世界は混沌の中に消え去った。
人のいのちも、繁栄も、自然の恵みも、営みも、全てが混ざり合い、混沌と化し……やがて、全ては無に還った。
宇宙をも、生まれた前の姿に逆戻りし、全てが消え去った。
いや。消え去ったように、見えた。
しかし、ほどなくして、無のなかにまず、光が生まれた。
次いで、緑が蘇った。
さらに、水が迸った。
続いて、風がうねった。
間を置かずして、闇が広がった。
そして、炎が燃え立った。
そのなかから、いのちの種が宇宙に宿った。
小さな星の大陸の地表に、いのちが宿った。
いのちは伸び始めた。天に向かって、ものすごい勢いで。
遂に、人間が、形作られた。
そして文明が、悠久の河の流れの如く、大海へ注ぎ始めた。
幾多の喜怒哀楽。
幾多の闘いと和解。
幾多の殺戮と誕生。
それらが世界に交差し、さまざまな色彩を生じさせながら、空間を彩る。
やがて、大陸にふたつの国が生まれ、歴史が始まった。
気が付けば、ザキナは、全ての画力を発動した草原の上に、倒れていた。
彼女は目を閉じたまま、意識の向こう側で呟いた。
……どうして? どうして? ……どうして? 世界は蘇ってしまったの?
それに対して、親しく懐かしい声が遠くから聞こえた。
……ザキナ
……ドネーシャ……どうして?
……それは、あなたの心に、
……躊躇い?
……ドーズよ
……え?
……彼の存在をも、消し去ることへの、思い残し
……ドーズ大尉を?
……それが、あなたの画力の威力を、少しだけ、ほんの少しだけ、遮ったの
……そんな、私の中の? 彼の存在が?
……そうよ。そして世界では、そんな想いをこう呼ぶのよ
……私のドーズ大尉への想いを?
……そう、それを、恋、って呼ぶのよ。いや、寧ろその名は、恋、じゃなくて……
「ザキナ、ザキナ……!」
ドネーシャの声が途切れ、突如、自らの名前を呼ぶ声が聞こえ、ザキナはその瞳をゆっくり開いた。
緑色の瞳に映る、雲の流れが、早い。この空は、つい先ほどか遠い昔か、自らの画力の全てを刻み込んだ、あの空だ。
そして、目の前に視線を移せば、ドーズが草いきれの中に座り込んで、
「ドーズ大尉……私」
「よかった、ザキナ、出血が酷かったものだから、もう、目を覚まさないかと……!」
ドーズの瞳に、涙が滲んでいる。ドーズは彼女を抱き寄せた。
「大尉……」
「いいんだ、何も言わなくてもいい、ザキナ。俺はお前がひとり居てくれるだけで、いいんだ。もう、残されるのは沢山だ……」
ザキナは抱き寄せられたままの姿勢で、呟いた。
「……大尉、ねぇ大尉……」
ドーズはザキナの涙で、軍服が濡れるのを感じ取り、彼女の頬を拭いつつその顔を覗き込む。彼女は嗚咽を堪えることができぬまま、ドーズにしがみつく。
「私は、あなたのおかげで、世界を、壊せなかったのよ」
泣きじゃくりながら、ぽつり、と呟いたザキナのその言葉の意味を、理解したのかしないのか、どちらともつかぬ顔のまま、ドーズはただただ頷き、その髪を撫でる。
だが、彼女の次の台詞の意味がわからないほど、彼は愚かでもなかった。
「……ねえ、これからも一緒にいてくれる?」
ドーズは、深く頭を縦に振り、答える。
「ああ、お前となら、俺はどこへでも行けるだろう……」
そして彼は、彼女の身体を、すっ、と両手で抱き上げた。
「こんなにも、再び慈しめる存在を得られた俺は、とんだ幸せ者だな」
そして、2人は草原の果てへ向かう。
再生した大地を辿る、ドーズとザキナの新たな旅路が始まる。
この古くて新しい世界に、2つの生の軌跡を刻み込むべく。
了