリアス一人で、静寂が戻っていた。
レオナードが執務から戻るまで、まだ少し時間がある。
エリアスは鏡の前で、自分の姿を見つめていた。
(……いや、やるわけないって言ったのに……)
ふとした好奇心から、部屋にあった飾り用のリボンを首に巻いてみた。
レオナードの目の色を選んでしまったのは、やはり意識をしているからかもしれない。
「…………」
(……なんだこれ、俺は何をしているんだ)
自分の様に羞恥で頬が赤くなる。
カーティスの「僕を受け取ってください」という冗談が頭をよぎる。
「……さすがに、ないな」
すぐに外そうとした、その時――
「……何をしている?」
「――っ!?」
背後から低い声が響いた。
(まさか……!?)
ゆっくり振り返ると、そこには執務を終えた レオナードが立っていた。
「え、ちょ、早くないですか⁈あ、いや、違っ……」
言い訳をしようとした瞬間、レオナードは静かに歩み寄り、エリアスの首元のリボンを指先でつまむ。
「……これは、どういう意図だ?」
冷静な口調なのに、どこか圧がある。
「いや、その……カーティスが、こういう行事があるって言ってて……」
口早に今日聞いたことをエリアスは説明した。
レオナードはじっとエリアスを見つめる。
「……つまり、お前はこれを"贈り物"として用意した、と?」
「違……いや、そういうつもりではなくて……」
エリアスはじわじわと顔全体が熱くなるのを感じた。
だが、レオナードは ふっと笑った。
「贈り物か……そうか……」
そして――
「なら、開けてもいいんだな?」
「えっ……」
そう言った瞬間、レオナードの腕が伸び、 エリアスの腰を引き寄せる。
「っ……レオ様……?」
戸惑う間もなく、リボンを指でほどかれそうになる。
(待て、待て待て待て!!!)
「わ、わかった! もうやめますから!!!」
慌てて手を伸ばしてリボンを掴み、ぐいっと後ろに下がる。
レオナードは満足げに微笑んだ。
「なら、最初からこんな挑発をするな」
「挑発なんかしてないです……!!!」
エリアスは顔を真っ赤にしながら、リボンをほどいて机に投げる。
「……まったく、カーティスの話を真に受けるからこうなる……しかし」
レオナードが、不意にエリアスの髪に触れた。
「お前が贈り物になるのは、悪くない」
「――っ!!!」
エリアスは羞恥で顔を覆った。
(もう二度とやらない!!!)
そう心に誓ったが、ちらりと指の間から垣間見るレオナードの満足げな顔を見ると、……またやってもいいかな、と思ってしまう。
ちなみにこの後、がっつりと抱き寄せられて、「贈り物は頂いておこう」と囁かれながら、押し倒され──チョコレートのように甘くとろかされたのだった。