今日の橡様はなんだかおかしい。
いつもは何かしら仕事についての書き物をしたり、たまに出かけたりと動いている姿もよく目にする。神様も働くのだな、と俺は思っていたりもした。
俺は村長の手伝いをしていたこともあり読み書きができるので、書簡の整理など雑用を少しさせてもらっているのだが……。橡様は普段より少し動きが鈍いように見える。
「橡様……疲れてませんか?」
「ん?いや、大丈夫だよ」
そう言いつつも、橡様の声はわずかに力が抜けていた。
「本当に……?」
少し不安になり、座っている橡様の顔を覗き込む。
「うーん……そうだね、少し休もうか……」
橡様はそう言いながら、目を伏せる。
立ち上がろうとした瞬間、橡様の体がふらりと揺れた。
「橡様!」
咄嗟に支えた俺の肩に、橡様がゆっくりと重みを預けてくる。
「大丈夫、大丈夫」
苦笑しながらも、体の力が抜けているのがわかる。
「……本当に無理してません?」
「少しだけね」
橡様が珍しく素直に認めたことに、俺は驚いた。
「寝殿で休みましょう……?」
「急ぐものはないし……そうしようか」
俺が袖を引くと、橡様はそのままゆっくりと歩き出した。
けれど、普段の軽やかさはなく、少し足取りが重い。
「やっぱり具合悪いじゃないですか……」
「病気とかではないから大丈夫なんだよ?でもお嫁さんに心配されるのもいいねぇ」
橡様がくすっと笑い、俺は思わずむっとする。
「調子に乗らないでください」
「はいはい」
寝台の上に橡様を寝かせ、布団を掛ける。
橡様は目を閉じたまま、気持ちよさそうに深呼吸をしていた。
「水を持ってきます」
「大丈夫だよ?横になっていれば回復するから」
「……いや、待っててください」
強引に部屋を出て、水を汲みに行く。
俺はここにきてほぼほぼお世話になりっぱなしだ。
村にいたころと比べるとかなり楽をさせてもらっている。
恩返しというほどではないが、せめて橡様が休んでいる間くらいは、俺が何かしてあげたい。
神使に頼んで水を汲み、干菓子を幾つか貰う。
疲れている、というならば甘いものは少しの癒しになるかもしれない。
それらを持って足早に戻ってくると、橡様は布団の中で目を閉じたままだった。
器を置き、傍らに静かに座る。
「……」
髪が額にかかっていたのが気になり、そっと手を伸ばして橡様の髪を撫でる。
絹糸のような黒の髪は手触りがとても良かった。
橡様は俺の頭をよく撫でては気持ち良いと言うが、橡様の髪の毛の方が俺からすれば数段も綺麗だし手触り良く感じる。
髪だけではない。その顔にしたってそうだ。
俺は未だに自分の容姿が綺麗だとはいまいち思えないし、橡様に比べれば見劣りどころか月とすっぽんではなかろうか?
自分を卑下するわけでもないのだが……何せ相手は神様なもので、人間と比べる方が烏滸がましい気もする。
「……俺よりお綺麗なんだけどなぁ……」
そう呟いた瞬間、橡様がふっと目を開けた。
「長くん?」
「あっ、起こしちゃいましたか?」
「ううん。髪を撫でられるのは悪くないね……懐かしい感覚だ」
そう言いながら、橡様が手を伸ばして俺の手首を軽く掴む。
「ちょ、橡様?」
「せっかくだし、一緒に休もう?」
調子に乗ったように言いながら、俺の手を自分の方に引き寄せた。
俺は体勢を崩して、そのまま橡様の腕の中に転がることとなってしまう。
「……橡様、調子が悪いんじゃないんですか?」
「疲れてるだけだよ」
橡様はそのまま俺を抱きすくめた。
「えぇ……おかしいですって……」
「長くんの体温が気持ちいいんだよ」
にこりと笑う橡様を見て、俺はため息をついた。
「……まあ、温められるならいいですけどね……」
温かいよ、とそう言いつつ、橡様は俺を抱きなおした。
橡様は目を閉じたまま、静かに口を開く。
「昔ね、浅葱もこうして僕を心配してくれたことがあったんだよ。昔の浅葱はね、僕が体調を崩したときには、必ず白い花を枕元に飾ってくれてたりね」
「浅葱様が……」
一度会ったことのある、あの神様だ。
橡様と同様に酷く美しいけれど、それよりも傲慢な印象が俺には残っていた。
思わず聞き返すと、橡様は「そう」と目を閉じたまま微笑む。
「今の浅葱からは想像できないでしょう?」
「……正直に言えば、まあ……」
橡様は少しの間目を伏せ、遠くを見つめるように続けた。
「昔の浅葱はね、もっと素直で優しい子だったんだ」
「それは、また……浅葱様は橡様とはどういうご関係なんですか?」
俺がなんとなくそう聞くと、橡様が目を開けて俺を見た。
「気になる?」
「え?あ、まあ……?」
橡様は俺の様子を見た後に、ふむ、と一つ漏らしてからまた目を閉じた。
なんだ、今の。
「橡様?」
俺は続きを促すように声をかけると、俺を抱いていた手が背中を撫でる。
「興味を持ってくれるのは嬉しいけど、ここは嫉妬してほしいなぁ……」
ぼそり、と橡様はそう言った。
嫉妬。なんで嫉妬……?
俺は首を傾げて思考をめぐらしてから、漸く気付く。
「お嫁さんが嫉妬してくれたら嬉しいのだけど……」
言いながら俺の身体を抱いたまま、橡様がくるりと身体をまわした。
俺はあっという間に橡様の身体の下にいて──押し倒されるような姿勢になっている。
そうして、俺の首筋に顔を埋める。
「何言ってるんですか、それに、ちょっと……!」
橡様がいわんとしていることはわからないでもない。俺も男である。
ただなぁ……嫉妬するような行為を見せられたわけでもないのだが……いや、まてよ?
「……昔の恋人だったりするんですか?」
えらく敵視されているような節はあったしな。
人と違い長く生きているならばそう言うこともあるのかもしれない。
けれど橡様は俺がそう質問した途端に顔を上げて、驚いた顔をして首を横に振った。
「ないよ、そんなこと。浅葱は……幼馴染みたいなものだよ」
「ならいいいじゃないですか。俺にだっていますよ、幼馴染。ろくなやつじゃないですけど」
「えぇ……僕はその子にも嫉妬しちゃいそうなんだけど……」
はあ、と俺の上で大きなため息が漏れた。
幼馴染にも嫉妬か。それはそれで凄いな……俺の好かれ方。
俺もそれくらいいつか好きになるのだろうか、この神様のこと。
今でもそりゃぁ嫌いではないしどちらかと言えば、好きな方では……。
なんだかそこで変に意識してしまい、俺は頬が熱くなってしまう。
「長くん?赤くなってどうしたの?」
「……何でもないです……ほら、休んでください」
俺は身を捩ってその腕から逃れようとした。
のだが、
「え、駄目だよ。そんな可愛い反応されたら、僕が離すと思う?」
「は?」
橡様がさくっと動いて、俺との間にあった上掛けを端へと追いやった。
「……君に触れたくなった」
不意に低く甘い声が俺の耳元で耳元で静かに囁く。
冗談っぽかった雰囲気が少し変わり、俺は一瞬ドキリとしてしまった。
そして俺の少し乱れた着物の裾から手を入れてきて、足を撫であげる。
「あっ……ちょ、やめ……っ!お疲れなんですよね⁈橡様……!」
「うん。だから、長くんに癒してもらう」
「何言って……んむっ」
俺の抗議は呆気なく、その唇に飲み込まれる。
こういうのも、お疲れの原因じゃないんですかね⁈
と心の中でだけ叫んだのだった。
ところで。
この時にそりゃ丁寧に丁寧に俺は可愛がられたので(意味深)、夜に呼ばれた際には「もう今日はしましたよ⁈」とご辞退申し上げたら「関係ないよ」とことさらまた可愛がられた。解せぬ。