目次
ブックマーク
応援する
いいね!
コメント
シェア
通報

37.交差する想い

朝日が差し込む中、ゆっくりと目を開けると、視界には天蓋が広がっていた。どこかぼんやりした頭で、ここが自分の部屋ではないことを認識する。そうだ……昨夜、俺はキースの部屋で眠って……。


「起きたかい?」


ふいに優しい声がして、そちらを見ると、キースが微笑んでいた。手にはトレイを持っていて、そこに置かれたカップからは湯気が立ち上っている。


「兄様……」


声が掠れる。どうやら昨夜の疲れがまだ抜けきれていないらしい。俺が体を起こそうとすると、キースがベッド脇に腰を下ろし、そっと片手で肩を支えた。


「無理しなくていい……君には少し休む時間が必要だ」


その言葉に逆らう理由もなく、俺はベッドの豪奢な彫りの入っているヘッドボードに背を預けた。キースの笑顔は穏やかで、俺を安心させてくれるようだった。俺へとカップを差し出し、トレイを傍らに置く。


「ミルクだよ。さっき、アンが持ってきてくれてね。熱いから気をつけて」


キースの声は相変わらず穏やかで、俺がカップを受け取ると、満足げに微笑んだ。

その微笑みに、俺は少し気恥ずかしくなりながらも、カップを口元に運ぶ。


「……ありがとうございます、兄様。あの……昨日は色々と、すみません」


礼を述べて頭を下げると、キースは僅かに眉をひそめた。


「謝る必要なんてないよ。むしろ、僕が君を守れなかったのが悪い。あんな思いをさせてしまったこと……本当に申し訳なく思っている」


その声には、深い後悔が滲んでいた。俺は慌てて首を振る。


「そんな……兄様のせいじゃありません!むしろ、すぐに駆けつけてくれたおかげで、俺は無事だったんですから」


そう言った俺に、キースは少しだけ目を細める。その視線には、何か複雑な感情が宿っているように見えた。


「……でも、君が怖い思いをしたのは事実だ。僕がもう少し早く……いや、僕が君の側を離れなければ、そんなことにはならなかった」


言葉の端々に感じる自責の念に、俺は何と言えばいいのか分からなくなった。代わりに、湯気が上がるカップを両手で握りしめる。キースは自分を責めすぎな気がする。あれはあくまでディマスが起こした事件であって、キースは関係ないのに。


「……でも、兄様はいつも俺のことを気にかけてくれてるじゃないですか。それだけで十分です」


その言葉に、キースの口元がかすかに緩んだ。


「君は本当に優しいね、リアム。……だからこそ、もっと君を守りたいと思うんだ」


その言葉に、胸が少しだけざわつく。守られたいと思う気持ちも確かにある。

けれど、それがどこか重く感じられるのは──気のせいだろうか?重く……いや、これも違和感かもしれない。どこか、何か、拭いきれない違和感。


「……ありがとうございます。でも、兄様も無理はしないでくださいね。俺ばかり心配されるのは、少し……落ち着かなくて」


そう言うと、キースは驚いたように目を見開き、すぐに微笑んだ。


「……分かった。君がそう言うなら、少しは僕も自分を甘やかすことにしよう」


その微笑みを見て、俺は少しだけ安心する。でも、どこか──ほんの少しだけ違和感が残る。そんな俺の顎をキースの指先が捉えて、互いの唇が重なり俺は目を伏せる。数度啄むようにしてからキースは顔を離した。


「もう、これくらいじゃ動じなくなったね?」


キースの顔が離れて俺が目を開けると、ふ、と笑った。

ああ、そういえば……。どうもないわけではないが──そりゃ若干恥ずかしい気持ちはあるし──慣れてしまったというかなんというか……。


「……兄様、よくするじゃないですか……だから……」


俺は恥ずかしくなって顔を背ける。頬が熱い。

キースはもう一度笑うと、


「意識してもらわないとだからね。さあ、それを飲み終わったら朝食に降りようか……父上と母上がお待ちかねだよ」


俺の頭を撫でた。

もうなーこれ、俺な……そろそろ認めるべきかもしれない。




父と母に囲まれた朝食を終え、自室に戻った俺はベッドに横たわり、昨夜のキースの言葉や態度を思い返していた。

優しさそのものだった兄。けれど、その優しさの裏に潜む何かを俺は感じていた。

俺に見せる笑顔と、その裏側──。


「……気のせい、だよな……」


自分にそう言い聞かせてみる。けれど、その違和感が胸をざわつかせ続ける。

未だに俺とノエルが思い出せないキースのエンド。もしかすると、そこに違和感が繋がるのか……?

ごろりと横を向いた時、扉がノックされた。少し驚きながら「どうぞ」と声をかけると、アンが顔を覗かせた。


「リアム様、お客様がいらしていて……」

「お客様?え、誰?ノエル?セオドア?」

「いえ、それが……」


アンが言い淀み、俺は思わず眉をひそめる。このタイミングで訪れる客など思い浮かばない。しかしアンの様子だとその二人は違うようだ。その次に頭の中に浮かぶのは──。


「……レジナルド先輩……?」

「……はい、応接室でお待ちです」


俺は溜息を吐いた。

どうしてまた家に来るんだ、あの王太子様は……。

ああ、でもそうか。レジナルドもまた──リアムに想いを寄せる一人だと、昨日知った。

それは俺ではない『リアム』ではあるのだが……。

気は重いが、仕方ない。俺は起き上がり、分かったよ、とアンに返事をした。



応接室に足を踏み入れると、レジナルドが立ち上がり、俺に向かって微笑む。


「リアム……大丈夫だったかい?」


その声は心底心配しているように聞こえた。俺は礼を言いつつ、距離を保つためにレジナルドの向かいにあるソファに、頭を一つ下げて腰を下ろす。


「昨日は……本当に助けていただいて、ありがとうございました」

「気にしないでほしい。それよりも、君が無事でよかった。あんな目に遭った後だ、少しでも不安なことがあれば言ってくれ」


彼の言葉には本心からの優しさが滲んでいた。けれど、その態度が逆に俺の胸を痛ませた。俺であって俺じゃないリアムを思っての行動だ。俺はただ首を横に振る。


「大丈夫です。兄様もすぐに駆けつけてくれましたし……」

「……キースは君を大切にしている。それは見ていてよく分かるよ」


彼の声は穏やかだが、どこか剣を含むような響きがあった。その言葉に、俺はなんと返していいか迷い、曖昧に微笑むだけで答える。


「……兄様には、感謝しています。いつも僕のことを気にかけてくれて……」


その言葉を聞くと、レジナルドはふっと視線を下げ、少しの間黙り込む。そして、静かに口を開いた。


「……でも、リアム。君はどうなんだい?」

「え……?」


予想していなかった問いに戸惑い、思わず彼の顔を見つめる。レジナルドの表情はどこか複雑で、これまで見たことのない感情が浮かんでいた。


「君は本当に、キースを好きなのか?」


その言葉には、微かな挑発が込められているようだった。俺は思わず息を呑む。


「……僕、は……」


声を詰まらせた俺に、レジナルドは少し苦笑を浮かべた。そして、ソファから身を乗り出し、俺の目をじっと見つめる。


「キースが君を囲い込んできた理由も……まあ、わかるつもりだ。けれど、君がそれでいいかどうかはまた別の話だろう?私から見れば、きみはまだまだ初心に見える。キースに流されているだけでは?」


その言葉に、胸がざわついた。流されてる、か。それも否めない。けれど昨夜にキースの顔を見たいと思った気持ちは自分のものだ。それを流されているだけ、と評価されるのは少しもやっとした。俺は黙ったままで、レジナルドを見る。


「……私は、私だって君を守りたいと思う。君が笑っていられる場所を、一緒に作りたいと──そう思っている」


その言葉は、まるで告白のように真剣だった。俺はどう返せばいいのか分からず、目を逸らす。


「で、でも……兄様は、僕にとって大切な人で……」


焦りながら答えた俺に、レジナルドはかすかに笑みを浮かべた。


「分かっているよ。私だってキースのことは尊敬している。でも……私も君のことを想っている。それだけは、知っておいてほしい。それに、君を自由にするためなら何だってする。だから、もし君が助けを必要としているなら、遠慮せずに頼ってほしい」


その言葉に、あなたの好きなリアムは俺じゃないですけどね、と心の中だけで思った。



それから他愛無い会話を交わして、レジナルドは帰っていった。

どっと疲れが出て、俺は長溜息を吐きながら廊下をのろのろと自室に向かって歩く。

その途中、廊下の奥にキースの姿を見つけた。彼は何か考え込むように立ち尽くしている。


「兄様……?」


声をかけると、彼はゆっくりとこちらを振り返った。その目には微かな疲れが見て取れた。


「レジナルド殿下と話していたのかい?」


「ええっと……少しだけ」


俺の言葉に、キース兄様は何も言わずに近づいてくる。そして──俺を強く抱きしめた。


「リアム……君が無事で本当に良かった」


その声には温かさがあった。でも、それだけではない。俺を抱きしめるその手の強さはいつもより強い。


「兄様……?」

「君が他の人と話していると、僕は……君が遠くに行ってしまうような気がして怖いんだ」


その声には、普段の穏やかさとは違う震えが混じっていた。俺の返事を待つまいとするかのように、キースは俺をさらに強く抱きしめた。

俺は抱きしめられる腕の中からキースを見上げる。キースの目には苦し気なものが見え隠れしていた。


「兄様……」

「リアム……」


低く囁くような声が耳元をかすめた次の瞬間、キースの唇が俺のそれに重なった。温かいはずなのに、その感触はどこか冷たく鋭かった。抗おうとする意志も、彼の深い想いに飲み込まれていく。

ここが廊下であることもあって、俺は身体を少し動かしたが、キースの手に込められた力がまた強くなり封じられた。


「……っんぅ……」


キースの舌が歯列の合間から入り込み、俺の舌をつつく。そのまま強引な動きでそれは絡んできて、俺の咥内で蠢いた。

……嫉妬、というやつなのだろうか?レジナルドに対しての。そして、はっきりしない俺の曖昧さを責められている気がした。

俺の中で絡まり合う感情が、次々と浮かび上がる。

ああ、これはちゃんと……伝えなければ、ならない。

この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?