「さて、東藤さん。あなたにはふたつの選択肢があります」
突然現れた手のひらサイズの妖精は、そう言って俺に二本の指を突きつけた。
「異世界で人生をやり直しますか? それとも、死にますか?」
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無言のまま家の中に入ると、すぐに扉を閉めて鍵まで掛ける。
それから入ってすぐのテーブルにビニール袋を置いて、唯一座ることの出来る椅子に腰かけた。
さて、飯だ。
今日はコンビニで買ってきた半額の弁当。
店員に温めてもらったソレは、まだほのかに温もりが残っていた。
それじゃ、いただきます。
「ちょーっと、待ったぁ!!」
ガッシャーン、と音を立てて窓ガラスが割れ、なにかが俺の前を横切る。
その衝撃で弁当ははじけ飛んで床に散乱してしまった。
ああ、もったいない。
「ちょっとちょっと、こんなに派手な登場なのに無言って。ちょいと酷くないですか?」
床に落ちた食べ物をまだ食べられる物ともう無理な物に分けていると、目の前に先ほど俺の前を横切った物体が現れた。
いや、だって……。
「だってもなにもありませんよ。普通こういう時は『わぁー、妖精さんだぁ。きっと私って選ばれた人間なんだなぁ』とかなるでしょう」
今時、女子小学生でもそんなことにはならないと思う。
「おやおや? 女子小学生差別ですか?」
いや、別にそんなつもりじゃ……。
「そもそも、生まれてこのかた異性に全く縁のない東藤さんに、女子小学生のなにが分かると言うんですか? あなたに分かるのは、せいぜい負け犬の気持ちぐらいでしょう」
そこまで言わなくても……。
「いやいや、私はそこまで言われる東藤さんのポテンシャルを褒めてるんですよ。あと、いい加減床に落ちた生ごみは諦めてこっち見ろ。そして喋れ」
いや、まだいけるかもしれない。
「いつまで生ごみの話してるんですかっ!! いい加減に喋れって言ってんでしょう!」
「うぐっ!?」
鳩尾に体重を乗せた頭突きをかまされて、呻きながら倒れる。
あまりの痛みにしばらく身動きが取れなかったが、しばらく床に寝ているとやっと起きあがることができた。
「おや、もうボロ雑巾ごっこはおしまいですか? もう少し続けても良かったですのに」
「あまりにも、酷い」
「おお、やっと喋りましたね! 想像よりもはるかに良い声で驚きました」
良い声だなんて初めて言われたから、反応に困ってしまう。
どうやらこいつも、話せばなかなか良い奴みたいだ。
「ちなみに、どんな声を想像していた?」
「いや、まぁ。もっとブタかロバみたいな声だと思ってたんで、ちゃんと人間の声なんだなぁって」
前言撤回。
コイツはとんでもないクズだ。
「クズにクズ呼ばわりされる日が来るとは。まさに青天の霹靂ですよ」
「使い方が、微妙に違う気が……」
「はぁ? 違いませんよ。全く、東藤さんは学もないんですか。一回辞書で青天の霹靂の意味を調べたらどうです? ちなみに英語で言うと『a bolt from the blue.』です」
なぜ英語で言った?
いや、そんなものは些細なことだ。
それよりも、俺は大変な事実に気が付いてしまった。
「なぜ、俺の名前を知っている?」
「今更それですかっ? もう普通に何回か呼んでますよ。壮大な前フリをするからなにごとかと思ったら、なんですかそれ? ギャグですか?」
いや、単にいま気がついただけです。
「東藤さん。残念ですがあなたに探偵は向いてませんね」
「そもそも、探偵になろうと思ったことがない」
「そうでしょう、そうでしょうとも。自分の才能に見切りをつける才能に関しては、東藤さんは他人と一線を画しますからね」
いったいこの物体は、どれだけ他人を貶す才能に溢れているんだろうか。
「物体とは失礼な。私は可愛い妖精さんですよ」
可愛い妖精さんは、突然窓から侵入してきて人の夕飯をメチャクチャにしたりしない。
「いつまで生ごみの話をしてるんですか。……あぁ、まったく。生ごみのせいで一向に話が進まない」
その生ごみって言うのは、床に散乱した元食べ物と俺のどっちのことだ?
「細かいことは良いんですよ。今は、東藤さんの身に降りかかった幸運の話です」
「幸運、とは?」
「おや、興味出てきましたか? さすが意地汚い人間だけあって自分の利益には目敏いんですね」
俺は、別に意地汚くない。
「ああ、安心してください。東藤さんが意地汚いって言ってるんじゃなくて、人間の本質が意地汚いって話ですから」
まさかの、人間批判。
妖精って、もっとこうピュアな生き物なんじゃ……。
「ピュアですよ。だからこそ、こうやって思ったことをそのまま口に出してるんです」
「それは、ピュアとは言わない」
「やかましい男ですね。そんなだから今日まで彼女の一人もできないで無職の引きこもりになってしまうんですよ」
放っておいてくれ……。
「ですが、そんな東藤さんのつまんない人生も今日でオサラバですよ。今日から東藤さんは生まれ変わるんです」
「悪質な詐欺にしか、聞こえない」
「失敬な。そもそも詐欺師だって、東藤さんみたいな穀潰しなんて相手にしませんよ。詐欺師に失礼です」
いったい彼女は、いくつの貶し言葉を知っているんだろうか。
もう俺の心のHPは瀕死状態だ。
「最初から死んでるようなものですから問題ありませんって」
今、死んだ……。
「おお、東藤さん。死んでしまうとは情けない」
妖精は、なぜだか大仰な態度で俺の死を嘆いてくれた。
しかし、死んだことを情けないって言う王様は、勇者をなんだと思ってるんだ。
「何回死んでも生き返る、都合の良い奴隷じゃないですか?」
「夢を壊すな」
「最初に言い出したのは東藤さんでしょうに」
ともかく、と小さく咳払いをした妖精は続ける。
「東藤さんの言うことにいちいち反応してたら本当に話が進まないので、これから無視をします」
まさか、面と向かってシカト宣言されるとは。
「今まで生きてきて何も良いことのなかった東藤さんに、ようやく幸運の揺り戻しが来ましたよ。なんと異世界で人生をやり直すチャンスが当たりました」
「そんな、宝くじみたいな」
「似たようなものです。ナントカ7で一等前後賞が当たったと考えたら分かりやすいですよ。しかもキャリーオーバーです」
……あんまり分かりやすくないな。
どうせだったら、もっと妖精っぽい例えをすれば良いのに。
「やかましいですよ。それじゃ、東藤さんに質問です」
「質問?」
「と言うより、選択を迫ります」
そう言った妖精は、俺に向かって二本の指を突きつけてきた。
「異世界で人生をやり直しますか? それとも死にますか?」
……死ぬ必要はないのでは?
「この世界に残っても、遅かれ早かれでしょう。だったら、潔く死にましょうよ」
「異世界でやり直す方に、一票」
「うん。良いお返事です。それじゃあ行きましょうか」
は?
行くって、今すぐ?
「今すぐです。善は急げですよ」
英語で言うと『Make hay while the sun shine.』です。
と言う妖精の言葉を最後に、俺の意識はプッツリと途切れてしまった。