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第9話 悪夢、目覚めても悪夢

 ……翌朝早く出立するからには、今日はもう早く休もう。そう思ってドーズはフナーラの宿の一室にて、早々に寝台に横たわり、目を瞑った。


 だが、身体は疲れているのに、何故か、なかなか眠りに落ちることができない。ザキナを見つけて、この村にまで連れてきたここ数日あまりのことを頭に浮かべると、明日戻る国境警備隊の駐屯地のことが、遠く感じる。あれほどまでに慣れ親しみ、生涯そこで暮らそうとまで考えている地であるというのに。任務を果たし、もう、ザキナに関わらなくて済むというのに。


 それなのに、今のドーズの瞼の裏に浮かぶのは、ザキナの姿なのだ。栗色の髪に、緑の瞳の……。


 ……いや、違う。ドーズは気づいた。その顔は、ザキナより大人びており、髪も少し短い。はにかんだ顔も、それは成人した女性の色気を滲ませた笑顔だ。


 ……ビエナなのか?

 お前は、ビエナなのか?


 そう目の前の女に問いかけようとしたとき、女の顔が急変した。笑みがみるみるうちに崩れ、その表情は苦悶に満ちた顔に変わる。

 そして、いつのまにか、彼女の身体中には拷問による傷があちこちに浮かび上がっていた。手足は鎖に繋がれ、それ故、身を捩って、執拗に続けられる殴打を躱すことすらできず、ただ永遠に続く責め苦に喘ぐ声が、その暗い空間に響き渡っている。


「ビエナ!」


 ドーズは堪らず叫んだ。いま、助けるから、いま、助けるから……! そう心の中で絶叫しながら、鎖に繋がれた彼女に駆け寄る。ようやく、その身の近くまで辿り着くと、まずは手足を括る鎖を外そうと短剣を振りかざす。すると、鎖が割れた。ビエナの体がドーズの胸の中に倒れ込む。ドーズはわずかに安堵してビエナの顔を見やる。

 辛かっただろう、助けに来るのが遅くなって、すまなかった。もう、大丈夫だ。


 ……だが、そう口にしようとしたときには、既にビエナの身体は冷たくなっていた。


 ドーズは思わず悲鳴を上げた。

 その自らの叫び声でドーズは、目を覚ました。


「夢……?」


 気がつけば、そこは宿屋の一室だ。目の前には誰もいない。窓越しに夜の冷気がしんしんと伝わり、草原を渡る風の音が微かに聞こえる。静かな夜だった。

 ドーズはしばらく毛布のなかで茫然としていたが、寝間着が汗でびっしょりと濡れているのに気づき、着替えようと寝台から降りた。そして、大きな息を吐く。


 ……いったい、俺は、この夢を何度見れば……。


 身体を乾いた布で拭きながらも、悪夢のひと場面、ひと場面がドーズの脳裏に甦る。わかってはいる。自分は、もうこの悪夢から、死ぬまで逃れられないのは。あの夢の舞台となった王都から、逃げるようにこの国境地帯に仕事を求めてやってきて、ここに骨を埋めようと心を決めたつもりでも、逃げきれない、辛く苦い記憶からくる悪夢。


「俺は、この記憶に死ぬまで追われて生きるのだ……」


 ドーズは、窓の外の暗闇に視線を投げると、そう、ひとり呟いた。


 そのとき、ドーズの視線の先に、突如、ちいさな灯と黒い馬影が横切った。思わず目を凝らす。今度は、夢でも幻でも無かった。


 ……松明を掲げた馬影、あれは、伝令だ! しかもあの方角からということは、国境からの……?


 ドーズは身支度を急いで整えると、カンテラを掲げ、宿の外に飛び出した。馬影はもう目の前まで迫ってきていて、その背に乗っている人物は、国境警備隊員の制服を纏って居るのも夜目にはっきりと判別できる。しかし、何事であろうか。 

 そう思った瞬間、唐突に馬がどうと倒れ、乗り手は地面に投げ出された。慌ててドーズはそのもとに駆け寄り、その体を抱き起こす。

 そのとき、ドーズの手が、生暖かい液体に、べったり濡れた。


「……! おい、おい、しっかりしろ!」


 果たしてそれは乗り手の胸から流れる血糊であった。見覚えのある顔である。まだ若い、昨年入隊したばかりの青年では無かったか。そんな彼が、このような深い手傷を負いつつも、駐屯地から早駆けでも一昼夜はかかるこのグャーシャ村に馬を飛ばしてきたというのは、なにか重大な事件が国境で起きたことに他ならない。


 青年はドーズの呼びかけに、うっすらと目を開けた。


「大尉……!」

「おい、どうした! 国境で何があった?」

「敵襲です……、隣国の軍が大規模な攻撃を我が駐屯地に仕掛けてきて……! 我が隊は、司令官以下全員が戦死、しました……」

「全員、戦死、だと?」


 青年が息も絶え絶えに伝えるその内容に、ドーズは呆然とした。

 いったいどんな大規模な攻撃を行えば、国境防衛隊の1人残らず戦死、という事態が起こりうるのか。ドーズは、そう青年を問い詰めようとしたとき、その青年隊員もまた、虫の息であることにはじめて気が付いた。だが、青年は口から血を零しながらも、ドーズへの報告を止めない。


「……水です、駐屯地全体が水攻めに遭いました……信じられないでしょうが、あの、駐屯地、全体が……水没するほどの濁流が、突如、我が隊を襲ったので……す」

「……水!?」

 ドーズは耳を疑った。


 ……よりによって、水攻めだと? あの荒地のどこにそんな、水源があるというのか…!?

 あまりのことに言葉を失ったドーズの肩に、少しの間を置いて、青年の身体が重くのしかかる。


 その顔を覗き込んで見れば、青年の息は既になかった。

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