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第31話 世界

 世界は混沌の中に消え去った。

 人のいのちも、繁栄も、自然の恵みも、営みも、全てが混ざり合い、混沌と化し……やがて、全ては無に還った。

 宇宙をも、生まれた前の姿に逆戻りし、全てが消え去った。


 いや。消え去ったように、見えた。


 しかし、ほどなくして、無のなかにまず、光が生まれた。

 次いで、緑が蘇った。

 さらに、水が迸った。

 続いて、風がうねった。

 間を置かずして、闇が広がった。

 そして、炎が燃え立った。


 そのなかから、いのちの種が宇宙に宿った。

 小さな星の大陸の地表に、いのちが宿った。


 いのちは伸び始めた。天に向かって、ものすごい勢いで。

 遂に、人間が、形作られた。

 そして文明が、悠久の河の流れの如く、大海へ注ぎ始めた。


 幾多の喜怒哀楽。

 幾多の闘いと和解。

 幾多の殺戮と誕生。


 それらが世界に交差し、さまざまな色彩を生じさせながら、空間を彩る。


 やがて、大陸にふたつの国が生まれ、歴史が始まった。



 気が付けば、ザキナは、全ての画力を発動した草原の上に、倒れていた。

 彼女は目を閉じたまま、意識の向こう側で呟いた。


 ……どうして? どうして? ……どうして? 世界は蘇ってしまったの?


 それに対して、親しく懐かしい声が遠くから聞こえた。


 ……ザキナ

 ……ドネーシャ……どうして? 

 ……それは、あなたの心に、一滴ひとしずくの躊躇いがあったからよ

 ……躊躇い?

 ……ドーズよ

 ……え?

 ……彼の存在をも、消し去ることへの、思い残し

 ……ドーズ大尉を?

 ……それが、あなたの画力の威力を、少しだけ、ほんの少しだけ、遮ったの

 ……そんな、私の中の? 彼の存在が? 

 ……そうよ。そして世界では、そんな想いをこう呼ぶのよ

 ……私のドーズ大尉への想いを?

 ……そう、それを、恋、って呼ぶのよ。いや、寧ろその名は、恋、じゃなくて……



「ザキナ、ザキナ……!」


 ドネーシャの声が途切れ、突如、自らの名前を呼ぶ声が聞こえ、ザキナはその瞳をゆっくり開いた。


 緑色の瞳に映る、雲の流れが、早い。この空は、つい先ほどか遠い昔か、自らの画力の全てを刻み込んだ、あの空だ。


 そして、目の前に視線を移せば、ドーズが草いきれの中に座り込んで、と同じように、ザキナの肩を揺すっている。銀筆で抉った手首は、ドーズの手によってだろう、止血の布がきつく巻かれていた。それだけが、ザキナの、世界を混沌へと還したように見えた画力の発動の痕跡であった。


「ドーズ大尉……私」

「よかった、ザキナ、出血が酷かったものだから、もう、目を覚まさないかと……!」


 ドーズの瞳に、涙が滲んでいる。ドーズは彼女を抱き寄せた。


「大尉……」

「いいんだ、何も言わなくてもいい、ザキナ。俺はお前がひとり居てくれるだけで、いいんだ。もう、残されるのは沢山だ……」


 ザキナは抱き寄せられたままの姿勢で、呟いた。


「……大尉、ねぇ大尉……」


 ドーズはザキナの涙で、軍服が濡れるのを感じ取り、彼女の頬を拭いつつその顔を覗き込む。彼女は嗚咽を堪えることができぬまま、ドーズにしがみつく。


「私は、あなたのおかげで、世界を、壊せなかったのよ」


 泣きじゃくりながら、ぽつり、と呟いたザキナのその言葉の意味を、理解したのかしないのか、どちらともつかぬ顔のまま、ドーズはただただ頷き、その髪を撫でる。


 だが、彼女の次の台詞の意味がわからないほど、彼は愚かでもなかった。


「……ねえ、これからも一緒にいてくれる?」


 ドーズは、深く頭を縦に振り、答える。


「ああ、お前となら、俺はどこへでも行けるだろう……」


 そして彼は、彼女の身体を、すっ、と両手で抱き上げた。


「こんなにも、再び慈しめる存在を得られた俺は、とんだ幸せ者だな」



 そして、2人は草原の果てへ向かう。

 再生した大地を辿る、ドーズとザキナの新たな旅路が始まる。


 この古くて新しい世界に、2つの生の軌跡を刻み込むべく。


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