曹操は詩人であった。
もっとも有名な詩は、「短歌行」である。
對酒當歌
人生幾何
譬如朝露
去日苦多
慨當以慷
幽思難忘
何以解憂
惟有杜康
意訳する。
酒を飲み、歌おう
人生なんて、たいしたものじゃない
朝露のように儚い
日々はあっという間に過ぎ去っていく
世の中を想えば、憤りは高まり、嘆く声は大きくなるばかり
沈む気持ちを、どうすることもできない
憂いを消す方法は
ただ酒を飲むのみ
曹操の苦しみは、現代人とまったく変わらない。
彼にはふたりの後継者候補がいた。
嫡子の曹丕と三男の曹植。
曹操、曹丕、曹植は三人とも詩人で、建安の三曹と呼ばれた。
曹操は、曹植の才を愛し、跡継ぎにしたいと考えていた。
曹植の詩でもっとも有名なのは、「七歩詩」である。
曹操の死後、皇帝となった曹丕の前で詠んだ。
「七歩あるくうちに詩をつくれ。できなければ死を与える」
曹丕はそう言って、陰険に笑った。
煮豆持作羹
漉鼓以為汁
萁在釜下燃
豆在釜中泣
本是同根生
相煎何太急
豆を煮て熱いスープをつくる
豆の調味料で味をととのえる
豆がらは釜の下で燃え
豆は釜の中で泣く
豆も豆がらも同じ根から生まれたものなのに
豆がらは豆をどうしてそんなに激しく煮るのか
兄と弟の争いを、豆がらと豆にたとえた詩。
それを聞いて曹丕は唖然とし、曹植を殺すことができなくなった。
曹操は後継者の決定に悩み、賈詡に相談した。
「袁紹と劉表のことを思えば、答えは簡単ではありませんか」
ふたりとも長男を跡継ぎにしたくないと悩んで、死後ほどなくして領土を失っている。
「賈詡、そなたを得ることができてよかった。今宵、酒でも飲まぬか」
賈詡はこくりとうなずいた。
曹操は220年に病死した。享年六十六。
「天下はまだ乱れ、民は苦しんでいる。埋葬が済んだら、すぐに喪を明けよ。私の葬儀の間も、軍人は持ち場を離れるな。官吏は働きつづけよ。私の死体には平服を着せてくれ。金銀財宝の副葬などは、絶対にいらない」
そのように遺言した。
曹操は中国史の桜の樹のようである。
美しい花びら、たくさんの人材を咲かせた。
彼の死後、花は散り、魏は晋に変わった。
「説曹操、曹操就到」という中国のことわざがある。
曹操の話をすると、曹操がやってくる。
日本のことわざで言うと、「噂をすれば影がさす」。
「今日はさ、司空の機嫌が悪かったんですよ」と酒場で郭嘉が言った。
「おい、後ろに曹操殿がいるぞ」
劉備が苦笑いしながら、曹操を見ていた。
曹操桜 完