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第3話

「え? あの……。元彼女さんのことでしょうか?」

 不意に核心を突かれたようで、動揺して声が震えてしまう。笹野さんは真剣な顔で頷くと、さらに続けてくれた。

「そう。あの噂、ほとんど真実なのよ。副社長も、噂が出てることはご存じよ」

「そう……なんですか? じゃあ、副社長は傷つかれましたよね?」

 これで、公園の涙は、失恋をしたからだと確信した。それなら、たとえ副社長が私の顔を覚えていたとしても、話題に触れたくないだろう。

「きっとね。口に出す方ではないけど、どこから噂が立ったのか不思議がられてるわ」

「副社長のプライベートをご存じの方って、多くないんですか?」

「ええ。私も今回のことがあるまで、詳しいことは知らなかったから。だから原田さんも、間違っても噂のことは聞かないでね」

「はい、絶対に話しません」

 そういうことなら、あの夜のことは記憶の中で封印しよう。副社長の心の傷が、少しでも早く癒されたらいい……。


「よし! これで完璧」

 笹野さんから副社長秘書の引継ぎを受けて一週間、今日からは私一人で業務を進めていく。

 緊張ばかりだけれど、ひとまず頼まれた会議資料の作成は終わった。笹野さんが作っていたものを参考に、しばらくは既存のフォーマットを使うことにしている。

「失礼します。会議資料ができました」

 執務室のドアをノックし中へ入ると、副社長はパソコンを打つ手を止めて私を見た。これまでも思っていたことだけど、副社長は見れば見るほど綺麗な顔立ちをしている。上品で、育ちの良さを感じさせる人だ。

「ありがとう。ちょっと確認するから、待っててくれる?」

「はい」

 資料を差し出すと、彼はそれをペラペラめくってチェックしている。仕事中の真摯な表情は、見惚れそうになるほどだ。

(どうして、こんな素敵な人をフッちゃったんだろ)

副社長は感情的になるようなこともなく、私ともごく普通に接してくれる。非の打ち所のない人に見えるけど、恋人になったら別の顔があるのだろうか。

「うん、よくできてる。どう? 秘書の仕事は慣れそう?」

 資料を置いた副社長に見つめられ、ハッと我に返る。私は慌てるように姿勢を正すと、ぎこちない笑みを見せた。

「はい。笹野さんのマニュアルが分かりやすくて、参考にさせてもらっています。私の資料で、お分かりづらいことがありましたら、ご遠慮なく仰ってください」

「ありがとう。原田さんの資料のまとめ方、とても分かりやすいよ」

 もしかしたら、副社長は気を遣ってくれているのかもしれないけれど、褒めてもらえたことは素直に嬉しかった。まだ自信はなくても、秘書として頑張れそうな気がしていた。

「そうだ。原田さん、今日の昼はなにか予定ある?」

「いえ、なにもありません」

 彼の意図が分からないまま返事をすると、副社長は腕時計で時間を確認した。袖口から覗く時計は、海外の高級ブランドものだ。

「それなら、一緒にランチに行かないか? 午後のアポまで、少し余裕があるし」


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